朝、日の出を見たい人は6時45分に集合。勿論参加、教会裏へ行った。少し曇っていたが、一日降ることはなかった。寒いけれど日の出前の空がとても美しい。まだか、まだかと待って、東の空に目を凝らす。眩しくて目がつかれてきた。気がつくと日が昇っていた。
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朝食 |
戻って 朝食
このホテルはロケーション抜群でお部屋も素敵だ。
もう一泊くらいしてお部屋でゆっくりくつろぐ時間もほしかった。
しかしシャワ-しかないことを思うと2泊で正解かな。
8時30分集合 バスのとまっているところまで 少し歩いて
8時45分出発
途中までは昨日のサン・クィリコ・ドルチャへと同じ道を行った。
9時42分ごろ サンタンティモ大修道院到着
http://www.antimo.it/pagine_en/00FRAME.html
トスカーナで最も有名なロマネスク建築だが、人里離れた場所なので、個人ではなかなか 行きにくいところ。ここに立ち寄ることが日程表に入っていたからこそこのツアーを選んだのでゾクゾクわくわくしながら足を止めては眺める。
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サンタンティモ修道院 |
この修道院は、812年以降に存在していたことは資料で確かめられているが、説として781年にカール大帝によって創設、というのがある。(352年に聖アンティムスが殉教した直後に造られた礼拝堂が元になっているという説もある)
有力なベネディクト会修道院であったが、13世紀には衰退1462年には廃院、19世紀末に修復作業開始、1979年に再建、1992年からはプレモントレ会の修道士たちが入っている。フランチェジーナ街道が近く、巡礼たちにとっては勿論、ローマへ行き来する皇帝たちにとっても大事な修道院だった。
現在残っている教会堂は1118年から建てられたもの。
5分くらい外で待って入る。ミサを見学。その間、北入口を見る。
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北扉口 |
扉口の左側柱には 彫刻 |
中に入る。入口から内部を撮る
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磔刑像は 12世紀ロマネスク |
ミサ。聖歌を聴いたことはこれまでにもあるので、今回特に感動はしなかった。でもこれに非常に感動した、とおっしゃる方もいらした。不信心者なので、まるでお芝居をみているみたいなんて思ってしまった。歌というかお祈りの声が 素晴らしくよくて。、またよく響く(天井は木造なのに)。もしかしたらマイクかな、と思ってしまった。(以前スペインのシロスで聞いた時はもっと声が小さかった)
ミサは長くてしんしんと冷えてきて早く終わってほしいなあという気分。 10時10分くらいまで続いた。やっと終わって自由に見て回る。 祭壇奥の磔刑像は12世紀のロマネスク。写真を撮ってはいけない、と勘違いしている方もいらしたようだが、NO PHOT の下にduring prays とあったので写真はOK。ただ暗いのであまりよい写真は取れなかった。
カベスタニーの工匠作といわれている柱頭彫刻は異彩をはなっていて素晴らしかった。カベスタニーはフランスのラングドック・ルション地方で、そこの彫刻は是非見たいのだが、まだ 行っていない。ここでたった一つだが、見られて嬉しかった。
吊りあがったアーモンド型の目が 特徴的なのだが、 残念ながら良く撮れていない。でも迫力ある彫刻であることは分かると思う。
その他の柱頭彫刻を見ると、いかにカベスタニーがユニークかが 良く分かる。
内部をみていると、ミサのあとで見学のため準備するということで外回りを見る。縞模様がはいった石はオニキス。西正面。正面の壁にアーチ型が見える。また一本は完全な柱。 もう一本 柱があったと思われ跡痕がある。これは以前、ポーチがあった名残。
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西正面 壁の中ほどの高さのところにアーチの跡が見える |
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外壁にはあきらかに12世紀以前と思われる彫刻が嵌め込まれている。
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右は 鐘楼 |
目を引くのは ニコポイア型といわれる聖母子像。周りに四福音書記者のシンボルらしきものも彫られている。イエス様が大きい。表記の説明によるとローカルば彫刻家による作品とある。カロリング朝と、12世紀の教会堂の間の時期 9~11世紀に サンタンティモⅢ というべき教会堂があったことが推測されその教会堂にあったものを12世紀の再建(サンテンティモⅳ) の際に利用したのだろうとされている。これは昨日見た、サンクイリコドルチャの サンタマリアアッスンタ教会に置かれていた石板の線刻に酷似している。
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参考として サン・クィリコ・ドルチャ |
四福音書記者は ライオン、牛、人、鷲であらわされる。サン・クィリコ・ドルチャと比べてみると、サンタンティモの右下の丸いところが 鷲 かとも思われるが どうだろう。
もう一つは 豊穣の角、これは古代ローマ時代のもので 近くのローマンヴィラの廃墟からのものだろうとされている。そのほかにも面白い彫刻がいくつもあった。
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豊穣の角 |
顔が一つの怪物(西正面の左壁中ほどの柱の上) |
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後陣部分 右の薄い色の部分が 12世紀のもの、下部の半円の出っ張りが 周歩廊のアプシス
左の粗い石組みは より古い部分、丸くなっているところが、あとで行く カロリング礼拝堂 |
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振り返るといかにもトスカーナといった景色が 広がっている。黄色いのはブドウ畑の黄葉、オリ-ブ、糸杉 |
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教会、向かって右は昔の廻廊と中庭、中央に井戸、右の粗い石組みは、上のほうの後陣の粗い石組み部分。
右手に見えるのは 修道士の宿舎
井戸はそれ以前にあったものの上に16世紀に造られた。現在も雨水をためている。 |
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修道士さんが見える |
外周りを見て もう内部の準備ができたらしいというので、また入る。
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入口上部左側 |
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右側 |
中に入るとライオン像(下左もライオンだと思う) もしかしたら、 もとは入口の外に置かれていたのではないか?
