2時40分 バスでニコシアに向かう。
周りは 荒れ地。
3時30分 ニコシア、ホリデイ・インホテル着。
荷物をおいてすぐ北ニコシア観光に出発。
10分くらい歩いて検問所へ。北キプロス入国のスタンプをパスポートに押されると南に再入国できなくなるので別紙に名前、パスポート番号を書いて それにスタンプを押してもらう。
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赤いコートの人あたりが 検問所
これは ビデオからの切り取りだが、続く場面ではこの手前の男性は
検問がだめだったのか北に行く気がなかったのか 引き返すところが映っていた |
この用紙が 臨時パスポート
名前とパスポート番号は消してあります |
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この通路は 通れない |
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通らなかった通路の壁
写真を撮ってはいけなかったらしい。南北分断当時のものかと推測 |
ビュック・ハーンというキャラバンサライの横を通ってセリミエ・モスクに向かう。このモスクはもともとアヤ・ソフィアといってキリスト教の教会だった。
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トルコ風の少しごちゃごちゃした 街並み |
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ビュック・ハーン |
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観光ルートマップ |
セミリエ・モスク(アヤ・ソフィア大聖堂)
フランス王ルイ9世が第七次十字軍としてキプロスにやってきたときに連れてきた石工たちが造った(1326年完成)ので、フランスゴシックの建物になっている。
ジェノヴァ軍によって壊されたのをリューニジアン朝のジャン二世が1432年に修復。1570年オスマン・トルコの手にわたったため、トルコ風の鉛筆形ミナレットが付け加えられた。入り口前の広場には、お清めのための泉水もつけ加えられている。
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ミナレットが付けられている |
泉水もある |
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? (扉の上にわたしてある長方形の石)の彫刻が面白いのだが はっきりしない |
モスクなので 靴を脱いで入る。
内部の構造はまさにゴシックだが 真っ白に塗られている。ミフラブやミンバルが付けられ、床には絨毯が敷かれている。
本来ならステンドグラスが入っているはずの窓には すかし の凝った飾りが付けられて、これはこれできれいだった。 抹香くささがなくすっきり清潔な感じだ。
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メッカの方向を示すミフラブ 赤地がトルコ、 白地が北キプロス共和国の国旗 |
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中央とんがり屋根がついた 箱みたいなものが 説教者が話すためのミンバル |
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モスクを出て向こうはリューニジュアン朝の建物。
トルコとキプロスの旗が掲げられていた。
クマルジュラル・ハーンという隊商宿(残念ながら 閉まっていた)の横をとおり、ここは ハマム(トルコ式公衆浴場)です。といわれたところをみるとどうみても教会の入り口。旧教会の再利用だろう、それにしても教会がトルコ風呂だなんて。
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クマルジュラル・ハーン(隊商宿) |
多分隊商宿の一部 |
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ビュック・ハマム |
アタチュルク広場のヴェネツィアの円柱
郵便ポストは黄色だった。
もう日没。 ホテルに戻り 19時半の夕食には1時間以上時間があるのでまずはお風呂。このまま寝てしまいたいほどだが、頑張って夕食に降りて行った。4人欠席。
サラダ(多すぎ)
ラザニア ソースは美味しいのだが冷めていた。温めるよう要求して取り換えてもらった人も多かったが、私は面倒なのでそのまま。 暖かいものを手に入れた方に一ついただいたが、やはり熱々は美味しかった。
デザートは ライスプディング、甘―いトルコのデザートだ。飲み物は喉が渇いたのでビールにした(小で4ユーロ)
21時にお部屋に戻り少し片付けをして、21時半ごろ寝た。
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