ニコシア滞在(標高140m、トルコ語では レフコシャ) 今日の予定は北キプロス観光
2時頃一度目が覚め、5時20分の目覚ましで起きる。
6時30分朝食
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色々並んでいても私の分量はこの位
左のお皿の白いものはヨーグルトねっとり固まっている |
7時 部屋にもどり、身支度
8時 バスで 出発
今日は日程表にはないけれど帰りに北キプロスのキレニア(ギルネ)にも追加で連れて行ってくださることになった。(この旅行社は自由時間に行きたいところを書いておくと事情が許せば連れて行って下さる。自由時間はなさそうだがダメ元で 私はここにも行きたいと書いておいたので連れていって下さるのはとても嬉しい)
今日は昨日とは違う検問所で北側に行く。南キプロスの検問所はそのまま通過、北キプロスの検問所(8時30分)では、昨日のスタンプを押した紙をパスポートに挟んで添乗員さんに渡す。我々はバスにのったまま待つ。(5,6分)
先にサラミスに行く予定だったがお天気があやしいのでまずキレニアに行くことになった。
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何のモニュメントだ分からない(8時45分ごろ通った) |
ずいぶん走ったと思うがまだ ニコシア。
9時 キレニア門で写真ストップ。ニコシア旧市街を囲む城壁はビザンティン時代からあったが、現在のものは ヴェネチア統治時代(1489年〜1571年)のもの。前にアタチュルク像が建っている。)アタチュルクは トルコ建国の父とよばれる人で トルコ共和国 初代大統領(1923年〜1938年)
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キレニア門のそば |
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アタチュルク像とキレニア門 |
途中島の尾根になっているような 山地を越える。
9時40分ごろ、キレニア城到着 トルコ語では ギルネ
公園を横切り5分位歩いて、昔は跳ね橋であった橋を渡ってお城へ。
お城の入り口の(獅子と十字架)の紋章は リュージニャン朝(1192年〜1489年)のもの。
このお城は ビザンティン時代(330年から1191年)ニケフォロス二世(在位963年から969年)により築かれ、リュージニャン朝時代に拡大強化されたもの。その後 ヴェネツィア、オスマン・トルコと城の主は変わり、居城、要塞、牢獄などとして使われ、数々のエピソードもあるが割愛。(他のところでも参考にしたが、渋澤幸子著『キプロス島歴史散歩』がこのあたりのことについても詳しいのでお薦め)
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もとは 跳ね橋だったが 今は 石の橋
写真はのせていないが、
御堀だったところは 道路になっている |
お天気がよくないので 海が寂しい |
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城壁をくぐる |
入り口には錨もあった。オスマントルコの将軍の墓があった。
広い中庭。ここに軍隊が勢揃いしたのだろうか。中庭には キャラブ(イナゴマメ)という木があった。(キプロス島のいたるところで目にすることになる)キャラットという宝石の重さの単位の語源がこれ。実の重さが約0.1グラムでほぼ均一だからだそうだ。甘いシロップができるということだ。
周りを囲む建物は博物館になっている。
まずお城の歴史の説明
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青が ビザンティン、赤が リュージニャン、グレーが ヴェネツィア時代 |
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歴代のお城とその周辺の様子が 何枚も絵地図で表わされていた。これは AD200年頃 |
難破船博物館
2300年前!!サモス島〜ロードス島を経てキプロス島へ来た帆船が キプロスの港に入る直前に難破したのだが その残骸が1965年に発見された。その積み荷や船の残骸が展示されている。そういう昔から、このキレニアという町は交易の港町として栄えていたのだ。
アンフォラや 積まれていたアーモンドなどがあった(固い殻でおおわれた実は長く残る)。
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中央が発見された アーモンド |
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船の模型 このようにアンフォラが積まれていた |
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引き揚げられた船 |
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それから古代博物館に入った。ヒロキティアの遺跡はトルコのチャタルフュック遺跡などと並んでとても古い遺跡の一つだそうだ。キプロス島の歴史は古く旧石器時代生活の様子の模型、キリニというところのお墓の様子の模型などがあった。
お城には牢獄もあるらしいが、そこには行かず、しばらく自由時間。登りたい人は屋上へ、ということで屋上へいってみた。これが晴天ならば、と思わずにはいられなかったが、やはり海を見はるかす眺めは気持ちがいい。
少しバスに乗って ベッラパイス修道院の廃墟へ。 北キプロス観光の華とも言うべきところらしい。
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よく見るとアキ缶入れ |
途中の家は お花が綺麗 |
バスをおりて5分位あるいたが 素敵な花咲き乱れる家々の横を歩くのは楽しかった。
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どうやら何かの指導者の記念館のようだ |
ベッラパイス修道院は1206年エルサレムがサラッデイーンによって占領された時、キプロスに逃れてきたプレモントレ会の修道士たちが造った平和修道院が前身。
現在残っているのは 13世紀半ば、十字軍でやってきたフランスのルイ7世が残していったフランスの建築家、石工たちによって造られたゴシック式の建物。
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中庭、糸杉の何本かは300年ぐらい経っているそうだ |
廃墟といってもかなり残っていて美しい。屋根がないだけにのびやかさもあって気持ちがいい。晴れていたらさぞや、とつい思ってしまう。(今回の旅行中なんどこう思ったことか!)
修道院の食堂、寝室、クラスルームなどをみたあとは教会に入る。
何と!(でも当然かもしれないが)ゴシックの聖堂に不似合いなギリシャ正教の教会でイコンがいっぱい!違和感をもってしまった。そのあと回廊の上に上がって中庭をみおろした。
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遠くに海が見えるが いかんせんお天気が悪い |
修道院を出たところにはレモンとオレンジが一つの木になっている、という木があった。
そのUの続く
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