バス移動で港のそばに。
ずらりとレストランやお土産物屋さんが並んでいる。
その横を歩いてパフォス城へ。
中は大したものはない(殆んどがらんどう) しかし上に上がると眺めがいい。
私は聖ペテロがくくりつけられてそこで鞭打たれたという柱が見たいので、ガイドさんに場所を聞いていたら添乗員さんが「あとで皆で行きましょう」と言ってくださった。
自由時間なのでクラフトショップで ペンダント、それにスカーフや陶器、絵葉書(切手は絵葉書の枚数だけ売ってもらえる、たりないので他の人に権利を譲っていただいて必要枚数を購入)
12時 昼食 ギリシャ風サラダに続いてシーフード・メザ 今日は15皿
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タラモサラダ なめらかで美味しかった |
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お魚は一人一匹ずつなのか、めいめいに配られた |
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このお店サービスがよくて、ワインだけでなく、コーヒー、紅茶、さらにデザートのフルーツもおまけとして出てきた。
添乗員さんがお向かいの席にいらしたので、『栄光への脱出』という映画の話をして(まだ彼は生まれていないころなのか、映画は御存じなかった)「ユダヤ人たちがイスラエルに上陸できなくて 収容された場所がキプロスの英軍基地だった、今も英軍の基地があるそうだが、もし基地の近くを通ったら教えてください」とお願いした。
あとで歩いているとき、この映画をみた、という方とお話ししているうちに小学校時代の同級生と同じ大学で彼女を知っている、ということが分かった。(世の中、狭い)
13時40分 バスに5分位乗って聖ペテロの柱 のあるところへ。
この遺跡は 初期キリスト教時代のクリソポリティッサ大聖堂。全くの廃墟。
向こうに見えるギリシャ教会は聖キリキア教会。もとはリュージニャン朝のカトリック教会だったのが、ギリシャ正教会に変えられ現在は英国国教会となっている。いい雰囲気の建物で入ってみたかったが、聖パウロの柱をお願いしたのであまりにも要求ばかり多くても申し訳ないと思って言い出せなかった。
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うっすら床モザイクも残っている |
聖ペテロ鞭打ちの柱 |
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聖パウロはこの柱に縛られて鞭打たれたが、のちにローマ提督をキリスト教に改宗させたそうだ。
写真をとってバス移動
14時15分 ペトラ・トゥ・ロミュウ 海辺に降りるだけなのにどうやら入場料がいるらしい。(ガイドの方が払っているようだった)
海岸に降りる。ちょうど曇り空が晴れて日がさして海の色が美しい。
びっくりしたことにはこの海岸、砂でも岩でもなく、丸い石が敷き詰められている。まるで河原のようだ。記念にいくつか拾った。
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この岩の間の泡からアフロディテは生まれた。 雲間から太陽がのぞく寸前。うっすらレンブラント光線というか、 ヤコブの梯子が 見える。 |
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浜辺の石 |
願かけらしくて 紙切れ布切れが くくりつけられていた |
浜辺からあがって少しバス移動して上からも海岸の写真を撮る。
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奥が アフロディテ誕生の岩 |
バスは内陸に入って行く。添乗員さんに「あのフェンスで囲まれたところが英軍基地です」と言われる。丘の上の海を見下ろすところに赤い屋根の住宅が並んでいる。そういうわけでバスは海岸を走らないで内陸に入ったのだ。
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英軍キャンプ |
1878年英国はキプロス島をオスマントルコから譲り受け(露土戦争の結果)最初は借りていたが1925年からは植民地。1860年まで統治したが、キプロスは独立。しかし島内にまだ基地がある。地中海の東の端で中東に睨みをきかせるためには失うわけにはいかないのだろう。沖縄と同じだ。
そのVに続く
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