3日目 3月14日

テサロニキ滞在

パナギア・ハルケドン聖堂、12使徒聖堂、ヴラタドン修道院


 
630〜 朝食  海を眺めながらの朝食は気持ちがいい。
 
 
   
   

泊まったホテル正面

 
 
 
 ホテルを背に テルマイコス湾の向こうにはオリュンポスの山々

テサロニキ Thessaloniki という町
この町は 有史以前にも人は住んでいたが、町として築いたのはマケドニア王カッサンドロス。
彼は315BCに妻テッサロニカ (フィリッポ二世の娘でアレキサンダー大王の異母妹)の名をこの町に付けた。
マケドニア王国が168BCに倒れると、ローマ帝国の自由都市となった。

アルバニアのデュラスとビザンティオン(コンスタンティノープル)を結ぶ エグナティオ街道の交通の要地として栄えた町である。エグナティオ街道はデュラスの対岸ブリンディシからはアッピア街道となってローマに続いている。教会が多いのも納得がいく。首都コンスタンティノープルから離れているためにイコノクラスムによって教会の破壊を免れたので約1000年にわたるビザンティン美術を観ることが出来る町である。

830 最初に見学する教会はホテルから近い、ということから徒歩で出発10分あまりで到着

パナギア・ハルケドン聖堂 Panagia Chalkeon 1028年献堂
壁画は創建当時のもの、つまり11世紀前半、この時代のビザンティン壁画はCappadociaをのぞいて少ないそうだ。

銅細工師の専門店がある通りで「銅細工師の聖母」の通称がある。矢張りこの教会も道路より下にある。 

   
   平面図
   
   

ミサ中だったが、静かにしているなら入ってよい、ということでそっと入る。ナルテックスは自由に動けたが、中ではうごけないので、中央ドームの昇天の写真はかすかに撮れただけ。

   
   

ナルテックス  

 
 

最後の審判(西側ロマネスク教会のタンパン彫刻などに見られる 最後の審判 とはだいぶん様子が違う。再臨、という感じが強いと思った)

 
 キリストの左右には マリアとヨハネ、足元にはアダムとイヴ

↓ 右側に見える天使はミカエルであろうか、引き締まった顔つきがなかなかいい。 

 
 

915頃ここを出てバスで次の教会に向かう。
テサロニキの町の西の方、デメトリオス通りの西端近く、町を囲んでいた城壁のそばまで行く。

12使徒聖堂 
The twelve Apostles

教会の歴史は11世紀に遡るが(7世紀という説もある)現在の建物は14世紀初めにテサロニキの司教ニフォン(Nefon)が造ったものである。コーラ修道院直前の作で類似している。
ここでもミサ中で20分待て、といわれたので周りをぶらぶら。

   
 城壁
   
 聖なる泉  
   
   平面図 ナルテックスが 二重
14世紀ビザンティン教会建築の特徴として、すらりとした華奢なドーム(外観重視)(太くてずんぐりしたドームは内観重視)
ともかくこの教会外壁の煉瓦装飾は見事なのだ。
 
 
 
 

結局40分くらい待っていたことになる。ミサを終えて出てきた人たちは それぞれ5cm立方くらいのパンを手にしている。聖体?十分朝ごはんになりそうな分量だ。 
あるひとのいい婦人は私たちにそのパンを進める、一口味わったかたも何人かいらした。

内部はコーニスより下がフレスコ画、上がモザイク。これはお金がなかったから全部モザイクにできなかった、というわけではない。モザイクは背景が金で天(神の世界)を表し、フレスコ画は背景が青で天の色を,と あえて使い分けているのだそうだ。

   
   
  
 
 ↑エッサイの樹↓拡大
 
 
 
 ↓モザイク 上方左、エルサレム入城、右 変容 下右ご生誕 
 
 
   
 冥府くだり ご生誕(残念ながらマリア様部分は剥落してしまっている。 
 
 エルサレム入城
 
 変容

1050頃から10分くらいバス移動して町の高台にある修道院へ 
バスをおりて城壁沿いにしばらく歩く。
 
 

ヴラタドン修道院Vlatadon Monastery

1351年に建てられたヴラティス家の修道院。その主聖堂にフレスコ画が残っている。
この教会は テサロニキではなくイスタンブール総主教座の管轄で横に(総主教座付属研究所)がある。
アトス山の教会についての資料がマイクロフィルムに収められていて研究者はここにくるそうで、M先生も留学時代はここで勉強されたそうである。

ここは高台にあるので 眺めがいい。中央の赤茶色の丸い屋根が昨日行ったロトンダ。

 
 
136080年のフレスコ画がのこっているが損傷が激しい。漆喰でぬりこめるためにノミで突いたような穴だらけ。内部はカメラ禁止だが入口から一枚パチリ、運よく(炎の中の三人の少年)が撮れてしまった。(保存状態がいいところのが写っていた、せっかくだから載せておく)
     
     

外観は古くはなさそうだが、中は創建当時のままのようだ。特に南側廊部分は木の骨組みと煉瓦がむきだしでおもしろかったのに写真が撮れなくて残念。

外側珍しく南側にポーチはある。壁にはお皿が埋め込まれている。また合図のためのたたく板がぶら下げられていた。

   
   

ここにはお手洗いやショップがあって、しばらくお買い物タイム写真が多くなりすぎたので、 続きは そのUへ