おわりに

 私にとって、今回の旅の目的は、 スペインのロマネスク美術鑑賞でした。ゆっくりひたる時間はあまりなかったのですが、ああ、これだ、これが見たかった、と毎日感激して旅を続けました。

 でもこの道はサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。目的地のサンチャゴ。聖ヤコブとは イエスの12使徒の一人で、スペインに伝道におもむいたけれどさしたる成果もなく、パレスチナに戻り、そこで、ヘロデス・アグリッパスによる、迫害の最初の犠牲者となったひと。 

 その遺骸は弟子により船に乗せられ、流れついたのが、ガリシアのエル・パドロン。サンチャゴ・デ・コンポステーラの近くであることから、この地が聖地となったという。

 そうして レコンキスタのおり、クラビホで戦うキリスト教徒軍に、白馬にまたがり助けにきた騎士にサンチャゴ・マタモロスの姿を見たということから、レコンキスタの守護聖人として、あがめられるようになったそうだ。

 サンチャゴ・マタモロス、 モーロ(ムーア)人殺しの聖ヤコブ、 おだやかではない言葉だ。。ヤコブとしては、迷惑な話かもしれない。でもキリスト教徒スペイン人としては、キリスト教徒を守ってくれる聖人は必要だったろう。だから白馬にまたがる騎士としての聖ヤコブはありがたい存在なのか。

 サンチャゴ大聖堂の祭壇にも騎士姿のヤコブ像があった。とても驚いたことは、僧服につけられた十字は、 赤い(血塗られた) 剣十字 であったことである。キリスト教徒でない人間にとって、聖職者が胸に剣のマークをつける、というのは理解しがたいことである。

 このレコンキスタで最終的に、グラナダをキリスト教徒軍が落としたのが、1492年。イスラム教徒からの国土奪回だが、その結果、キリスト教国家統一のためにユダヤ人追放令が出され、異端審問所が設置されたのだ。

 また、巡礼路ではないが、ハビエル城にも行った。このフランシスコ・ザビエル、苦難の末、日本にやってきて、キリスト教を伝えたのだが、東方伝道は、ポルトガルの植民地政策に相乗りする形でなされ、行くのもポルトガル艦隊の船に乗ってであった。いわゆる、胡椒と救霊、である。 

 今なお、宗教の違いを前面に押し出す争いが続いている。しかし、それぞれの宗教を信じる人々で、違う宗教の人々を抹殺しても良い、という考えを持っている人は少ないはずである。

 はるばる何十日も徒歩で、あるいは自転車などで、旅をする巡礼者は、こういうことをどう考えるのだろうか。

 なぜ目的地がサンチャゴ・デ・コンポステーラなのか。

  そこが聖地である、ということ。長い道のりでかなりの体力、精神力を要するということも巡礼へとかりたてる要素かもしれないなどと思ってみたりする。目的地がどこであれ、巡礼は非日常であり、そこで、自分自身を発見する、そのことこそが大事なのだろう。

 宗教が利用されているのだ、それにしてもマタモロスには、抵抗を感じた。

 そうは言いながらも私は コンポステーラの大聖堂の柱に手をあてて挨拶し、ホーリーゲートをくぐって、ヤコブ像を後ろから抱く、ということもちゃんとやってしまう観光客なのだ。

ともあれ、変化に富んだ美しい景色、素晴らしい教会美術を堪能できた良い旅でした。