モロッコ、何となくエキゾティックな響きを持っている。私にとってタンジェ以外は特に世界史の現場に立っていることを実感できそうという国ではなかったが、一度は訪れてみたい国だった。
しかし、モロッコの国についての知識は皆無といっていいほどだった。
国、住民、言語
日本人が日本に住み、日本語を話す、こういう当たり前のことが実はむしろ特別なことなのだ、ということが最近の旅行で実感としてよく分かってきた。
パッケージツアーなので、言葉の心配はいらない。トゥアレグ族とか、ベルベル人と言った名称は聞いたことがあったが、漠然とそういう人たちもいるけれど、モロッコにはモロッコ人が住んでいて、モロッコ語をしゃべるのだろう、くらいのことしか考えていなかった。
この国は先住ベルベル人のところに次々といろいろな人がやってきて、結局アラブ人がもたらしたイスラム教が広まり、アラブ人とベルベル人が混在している。言葉もアラビア語とベルベル語が話され、公用語がアラビア語だ、ということは来る前にガイドブックを開いて初めて知ったことだ。(フランスの植民地だったので、フランス語が通じる、ということは知っていたが)
このベルベル人は、モロッコだけに住んでいるのではなく、北アフリカ一帯に住んでいるという。アラビア語圏もずいぶん広い。
島国日本に住む人間としては考えられないことだ。
宗教
このところ、春にはイスラム圏に旅をしている。去年はイランだった。
イランでは女性には服装規定があった。お酒も飲めなかった。しかし、モスクや霊廟には入ることができた。
モロッコでは、観光客の服装は自由、お酒も飲める。例外的だが、マラケシュのホテルでは豚肉で作るハムもあった。しかし、モスクには入らせない。チュニジアからモロッコにかけてはイスラム教でもマリーク派法学派とやらで、異教徒のモスクへの立ち入りを禁じているのだ。
ヨーロッパで教会に行って、熱心にお祈りしているそばで壁画など見ている時、自分がとても無作法で恥ずかしく思われることがあった。信仰の場に異教徒を入れないというのは、筋が通ったことだとは思う。
それにしても国によって対処の仕方が違うものだ。
アフリカ、アトラスを越えて砂漠に行く、ともなると体力のあるうちでなければ、早いうちに、と参加を決めた。
しかし結果的にはヨーロッパ旅行と変わらない楽なツアーで、おふたりほど体調を崩された方がいらしたが、最高齢〈77歳〉の方はじめ殆どの方がお元気で旅を終えることができた。
楽、というのは
ツアーだとバス移動になるが、まず、道はいい。
エルフード近くになると多少ガタガタ道だが、さほどでもない。
砂漠の四輪駆動でいくところもたいした揺れではなかった。
外のお手洗いも青空という所はない。1時間半から二時間ごとにトイレストップ。〈砂漠でもいよいよ歩き始める、というところにちゃんとしたのがある〉 そうして、おおむね、綺麗。鍵がきかない、お水が殆どでない、というところも1,2箇所あったが、入るのに窮するというほど汚いところはなかった。
ただし、ホテル以外殆どのところがノーペーパーなので、ポケットティシュ、ウエットティシュは必携。また、ホテルにティッシュペーパーがおいてない所が多いので、化粧用にもティッシュは持っていく必要がある。
ホテル、アラブ人、ベルベル人というのは装飾好きなのかロビーは豪華、お部屋は豪華ではないが比較的広くてゆったりしていた。赤い水が出たホテルもあったが、私の部屋ではしばらく出しているうちに気にならない色になった。しかしお部屋によってはなかなか赤みがとれない、とこぼしていらっしゃる方もいらした。また鍵がかかりにくい、という所もないわけではなかったが、ヨーロッパでもこの程度はよくある、といった程度
モロッコの観光客は年間、500万人!(日本からは2万5千人)これを2010年には1000万人に増やしたいそうだ。そういうわけで、観光のための施設は整っているといえるだろう。
ということで、結構熟年でも大丈夫なツアーでした。
服装 説明会で、この時期は一番服装に困る時期で重ね着で調節するように、とのことだった。
ダウン、薄い中綿入り半コート、キルティングジャケット、一重のジャケットなど、ナイロン製でしわにならないものをかき集めて持っていった。一番よく着たのが、中綿入り半コート。また、大判のカシミアショールも役にたった。年によって違うと思うが寒さ対策の方が必要な時期だった。
読んだ本
旅のガイド
* 地球の歩き方
* 望遠郷 7 モロッコ 同朋社出版
* 来て見てモロッコ 小林けい 凱風社
イラスト一杯の楽しい本だが、最後に載せられている私市正年氏の歴史やモロッコという国についての解説が分かりやすくてとてもいい。
* モロッコ・オンザロード ロバート・ハリス 東京書籍
男性三人のモロッコ旅行。一人は写真家だけあって、写真が絵葉書的でないのがいい。男三人なら、怖いものなし。自由に旅行できてうらやましい。
