10日目

マルティニー〜グラン・サン・ベルナール〜アオスタ

8月5日


今日はグランサンベルナール峠を越えてイタリアのアオスタをめざす。アオスタのロマネスク教会がぜひとも観たいからだ。
朝食前にホテルの近くを散歩した。

 
 
 
 

朝、駅までホテルの御主人に送っていただく。

   
 ホテル前で  
 
 バイヤール塔(1260年)

マルティニーの駅にはこれから乗るグランサンベルナール・エキスプレスが停まっている。
この峠は雪が深くて遭難者がでる。そこでこの峠の修道院の修道士が犬をつれて救助したので車体にその犬の絵が描かれている。 

 
 
   
 

858分発の電車でオルシエール〈終点〉まで行く。927分着

 
 マルティニーの駅を出てすぐの景色
 
車内の わきテーブルに路線図。

930分発のバスに乗る。 
1025分峠着

このグラン・サン・ベルナール峠はローマ帝国が築いたものだが、アルプス越えのルートとして 古来多くの人は通ってきた。峠へとゆるゆるいろは坂を登って行くのだがその景色の雄大なこと!!

グランサンベルナール〈標高2469m〉もっとも高い峠道だが ガリアへの最短ルートとして造られた道。 
南にアオスタ、北にマルティニーという拠点の町を造り70キロメートルの距離をつなぐ道である。

途中ブール・サン・ピエールという村を通った。

カエサルが越えシャルマーニュ大帝が越えたこの峠道を18005月ナポレオンもジュネーヴからマルティニー経由で4万の大軍を率いて登ってきた。峠はまだ雪で通行できなかったので、道路整備用に木材と人足をやとったのだが その料金が未払いのままだった。 それを 1978年になってフランス大統領にこの村の村長が請求したという話がある。

峠でポストバスは終点。早速教会に行って見る。 
ところがここでもまたもや天井が豪華なバロック絵画でかざられているのだ。 
救難活動にあたるむくつけき〈?〉修道士がこんな華麗な教会でお祈りをするのか、と非常に驚いた。

 
ホスピス内の礼拝堂    写真は暗いがもっと雰囲気は 華やかだった 

それからセントバーナード犬の飼育所に行った。 まるで子牛ほどもあるおおきな犬が、狭い檻の中で寝そべっていて気持ちが悪かった。

ここで時間をとってロープウエイで登るとモンブランがよく見える、ということなのでそのプランだったが、少し曇っているのでよく見えない懸念があり、それよりもアオスタをゆっくり観光することにして 11時のバスに乗ることにした。

私は停留所はスイス側だと思っていたが、主人がどこかで聞いてきて湖の向こうだというので〈もう5分しかない〉と湖の周りを走った

途中 パスポートコントロールはある。さっとみせただけで通してもらえてバッグにしまうと、走りながら主人が「まだしまっちゃだめ、今度はイタリア側の検問だ」と叫ぶ。慌ててバッグから出そうとすると、係官は手をふりながら 見もしないで通してくれた。あとにも先にも国境を走って越えたという経験はない。バスはやはりスイス側からヨタヨタ走ってきた。アオスタへと下る道の景色もまた素晴らしかった。

       
イタリア側から見たホスピス(スイスにある)
左の赤いのがバス、この湖をまくように走ってこちら側に来た
 この途中に国境の検問所
 アオスタへと降りていく途中の景色

アオスタ 宿泊はホテルヨーロッパ。町中の観光に便利な場所にあるホテルだ。

 
 赤い旗が見えるところが ホテルヨーロッパ
 
 少し行くと 市庁舎

お昼なので調べておいたレストラン ピエモンテに行く

主人はスパゲッティとトラウト、 私は何だったのか記載なし。ワインは バローロ。
この町は アルプスへの拠点となっているのか観光客が多い。

城壁の外のサントルソ教会に行く。Church of Sant'Orso and Cloister Aosta Valley
(アオスタ渓谷のオフィシャルサイト、see film をクリックすると教会の写真が色々見られます。天井裏の様子も)
プレトリア門を抜ける。

   
   右奥が サントルソ教会
左にバー・サントルソがあり、
サントルソカクテルというメニューがあった
 
 サントルソ教会入り口

サントルソ教会11世紀ものなのだが、15世紀末にそれまでの天井の下にもう一つ天井が造られてしまったために 天井付近に描かれていたフレスコ画が見られなくなってしまったのだが、頼めば天井裏に上がって見せてもらえる。カルチャーセンターの講座で、ショップで頼むとよい、と聞いていた。そこでショップでつたないフランス語で 「壁画が見たい」と言いかけるやいなやそばにたっていた初老の男性が OK と言うようなそぶりをして、案内してくれた。祭壇わきの扉から物置のような所へ入る。
梯子みたいな階段がありそれをのぼって屋根裏に行く。昔の屋根と現在の天井の上、との間の壁に、ちゃんと壁画が残っていた。思いのほか色あざやかである。オットー朝といわれるが力強い感じの絵であった。印象深い絵で
15年たつた今でもはっきり思い出せる。
壁の下半分が亡くなっているのが本当に残念。

 
 湖で嵐に遭う、 イエスは 寝ている(この絵画特に印象深かった)
 
大ヤコブの捕縛 
 
 二人の天使

クリプトにもおりてみた。
中庭も静かで良かった。噴水が一つあるだけ、という簡素なものだが落ち着ける。回廊の柱は黒っぽい色で彫刻が面白い。

   
 
 
 回廊から鐘塔を見る
   
柱頭彫刻 買ってきた案内書より  

教会のお隣には 修道院があった。

   
 修道院1494年〜1506年  修道院の塔

それから向かいのサン・ロレンツォ教会に入ると、古い教会の発掘現場があった。5世紀の初期キリスト教建築の遺構である。 
さらに外のアウグストゥス門を見に行った。
(こに町を造ったのは初代ローマ皇帝アウグストゥス)
町の創設(紀元前25年)と同年代のもの。

 
   
アウグストゥス門  大聖堂の正面にアンセルムス像 

ローマ遺跡をみてまわった。少し雨がふってきた。城壁で囲まれている散策するのに丁度良い広さの町である。
ここは聖アンセルムス〈後にカンタベリの大司教になった〉が生まれた町でもあり、その生家をみた。 壁にプレートが貼られていた。丁度カルチャーセンターのキリスト教史で アンセルムスのことを習ったばかり(といっても思索の内容は知らない)なので家をみられただけでも嬉しかった。 

   
聖アンセルムスの生家  

あれこれお土産を買ったり久しぶりに町らしい町を堪能。

ローマ遺跡は発掘途中のようだった。

 
 
 
 

夕食は ホテルのレストランで。
主人はサラダとまたトラウト 私は 茄子ピーマンのアイオリソース、リゾット。 
ワインは アオスタの白。

コーヒーはサロンで。 ピアノのある気持ちいいサロンだった。