9日目

ツェルマット〜シヨン城〜サン・モーリス〜マルティニー

8月4日(日)


今日はツェルマットを去る日である。 
早起きをしてマッターホルンの朝焼けをしっかりカメラにおさめた。

   
   
 
 
   
   

ホテルの電気自動車で荷物を駅まで運んでもらう(チップ5SF)

駅でスーツケース2個とキャリー一個をライゼゲペッケにする。(ローザンヌまで、キャリーは今日着く、というのでマルティニー駅留め)。ただし主人は出張帰りなのでブリーフケースを持ったまま。

ツェルマット854分発 

   
   

ヴィスプ 1002分着 1013分発アーグル着1031

 
 車窓からシヨン城が見える
 
レマン湖  お城とは反対側

1134分発ヴェイトーシヨン着
ここからの方がモントルーまで行くより近い。乗換が多かったが、お城は駅からすぐだった。 

シヨン城
二時間ほど見る。主人は13年前にもみたことがありブリーフケースが重いので休んでいるというので一人で奥まで行った岩をくりぬいたようなところや ちゃんとゴシック様式の柱のあるところなど、奥のほうもしっかり見た。写真を全然撮っていない。まあ 中は暗かったのだが。 
詩人バイロンの落書き〈サイン〉が有名だ。ビニールでおおってあった。また シヨン城の囚人ボニファテイールがつながれた柱もあった。氷河急行で御一緒だった日本の老婦人グループにもあった。他にも日本人ツアーの人たちもいたが ツアーの人たちはは奥まで来ないで手前の方だけ見てそそくさと出て行った。やはり個人だとマイペースで見られてよい。
ただ こうしてゆっくり見ているうちに昼食の時間がなくなってしまった。 
 
 
   
   
 
 

1408分発の電車で 逆コースをたどって 
サン・モーリス 1438着。
駅のレストランでラクレットが食べられるという情報があったが、14時でおしまい。昼食抜きとなった。 駅近くの教会が目的の教会と思いしばらくその周りをうろうろしていたが、中が新くて違うとわかり、
5分位大通りを行った先に教会を見つけた。

教会の受付できくと宝物館が開くのは1530分から、というので途中のカフェでコーヒーを飲んで一息入れた。

サン・モーリスという聖人は3世紀の終わりごろ、もともとはエジプトのルクソールのキリスト教徒の人々で構成されている、テーベ軍団の士官だった。現在のサン・モーリスの地で キリスト教徒が反乱を起こしたのでローマからモーリスの軍団に討伐が命じられたが、彼らはキリスト教徒を殺すことを拒否。1000人とも6600人ともいわれる軍団の人たちに対してマクシミリアン皇帝は虐殺を命じたが、彼らは立ち向かうことをせず、従容として死に赴いたという。 

サン・モーリス修道院は515年創設のスイス最古の修道院でここの宝物庫が素晴らしいのだ。
Abbaye de Saint-Maurice - Accueil Bienvenue English

時間になると10数人が集まる。入り口はまるで銀行の金庫室のように厚さ20p〈うろ覚え〉くらいもあるスティールの扉で守られている。 
シャルマーニュ帝の水差し、サードニックスの花瓶、テューデリックの小箱など逸品揃い。
私は聖モーリスの家臣だった
candidusの頭部に特にひかれた。毅然と死におもむいたことが偲ばれる凛とした表情がいい.
写真は 上記HPと 買ってきた絵葉書、小冊子から

   
 サードニクスのカメオは紀元前1世紀ごろとされる、 
グレコ・アレキサンドリアのもの。 
上下の宝石細工は カロリング朝に加工された 
シャルマーニュ大帝にもたらされたとされる
 黄金の水差し
 ビザンテインのものとされている
 
 テオドリックの櫃 7世紀
 司祭テオドリックが 聖モーリスをたたえてつくらせたもの
 
 聖モーリス の聖遺物匣 12,3世紀
 これは かなり大きかった(実際全身が入ると思われるほど)
左から聖ジャン(らしいが不明)、聖アンドレ、聖ヤコブ、聖フィリップ
 上のメダイヨンには  左から 
神に叱られているアダムとイヴ、楽園追放、 働くアダム
 
 聖カンディードの頭部聖遺物箱 1165年
 
 聖モーリス(12世紀)

それにしてもモーリスたちテーベ軍団の人々が痛ましい。この時は知らなかったが、これを書いている2012年は、前年にキプロスで〈セバステの40人兵士の殉教の絵〉を見た時、しきりに、このサン・モーリスの殉教を思い出していた。  

宝物庫を観終わると発掘中の6世紀ごろのカタコンベを見せられた。発掘現場には板が渡されていてその下にお墓の形をした穴があった。 
回廊は小ぶりでお花が咲いていてとても
(気持ちがよかった。

   
 回廊  教会入り口付近

夕方マルティニー(標高476m)

フォーラムホテル ここはレストランホテルとして有名で楽しみにしていたのだが残念ながら日曜日はレストランがお休み。
二人で250SFはするお料理なのでお財布が傷まないのは助かるがちょっとがっかり。 
ホテルで紹介していただいて町のトゥーリストというイタリアンレストランに行く。 

このマルティニーという町、ローマ軍は,この町をガリア侵攻の拠点としたため フォーラムなどが残っている。が もう夕方、山間のせいか暗くなるのが早いようだ。
うろおぼえだが ガロ・ロマン博物館に入ったか入ろうとして閉まっていて 外から覗いただけかも記憶にないのだが 何となく観たような気がするという情けない状態。主人にきいても、もうさっぱり記憶にないとか。小さな教会に行ったという記述はあったが。

夕食、主人は スパゲッティ ステーキ 私は 生ハムメロンとオッソブーコ これは 少々塩辛かった。 84.4SF〈ホテルのグルメレストランとは大違い〉