好みがかたよっているかもしれませんが
『モロッコ流謫』 四方田犬彦 新潮社
ボウルズ論を中心としたモロッコ紀行
二つの賞を受けただけあって文章もいい。
『離散するユダヤ人』 小岸昭 岩波新書
1492年にスペインを追放されたユダヤ人の足跡を辿る、モロッコ、エジプト、イスラエルへの旅
12世紀半ば、ムワヒッド朝はスペイン南部を支配した。イスラムは宗教的には肝要で、税金さえ払えば、信仰は自由だったが、このベルベル人の王朝は非寛容で、そのため、マイモニデス(ユダヤ教の学者で、医者。サッラディーンの侍医にまでなった)はフェズに住んだ後カイロに移ったことも書かれていて、これまでの旅行と絡み合わせて面白かった。 『マグレブ、誘惑として』 小川国夫
ちょっと重いモロッコ一人旅 砂漠に一人住む日本人を訪ねたりしているのだが。
(モロッコ流謫 も後であげる、『春の砂漠』 も)フェズ、マラケシュ間はアトラスを越えず、北側を行っている。
砂漠は我々のツアーとは異なり、ワルザザードから南に下った砂漠。そこに一人暮らしの日本人を訪ねる話など、ちょっとつらかった。
モロッコが舞台になっている小説
『おばちゃまはアラブスパイ』 ドロシー・ギルマン 集英社文庫
CIA の任務でおばちゃまはモロッコに飛ぶ。
ドロシー・ギルマンて人、ツアーに行っては、旅行記代わりにスパイ小説を書いているのではないかと思うほど、一般的コースを行く。(ただし、砂漠はワルザザードから南をめざして、アルジェリア近くまで行くところがちょっと我々のコースとは違うが)
しかし スパイという者は政治や国際情勢にからんで活躍する。この作者、気楽に旅行をして、一冊ものした、という風に甘く捕らえては失礼だろう。
時代は1970年代、 モロッコの西(現在は 西サハラ) に住むサハラウィと称する遊牧民が独立しようとするのをモロッコ政府が押さえ込もうとしている、という情勢を背景に物語が進む。大体、こういうことがあったことすら私は知らなかった。
西サハラは『サハラ・アラブ民主共和国』という国をつくっているが現在もモロッコは西サハラの領有を主張していて、この国を認めずそのため、モロッコはアフリカ連合を脱退している。 またこの小説にはス−フィー派の僧が出てくる。くるくる回って瞑想に入る、というイスラムの一派で、トルコやエジプトにもいる。モスクや、霊廟を見たが、民衆はむしろスーフィーにすがっている、ということも初めて知った。
モロッコは〈アッラー・神・祖国の三位一体国家〉で、王は神のように国民に恵みをもたらし、かつ罰する。国民は神に従うように王を敬い、絶対服従する。−−『来て見てモロッコ』より私市氏の解説から ここからはみ出す人もいる、ということである。 映画『グッバイ・モロッコ』 も ヒロインはスーフィーに入りたくてモロッコにやってきたのだったことを思い出した。
この本は10年以上前に買って読んだのを旅行から戻って再読したのだが、今回読むといろいろなるほど、と思うことが多かった。 お薦めです。
モロッコという国は産業のバランスも良く、アフリカとしては豊かな国である。またフランスとの関係も深い。 2010年をめどにEU圏と自由貿易関係を結ぶことを目標としているという。
我々が旅行する直前に起きたカサブランカのテロ事件はイスラム原理主義者が起こしたものらしい。最近見たテレビでも、モスクの女性指導者を育成している様子と、自由が奪われるとしてそれに反対する女性の姿が放映されていた。観光客には見えないところで、この国もまたいろいろ矛盾を抱えているようだ。 『カスバの女』 胡桃沢耕史 光文社
スエズ運河が通れなくてタンジェで待機していた船の医者が、カスバの日本人に診察を頼まれる。身の上話を聞かされるが真実かどうか。 『春の砂漠』 平岩弓枝 文春文庫
上下二巻だが、モロッコが舞台であるのは、上巻の最初の方。あとは昼メロ。 買い物。
空港のお店の値段の高さは実に不愉快だった。
モロッコらしいお土産類はスークあるいはスーパーで買うにかぎります。現地の人が使うものは法外な値段はつけられないからか、安く手にいれられます。 買ってきたものをいくつか 私のお薦めはショール。考えてみればイスラムでは基本的に女性は髪をみせないので、ショールは必需品。そのせいか手頃なお値段でいいものがあります。(そのことを、そろそろ、イスラム圏はおしましにしようか、という今になって気づくなんて、、、)

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アンモナイト |
砂漠のバラ |
ファティマの手のペンダントトップ |

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タジンのミニチュア |
ブラウス |
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