1日目

成田〜アブダビ

11月2日


今回の飛行機は夜便なので時間に余裕がある。それで横浜から成田までバスを利用した。
バスは案外時間が正確で便利、と聞いてはいたが心配でこれまで利用しなかった。しかし早目に家を出ることが可能な今回利用をこころみることにしたのだ。

1時間半程度で着くらしい。道路が混んでいても二時間みておけば、大丈夫とのことだったが、1920分集合(飛行機の出発は 2120)に合わせて午後三時半過ぎには家を出た。機内食はずっと遅くなると思い、そごうデパートでお弁当を買って、Yキャットに着いたのが1621分。「1630分に乗れますよ」といわれてその切符を購入。初めてなので景色を楽しみたかったがもうすぐ日没で暗い中を走る。 

1750分 成田第一ターミナル南ウイング到着。なんと80分で着いた。成田エクスプレスより速い。おまけにシニア割引中なので料金は2000円!!成田エクスプレスの半額以下だ。おまけにバスが到着するのはは出発カウンターのすぐ前なので、地下からエスカレーターで延々と上がって行く必要もない。

ちょっと早過ぎ。ゆっくりお店を回って、オールマイティのプラグ(デジカメや携帯など差し込みが三つも必要なので)腕時計(成田で安いのを買うことが多い) 機内読書用の文庫本などを買う。電気製品は気になるので手荷物検査の人に「充電器は機内持ち込みOKか?」と聞いてみると大丈夫。ついでに聞くと、規則が変わって、爪切りもナイフのような刃が付いていなければ大丈夫だし、毛抜きなどもいいそうだ。

お弁当を食べて、1840分頃まだ早いと思いながらも、集合場所に行く。すでに半数くらいの方はいらしているようだった。書類等をいただき スーツケースを受け取って (この旅行社は往復スーツケース宅配付きで自分で引き取らなくても集合場所にすでに届いている)チェックインカウンターへ。座席は翼の上ではない窓側を指定。

手荷物検査を受けてパスポートコントロールを抜け、免税店の化粧品売り場で口紅を買う。たらたらしているうちに間もなく搭乗時間になる。

エティハド航空という初めての航空会社だ。座席は 2−4−2。 機内はすいていて、中央の4人席は両端に一人ずつで中央2席は空いている。アブダビまでは夜で外が見えないのだから通路側を指定しておけばよかった、と少し後悔。
2席のところは窓側、通路側とも席は埋まっていて私のお隣は身体の大きなアラブ人()の男性。 

2120分タキシング

2140分ごろ離陸

2240分ごろ 第一回目機内食。

アラブの航空会社なので飲み物にアルコールは出ないと思っていたのに、ワインもチョイスできたので赤を頼む。
お食事のお味は まあまあ。

12時〜4時頃まで寝た。
窓側は壁に頭を持たせかけられるのがいいが、やはり首は痛くなった。

その後はもう眠れないが映画を観る気もしなくて、本を読んで過ごす。

ここで今回行くキプロス島について少しまとめておく。

 場所  地中海の東端でトルコのある小アジア半島のすぐ下(つまり南) トルコまでは70q、
東はシリアで
100q、レバノン、イスラエルもすぐだ。 南はエジプト。    
    
 気候  温暖な地中海性気候、ただ乾燥しているので雨量が少なく、水不足に悩まされることもある。
 大きさ  9251平方キロメートル(四国の約半分の面積)
国土の4割近くは緑の森、島の中央を東西に山脈が走っている。
 
こういう位置にあるためエジプト、ギリシャなどいろいろな文明の影響を受けまた異民族の侵入も多く、
この島の歴史は異民族支配の歴史といっていいほどである。

 歴史

 BC1万年頃にはすでに人類が住んでいた(亜旧石器時代)

 BC7000年頃 ヒロキティアには新石器時代の遺跡あり(トルコのチャクルフユック、レバノンのビブロスなどもこの時期の遺跡) 

 BC4000年頃〜 銅の使用

 キプロスという名前は英語の銅copper, ラテン語ではcuprumから来たという説があるが(王の名に由来するという説もある)それはこの島に銅が産出することによる。

 後期青銅期時代エジプトやエーゲ海の島々との交流も盛んになり繁栄した。しかしギリシャ語を話す人びとが島に入りこむようにもなった。

 BC 1400年ごろミケナイ人の植民が始まる。 
 BC 
1050年頃から鉄器時代 
  フェニキア人が入植

  BC705年〜BC475年 アルカイック時代

ギリシャ人の入植者たちは クリオン、パフォス、サラミスなどに都市国家を建設して栄え
アッシリア人、エジプト人、ペルシャ人が次々侵入
BC475年〜BC325年頃 古典時代
BC336年 アレキザンダー大王の支配下に入る。そののち、後継者たるエジプトのプトレマイオス朝の支配下に入る。 クレオパトラの死(BC30)よりエジプト支配を脱する。
BC 58年 ローマの属国となる。
 この後約600年は比較的平和で豊かな時代、 ローマ劇場などが 造られた。 またAD45年頃にはキリスト教が 伝えられた
AD 330年〜1191年 ビザンティン時代 
7世紀には 繰り返しイスラム教徒による襲撃を受け、 海岸沿いの町は内陸部に移転

 688年〜965年 ビザンツと アラブの共同統治、 
 965年からは ビザンティンの支配下

 1191年 イギリスのリチャード一世(ライオンハート) の支配、しかし島民の反乱にあい、すぐにテンプル騎士団に売り渡すが、騎士団も既にギリシャ正教を信じていた島民をカソリックに改宗不可能とみて、リチャードに買い戻してもらったが、リチャードに支配の意思はなく、エルサレム王位を奪われたギイ・ド・リュージニャンに与えた。

1192年〜1489年 リュージニャン時代

1489年〜 1571年 ヴェネツィア共和国

1571年〜1878年 オスマン・トルコ時代

1878年〜1960年 イギリス植民地

1974年キプロス紛争、 南北に分裂

このように次々異民族に支配されてきた島である。おまけに地震もあり、壊れては再建、壊れては再建、さらにイスラム教徒の侵入により山奥に移り住む、といった状況もあった。
かくして私が一番見たいと思っている壁画教会はトロードス山中の奥深くにひっそりと佇んでいる、というわけだ。

今回のツアーのタイトルは  太陽と神話の国 南北キプロスの旅

サブタイトルは トロードス山中に世界遺産の教会を訪ねて

その前に添乗員中屋雅之と行く旅 というのが付く。 

中屋氏はこの旅行会社の月刊誌にキリスト教やイスラムの歴史を毎号書いておられる方で本も出されている。いきとどいた解説をしていただけるものと期待しての参加である。(旅行中渡された参考資料が30枚くらい。過去のツアーでこれほど資料の多いツアーはなかった。19人分持ってくるだけでも重さはかなりだったと思う、その作成にかかる手間を考えると本当に頭が下がる) 
このHPを作成するのにとても参考になった。