3日目

そのU

サラミス〜ファマグスタ〜ニコシア


1130分ごろ バスでサラミスに向かう途中、修道院の上からも見えたが、別荘地と思われるような新しい大きな家々の横を通った。
それから山の中に入って行く。

 
 面白い岩山 火山だろうか、 右にかなり大きい廃墟
 
とうとう雨が 降ってきた
  

何だか雨がポツリポツリ。

山間を抜けると左側は有刺鉄線。

ところどころに銃を持った兵士のポスターのようなものが
ぶら下がっている。

あとで聞いてみると軍の基地らしい。

13時近くにサラミスの豪華ホテルに着いた。

ホテル名はわからないが、一斉に皆
「ここに泊まりたーい」




ここで ビュッフェスタイルの昼食。お菓子の種類の多さにビックリ。 
スパイスが並んだ棚もあった。 胡椒、クミン、シナモン、ミント、タイムなど。

 
 ホテル内レストラン
 
 お菓子の方につい 目がいってしまう
   
   
   
   
   
 勿論あとでデザートは取りに行った  
  
  スパイス類

ここで自己紹介
総勢19名 御夫婦1組、男性一人参加3名 女性一人参加14
最高齢は80歳のおばあちゃま。とってもお元気だ。男性はリタイア組らしい。女性お二人はお若い方。あとは私が真ん中位の年齢かな。 

このツアーは通常のキプロス観光よりトロードス山中の壁画教会を観るチャンスが多い。ビザンティン美術に関心のある方が多いかと思ったがそういうわけでもなさそうだし、私が「ロマネスクに関心があるのでその関連でビザンティン美術も観たい」と言ったが、ロマネスクに特に関心がある方もいらっしゃらないようで、ちょっと意外な気がした。遺跡が趣味という男性はいらした。

1417分雨の中サラミス遺跡観光開始。

http://www.kitakipurosu.com/index1.php

 http://www.whatson-northcyprus.com/interest/famagusta/salamis/salamis_index.htm

私はサラミス、というとサラミスの海戦、を思い浮かべてしまうが、あのサラミスはギリシャにあり、キプロスではない。トロイ戦争のあと紀元前11世紀にサラミスの人たちがやってきて築いた町だそうだ。その後、アレキサンダー大王に征服され エジプトのプトレマイオス朝の時代をへて、BC60年からローマの支配下に入った。その頃いろいろ造られたが4世紀に大地震があり、そのコンスタンティウス皇帝によって再建され(コンスタンティアと呼ばれた)たが、648年アラブにより破壊され、人々はファマグスタに移ったということだった。

サラミス遺跡 

ギムナジウム、浴場、劇場などを見る。春ならばお花が咲き乱れてピクニック気分になれそうだが、雨ではひたすら寂しい廃墟だ。

   
 遺跡遠望  
   
モザイクの間にギリシャ文字の銘板
 
 ローマ時代のあとは キリスト教時代。 異教の神々はこのように(キリスト教徒によって偶像崇拝を排するとして)全て首が落とされている。バーミヤンの仏像はタリバーンによって破壊されたが、一神教の狭さを改めて感じてしまった。(もちろんそれぞれの宗教の信者の中に心ある人は沢山いたはずだ。 熱狂的というか凶暴な人が何かあると乱暴狼藉をはたらく、ということだ、そしてそれを容認する人も)
 
 
   
 モザイクも寄せ集め  壁には 色々 再利用の跡
 
 浴場
 
 浴場 スチームバス
数分歩いて 劇場へ
   
   

劇場は15千人収容。白いところがもともとあったところでグレーは修復再建された部分。雨はだんだん強くなる

 
 

少しバス移動して聖バルナバ修道院へ。
聖バルナバは聖パウロと共に伝道旅行をした人

 
 修道院中庭 短い折れた柱はサラミス遺跡のもの


修道院はイコンでいっぱい、

 
 
 
 
 
 
 
 
   
  

外に出て添乗員さんが「大雨だけれどちょっとだけ」と言って裏に回って、「あそこが聖バルナバのお墓です」と言われたので写真を撮った。家に帰って良く見ると教会らしきものがある。慌ててパソコンで検索してみると小さなかわいいギリシャ式教会。中にお墓がある。修道院より、こちらに来たかった(今思っても仕方がないが)

