2日目

6月4日

ローマ〜ミラノ〜ローディ〜リヴォルタ・ダッダ〜トリ



5時 起床 

6時 朝食 私はヨーグルトとオムレツにした。

6時20分 下におりてバスを待つ。ここはローマ市内というよりオスティカ・アンティカあたりらしい。 
ローマらしい笠松がある。 

   
泊まったサテライトホテル  ホテルの前 ローマ独特の松

6時35分 空港へのシャトルバスに乗る。我々のツアー専用ではなく他の人たちもいて満員。
途中 昨日は暗くて見えなかった古代ローマの遺跡の横を通り、テヴェレ川も渡る。小型ヨットがズラリと繋留されていた。

20分くらいで空港着。
少し時間がある。お水を買ったり、免税店をのぞいたり。でもここでお土産を買うとずっと持ち歩かなければならないので眺めるだけ。
8時10分搭乗開始 

8時40分 離陸
機内で添乗員の山岸さんから、トリノのチョコレート菓子ジャンドゥイオットが配られた。機内食として菓子パンと飲み物。 
私はお水にした。 

9時40分 ミラノ、リナーテ空港着 

スーツケースも全員分無事届いていた。

これから最終日までお世話になるアメデオさん運転のバスに乗る。
バスは30人の乗りくらいの小型バス。でも11人なので、一人二席はある。座席の広さも通常と同じだが、通路がかなり狭くてカニの横ばい状態で奥へ進むことになる。奥、といっても小型なのでそう遠くはない。

10時34分 観光に出発。 

市壁、スフォルツァ城の近くに来たと思ったらもう サンタンブロージオ教会

   
スフォルツァ城 市の門

1115分 下車   
シルビアさんという現地ガイドとともに市の門をくぐって教会へ。 
市の門は中世(12世紀)の城壁の門をまねて1939年に造られたもの。

サンタンブロージオ教会はレンガ造りの外壁で囲まれた中にある。
http://www.santambrogio-basilica.it/  
Basilica
このホームページはイタリア語。私はイタリア語が読めないので翻訳機能で日本語にすると目茶苦茶。英語にするといい。
   
  教会外壁 塔 左12世紀 右9世紀  アトリウムに入る はっきりしないがこのアーチにも植物文様
が ほどこされている

門をくぐるとアトリウム。 
もう再び来ることはあるまいと、去年の旅行のホームページにここのアトリウムの写真を参考に載せたが一年後にここに来ることになろうとは!!
そこでも書いたがアトリウムを持つ教会はロマネスク時代になると殆んどない。 
古代、まだキリスト教信仰が広まっていないころには教会を守り、異教徒を教会堂内にいれないため、また まだ洗礼を受けていない人のいる場所などとして、設けられていた。
外壁の門をくぐり抜け、アトリウムに足を踏み入れた途端、2001年に個人旅行で主人と来た時のことを思い出してとても懐かしかった。

ところでこのサンタンブロージオ(聖アンブロシウス)とは?
  ミラノ司教 在位374〜397年
この時期 
313年 コンスタンティヌス大帝 ミラノ勅令によりキリスト教公認 

380年 キリスト教国教化。(392年にはキリスト教以外の宗教を厳禁)、

376年には西ゴート族が 帝国内に侵入、いわゆる民族大移動の時代である。

まだまだローマでは伝統的なさまざまな神々が信仰されていたし、キリスト教界でも異端とされたアリウス派と正統アタナシウス派との間で争いがあった。

アリウス派とは、父なる神と子なるキリストは異なる、という三位一体に反する説で、381年コンスタンティノープル公会議で正式に異端として排除されアタナシウス派の信仰のみが認められた。

またミラノという町はバルカン半島からガリアに抜ける東西の交易路と,ローマからアルプスへと向かう南北の交易路が交差する地理的に重要な地点。人口も最小に見積もって3,4万 最大見積もりで市街地を含めて10万人という帝国第7番目の都市であった。

アンブロシウスは帝国高官を父としてトリアー(今のドイツ)で生まれ、父の死後ローマに出て学んだ後役人となった。役人としては人望があつかったそうだ。
 
当時ミラノでもアリウス派と正統派の争いがあり、職務上その調停に当たっていたアンブロシウスがまだ洗礼志願者であったにもかかわらず、両派の支持を受け司教に推された。彼は固辞したそうだが任を受諾、すぐ受洗して司教に叙階された。


サンタンブロージオ教会のある場所は当時、城壁のすぐ外で大墓地で、そこに殉教記念教会(殉教した聖人ゲルウァシスとプロタシウス兄弟の聖遺物安置のため)が造られていた。アンブロシウスはこの二聖人の傍らに葬られることを願ったっため、サンタンブロージオ教会とよばれるようになった。
教会の創建は
379年だが、9世紀〜10世紀に聖堂内陣、後陣が改築され、1080年から12世紀にかけて身廊と柱廊玄関が建て直されている。アトリウムは (10881099)の造営。 