絵葉書などを買う。クリプトにも一人ずつ下りてみる。 ピエタのフレスコ画。
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クリプタ |
この教会は三廊式、天井は身廊の上は 木。側廊の天井は石造のトンネルヴォールトになっている。
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側廊は交差ヴォールト、身廊は 木組みの天井、
側廊との境には大アーケードの上にトリビューン(二階席)、クリアストーリー(高窓)を持つ本格的ロマネスク建築 |
またイタリアでは珍しいらしいが、後陣に周歩廊が設けられている。 これはフランスなどではよくあるのだが、巡礼たちがミサの間も邪魔にならずに聖遺物を見て回れるように、というのである。周歩廊には 三つ 小さな半円の出っ張り(アプシス)がある。
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中央のアプシス |
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周歩廊を示すためのいい写真が ないのだが
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左下 少し 丸くなっている |
中央祭壇の向こう側が 歩けるようになっていて、
上のフレスコ画が 見えている |
ところで、私は南扉口(中庭に面している方)の彫刻が見たいと思っていた。ある方のブログにその写真が出ていたので、コピーして持ってきている。そのコピーを絵葉書を売っている人(たぶん修道士)に見せて、これがみたいというと、目であそこ、いう風に示す。行ってみると鍵がかかっている。また戻るとあとで、 というしぐさ、現地ガイドのあさみさんが出番かと近づいてくる。絵葉書CDを売り終えて一緒に来い、というしぐさ。皆さんもう外にでているので気にはなるが、添乗員さんも知っているはずなので、あさみさんと一緒についていくと、その扉ではなく隣の部屋に。そうして あさみさんに延々と説明し始める。 私は皆さんをお待たせしているので気が気ではない。どうやらこの部屋も特別で特に希望すれば見せるという場所らしい。聖具室であるが、カロリング礼拝堂と呼ばれる部屋で、上記HPによると7世紀、でもカロリングとあるので8世紀だと思われる。
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入口左右の柱の彫刻がいい。ランゴバルド風。この修道院の起源についての一つの説に、770年にランゴバルド人がピストイアの修道院長タオに修道院建設を依頼した というのがあることを思い出す。 |
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壁には聖ベネディクトの事績を描いたフレスコ画、あさみさんの訳によると、13世紀、と言うがそうは見えない。上記のHpで確かめると15世紀が正しい。ジョバンニ・ダッシアーノ作) また この部屋の下にもクリプトがあるが、そこは修道士だけしか入れないそうだ。やっと説明が終わり写真を撮らせていただいて外に出る。
ここの扉口の彫刻はは本当に素晴らしい。10世紀のものだそうだ。
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まぐさ石の部分を拡大すると |
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上両脇の竜っぽい怪物(悪魔?)は サン・クィリコ・ドルチャや ピエンツァのサン・ヴィート教会と共通している。 |
饗庭孝男著『ヨーロッパ古寺巡礼』1995年刊 ではこの南扉口から入るようになっている。現在では修道士の宿舎に向かっているせいか、一般には見せない。でもお願いすれば快く見せていただける。お話はさっぱり分からないので、ひたすら彫刻を眺めて終わったころいそいで写真をとる。壁に少し痕があるがこれは 昔、回廊があったあと。(写真には写っていない)
かえりがけにそっとチップ(と言うのが適切な表現かどうか)に いくばくかをお渡しする。あさみさんが、それでよろしい、という風にうなづく。
皆様をお待たせしてしまって申し訳なさに身の縮む思いでバスに乗り込む。
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さようならサンタンティモ (バスの中から) |
10時55分~11時5分 バス
そのⅡに続く
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