 
 左の道の奥に 建物、あれが 聖バルナバの墓所

また少しバス移動してお隣のファマグスタという町に行く。

ファマグスタは BBC3世紀、エジプトのプトレマイオス二世によって造られた。

1372年 ジェノヴァと争ったヴェネツィアが勝ってこの町を手にいれた。

ここの海のそばにオセロタワーがある。シェイクスピアの『オセロ』の舞台とされているところだ。(もともとオセロタワーなるものがあったわけではない。キプロスを舞台にした芝居なので、場所としてはここがピッタリと名付けたらしい)入り口にヴェネツィアのシンボル、ライオンのレリーフがある。

 
 オセロタワー入り口 中央、扉の上にライオンのレリーフ
 

高さ15m、幅8mの城壁。1492年見張りの塔としてヴェネツィアが築いたもの。

雨は土砂降り、おまけに風も吹き荒れて寒い。ガイドさんが塔の番人を探したがみつからない。こちらの人は 雨が降れば原則仕事はしないそうだ。
「きっと番人も家に帰ったのでしょう。ともかく雨宿りしましょう」ということでお菓子屋さん付き喫茶店へ駆け込む。とても素敵なお店だった。観光できなかったからか、好きな飲み物を自由に頼んでいいことになった。

   
   
 
 
 
 
 

一息ついたところで 聖ニコラス教会の観光だが、雨なので行きたくない人はこのままこの喫茶店で待っているように、ということで56人で出かけた。 ほんの5分位のところだった。

教会のお向かいはもとリュージニャン朝の王宮跡、ファッサードしか残っていない。そのお隣は教会の廃墟のようだ。
 
 
聖ニコラス教会 ここもゴシックの教会がモスクに転用されてララ・ムスタファ・モスクとなっている。 
 
 鐘塔の横に ミナレットが ついている
 
 はっきりしないが、 左にトルコ、右に北キプロスの旗

教会はリューヌジャン時代の1326年献堂。モスクなので 靴を脱いで入る。

ニコシアでみたのと同様内部が真っ白に塗られて明るい感じだ。やはり、ミンバル(説教者の立つ階段)とミフラブ(メッカの方向を示すニッチのようなところ)が付け加えられている。本来ならばステンドグラスが入っているはずの窓もイスラム教徒が飾るとこうなります、と言わんばかりの美しい透かし模様。繊細でとてもきれいだ。

   
 教会ならば 身廊 というべき部分  
 
 
 
 
 
 
 
 ミンバル
 

帰りに絵葉書を買う。添乗員さんは北キプロスの切手を買ってわけてくださった。 絵葉書を書いて出すチャンスはないが、現地ガイドに預けて 北に行く時にだして頂くようたのんでくださる、というので 一枚書いた。(なんと1226日に着いた)

1650 バスでホテルにむかう。

1810分 国境越えの検問所があり、パスポートに昨日の紙をはさんで渡してまとめてスタンプをもらい56分で通過。北側には 別にもう一人ガイドが付いたがこの方とはここでお別れ。

1830 ホテルに戻り、小休憩

今日の夕食は ニコシアの旧市街のライキ・イトニア地区にあるタベルナ。あまり時間がないし、湯ざめしても困るのでお風呂は後にして、着替えもなしで1930分フロントに集合。

バスでレストランの近くまで行き、最後は少し歩いてクセフォトというレストランに行った。民族レストランっぽい設え。ワインはサービスだったが、お味は?食後にキプロスコーヒー(つまりはトルココーヒー)を頼んだ。

  
レストラン内部。人が映っているので 天井近くだけ  
   
   
   
   
   
   
    

2125分ホテルに戻った。 
キプロス特産のコマンダリアという甘いデザートワインを買いたいという方がいらして、私も仲間に加わわった。コマンダリアというのはコマンドリーでつくられた甘いデザートワインのこと。
キプロス島というのは位置からも察せられるようにイスラエルに近い。十字軍が聖地に行く前に寄る場所としては最適なところ。ヨハネ騎士団やテンプル騎士団とも関係が深くアッコー陥落
(1291)の後、キプロス島に本拠地を置いたこともある。 コマンドリーとは農場や要塞の施設を備えた騎士団領の地図上の単。 

何軒かのスーパーをまわったが大きいところは閉まっていて、小さいところには置いていない。結局買えずにホテルに戻った。この時入った一つのミニスーパーは ルーマニアワインを置いてあって何だか感じが違うとおもったら、ここは ルーマニアのものを置いているスーパーで 店番のお嬢さんも金髪のルーマニア人らしい感じだった。ルーマニアからも出稼ぎにきているのかしら。もっと豊かそうな国に行けばいいのに。

22時 ホテルに帰り、入浴して寝た。