 
 アトリウム 1088〜1099年 と教会正面
説明を聞くのもそこそこに皆柱頭を眺め写真を撮り始める。
幻想動物、組紐文、パルメット(椰子の葉模様)などこれでもかこれでもかと彫られていて、どれを載せるか取捨選択に困るほど。 
出来るだけ多く載せておく。
柱廊の壁には 第二次大戦の爆撃の際に出てきた、地下の墓石が展示されていた(上右に少し見える)。
鐘楼 右の低い方が
9世紀に、左は112844年に造られた。
   
   
   
可愛いい ケンタウロス  グリフォン
   
   教会入り口左
右の彫刻は 車輪を持つ天使
 車輪文は太陽文の一種とみなされ、
十字架のかわりに用いられた (柳宗玄著作選1)
   
 二股人魚? (とりわすれていたので 古い写真です) グリーンマン? 
 
 入り口右  アーチに組紐文
 
 写真が古いのではありません。 修復したのとしないのがあるのでしょうか。 ちょっと線刻みたい
 
 
   
中央扉口 半円部分(タンパン)には彫刻がない 左側入り口 獅子の谷のダニエル(だと思う)
 
 中央扉口右側 牛がいる、組紐文の種類もさまざま

中に入る。 
前に来た時は暗くてあまりよく見ないででてきたが、今回はゆっくり祭壇などを見る。 
   
 内部  内部の柱頭
 
 平面図 右が アトリウム、中央脇の二つが 鐘塔

中はかなり大きく、右の平面図にみられるように翼廊(教会は上から見ると十字架の形をしているものが多いがその腕木にあたる部分)のない三廊式(柱により縦三列に区切られている)バジリカ。

中ほど左側に説教壇。
これは下部が
4世紀(古代ローマ)の石棺。
その上に
11世紀になっていろいろな彫刻が取り付けられて祭壇とされたもの。
この彫刻も見事だ。
 
 北側
 
 南側
 
 西側
   
 天空を背負うというアトラス 肩をもりあげ一生懸命支えている(内またで力が入るのかな?横からみられることを想定したのだろう)
 
 古代の石棺 スティリコというホノリウス帝に仕えた将軍の墓、という説明書きがあった 破風のところにキリストのマーク
 
 古代の石棺 上写真の反対側 破風に彫られているのは 秣桶のイエス様のようだ
上の破風のような三角形のところに彫られているのは やはりイエス様。≪降誕図としては現存する最古のもので、まだマリア様が神の母として認められてはいなかったのでマリア様は彫られていない≫ということをAカルチャーセンターのK先生の講座で聞いたので付け加えておく。(2011年1月11日) なおこの墓の主はスティリコと記されているが、スティリコの死は408年、母マリアをテオトコス(神の母)として正式に認めたのは431年のエフェソス公会議である。  

中央奥にある祭壇飾りは
865(カロリング朝)ウォルウィヌスによる、金銀打ち出し細工で、キリストの生涯(表)と聖アンブロシウスの生涯(裏なので見られなかった)が彫られているそうだが、柵があるので近寄れず、写真も光って意味がわからない。
   
天蓋と 祭壇
 天蓋には、《鍵と法の授与》の場面
 祭壇飾り 中央部分
十字の中央に キリスト上下左右に四福音書記者のシンボル、
 四隅は三人ずつ組になった十二使徒
その上には古代ローマの柱に支えられた天蓋(10世紀)があり、着色されたストゥッコで飾られている。 
正面は、キリストがペテロとパウロにそれぞれ、鍵と書
()を渡している場面。

後陣半ドームにはキリストと殉教聖人(ジェルヴァシウスとプロタジオス)、聖アンブロシウスの奇跡(同時にトゥールとミラノにいた、という、端にあるので写真では見えない)がモザイクで描かれている。一部は4世紀と8世紀のものだがだが、18世紀と20世紀に修復されているところもあるそうだ。
  
  キリストの左にプロタジオス 右にジェルバシウス
内部の写真をいくつか
  
  6世紀の石棺
 画、  
 キリスト昇天(アンブロージオ・ダ・フォッサーノ15世紀)
 下に今世紀の洗礼盤
 側廊 アーチ列が美しい
   
 天蓋   サンタンブロージオと殉教聖人のお墓
赤い服が聖アンブロシウス
階段を下りてクリプトに行く。ここは新しくて18世紀のもので、サンタンブロージオのお墓がある。

大体見終わったようなので、メモを見ながら 5世紀のモザイクがあるというサン・ヴィットーレ・イン・チェル・ドーロは?と聞くと「これから自由時間にしてご案内しようと思っていたのですが、今閉めてしまった」1215分までのはずなのに、今丁度12時。さっさと閉めてしまい、おまけにブックショップまで閉めてしまった。時間が足りなくなったのはアリタリア航空のせいだ!!
絵葉書一枚買うこともできず 外、といっても回廊、に出る。ブラマンテが作ったそうだ。それからお隣のカソリック大学にも入らせてもらってそこの回廊(やはりブラマンテ作)を見る。
教会の後陣と中央の塔の姿がよくみえる。アーチ列で飾られていて美しい。
   
 教会横の回廊(ブラマンテ作)  サンタンブロージオ教会後陣
 
 サン・ロレンツォ教会


1230分 バス

途中 サン・ロレンツォ教会の横を通った。
 
2001年に来たときはこの教会にも入った。
古代ローマのモザイクが印象的で、できればここも再訪したかった。

1310分 ローディ郊外のウナホテル着
ホテルのレストランで昼食

我々だけで一つのテーブルを囲めたので自己紹介をした。

メンバー
11
それぞれロマネスクには一家言もつ方々のようだ。
 
今回のツアーで訪れる教会のうち私は三つ再訪の教会があるが、多くの方がいずれかの教会にはすでにいらしたことがおありのようで、中にはあの山の上のサン・ピエトロ・アル・モンテにもすでにいらした方もいてビックリ。  

私が一部分コピーしてきた 辻佐保子さんの『天使の舞い降りるところ』のことを話されている方もいらした。

お食事は ミラノ風リゾット、ミラノ風カツレツ、フルーツポンチにアイスクリーム、 白のグラスワインを頼んだ。6ユーロ。グラスワインのお値段は ここが今回の旅で一番高かったが、フルーティで青リンゴの風味がして私好み。

   
ウナホテル  ミラノ風リゾット
   
 ミラノ風カツレツ  フルーツポンチ
 
 ダンテ・アリギエリ通りの表示


バスでローディの大聖堂に向かう。
ダンテ・アリギエリ通りでバスを降りる。
通りの名前がダンテなんてやっぱりここはイタリア!!

10
分ほど歩いて大聖堂のあるヴィットリオ広場に3時ごろ到着した。 

ローディという町はミラノの南東
32km

もともとあったローディの町は、アッダ川の支配をねらうミラノに繰り返し破壊されたため、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ一世(赤髭王)1158年の勅令により新たにこの町が造られたのだそうだ。

大聖堂のホームページ
Duomo di Lodi
このホームページもイタリア語だが写真が豊富。

パソコンによると思うが画面を右クリックして翻訳機能を選べるなら、日本語はやめて英語などイタリア語と語順が同じものにした方がいい。

大聖堂は1160年着工、最終的に完成したのは16世紀。
彫刻のある扉口や側壁などは創建当時のもの。
16世紀に鐘楼をつくるために向かって右側の入り口が壊されてその跡が白い線で残っている。
 
ローディ大聖堂 右側時計のところと、その下に白くもとの教会の跡が残っている
教会はお昼休みで1530分に開く(なんとイタリア的!!)ので、それまで外回りをみたりお手洗い(アーチの左)に行ったり。 
教会の横の左側のアーチくぐる。洗礼槽利用の噴水がある。内部にあるのも洗礼盤。
   
 洗礼槽利用の噴水  

そこを左に折れて後陣部分を見る。
アーチ列のギャラリーが取り巻いているが、その柱には人や動物などの顔がある。でもなんとなく改修、または復元されたもののような気がした。
   
   
   
 ロマネスクの窓を潰して新しい窓が付けられている  傘屋さんの壁

戻るときアーチのところにある傘屋さんに1418世紀(まだよくわからない)のフレスコ画が最近発見されたというので覗いてみる。
正面入り口に戻り教会が開くのを待つ間に、分厚いカーテンで覆われている彫刻を見る。 
アダムとイヴだが、なんと着衣。楽園追放後の二人
(アダムは土を耕しイヴは子を産む)は衣服を着けているのだ。
アダムとイヴの生涯を描いた一連の作品ではなく、一場面を取り上げて描く場合多くは、リンゴをアダムに手渡すイヴなど、何も身にまとっていない姿になっていると思う。着衣は珍しい。

思案顔の二人。楽園を思い出しているのだろうか?リンゴ食べなきゃよかったなー、なんて。
教会のホームページによると、足を踏み出そうとしているのは 教会に行こうとしているのだととらえているようだ。
楽園に戻りたいのではなく悔悛の表情なのだろう。
踏み出した足は確かに教会に向かっているが、表情は(私には)楽園を懐かしんでいるように見えた。
   
 イヴ  アダム

足を交差させた姿は、モアサックのエレミア(あれほど体を引き伸ばされてはいないが)を思わせてとても興味深かった。

     
   西正面扉口のタンパン  

中はこれから何か儀式がおこなわれるのか奥まで進むことはできなかったが、フレスコ画などは145世紀のものだという。
祭壇が高くなっている。クリプトを大きくするためでイタリアには多いそうだ。
 
奥に最後の晩餐のレリーフがあったが前に進めず、側廊からなので、全体が撮れなかった。 
堂内は修復により、創建当時に再現されていて、身廊と側廊を分かつ柱とアーチがまさにロマネスクで良かった。

   
 教会入り口  司教座の奥に 最後の晩餐のレリーフ
(12世紀前半)
   
   
   
   手前は 13世紀半ばの作とされる 石棺利用の祭壇
奥に最後の晩餐のレリーフ
16時過ぎ教会を出て、
1613分 バスでリヴォルタ・ダッダに向かう。
そのUに続く