4日目

11月10日

シエナ滞在 サン・ガルガノ修道院


 
土曜日 曇り 一時晴れ、 一時小雨

シエナ(標高322m)町の簡単な歴史

古代のことはよく分かっていない。ローマ時代は主要幹線道路から外れていたが、6世紀半ばにランゴバルド族が侵入して王国を築くと、幹線道路を支配していた東ローマを避けるため西寄りの道を造った。それがフランチェジーナ街道。この街道が通ることによって交易などでシエナは栄えることになった。12世紀に自治都市として独立。特に金融業が盛ん→モンテ・デイ・パスキ銀行1472年創業
シエナ自体は古代からの町だ、と主張して、ローマが狼に育てられた双子のロムヌスとレムス、の建国伝説を持つように、シエナは ロムルスに殺されたレムスの子である、セニウスとアスキウスが、狼と双子の像を携えて、ロムルスから逃れてこの地へやってきた、というおはなしを作り上げた。そのためシエナの町のあちこちで狼の乳を飲む双子の像が見られる。(ルーパ・セネーゼ といいシエナの町のシンボル。

 
 


トスカーナの都市としてフィレンツエに次ぐが、争いが絶えなかった。
重要な戦いは モンタペルティの戦い(1260年)でこの時はシエナが勝った。
フィレンツェに対して対抗意識を燃やし、文化が栄えたが1468年頃のペスト大流行で人口が半減したことや、戦争で衰退し、1559年にはトスカーナ大公国に組み入れられた。 

91年にイタリア個人旅行したとき、シエナにも来たかったが果たせなくて今回のシエナ5泊に期待大。  

715分 朝食

  

9時から徒歩で市内観光、ガイドはあさみさん
このホテルは 旧市街のはずれ、バスターミナルのあるグラムシ広場に面している。ホテル前を右に行き市腰坂をあがるとマッテオ広場。郵便局のある広場。
ゆっくり歩きながらまずサン・ドメニコ教会

 
ドメニコ教会入り口
 
 

1226年着工、1445年完成、ゴシック式内部は体育館のようにだだっ広い、単廊式で天井は木。トラスの屋根組が見える。ちょうどミサが終わるところだった。ここは昨日も見たソドマのフレスコ画がある。残念ながら内部は撮影禁止。

聖女カテリーナの祭壇にはソドマの「聖痕を受ける聖女カテリーナ」

  

聖女カテリーナ(13471380)シエナの生まれで聖痕を受けたといわれている。(上の絵の手の甲に赤い徴が見える)
丁度アヴィニョンに教皇庁があった時代で、グレゴリウス
11世を説得してローマに戻すのに功績があった。シエナの町の守護聖人である。
教会を出て横の坂道を少し降りる。向こうに大聖堂のクーポラが見える。

 
 丁度太陽が雲に隠れてしまって見にくいが、右に大聖堂、 左はマンジャの塔

そこから、サリンベーニ広場へ出て、バンキ・デ・ソプラ通りを行く。
トロメイ広場には、ルーパ・セネーゼ(1610年作)を乗せた塔が建っている。トロメイ館は13世紀(1270年まで遡れる)に建てられた。
昨日行ったモンテ・オリヴィエート・マッジョーレ修道院を開いたのはこの一族出身のベルナルド・トロメイだった。。

   
 サン・ベリーニ広場  トロメイ広場
トロメイ館の前にはっきりしないが 狼の乗る円柱

メルカンツィアの開廊のところで交わるバンキ・デ・ソット通りはフランチェジーナ街道の一部。
角にコントラーダ(地区)のマーク。

   
 お菓子屋さん  

道の名前はチッタ通りと名前が変わる。
キージ・サラチーニ館の中庭に入る。ここはキージ音楽アカデミーとして使われている。井戸がいい。

   
   
   
   

お店を覗きながら大聖堂へ

 
 ソーセージ屋さん
   
 ここは 下に書くように 拡大をこころみた新教会の
入口になるはずだったところ
 
シエナ大聖堂 Opa - the cathedral panorama museo the crypt baptistery of San Giovanni oratories of San Bernardino siena

先に洗礼堂へ、洗礼堂は裏から入るので教会横の階段を下りていく。途中で大雨になりいそいで洗礼堂に駆け込んだ。

 
 左の階段をおりてきた。 これは出てきたときに撮ったので雨はやんでいる

1317年から1325年にかけて建設された。上のホームページで Aをクリックすると 内部の様子が分かります。
置かれている大きな洗礼盤は ヤコボ・デッラ・クエルチャが全体のプランをたてた。洗礼盤の周りに六枚の青銅彫刻で洗礼者ヨハネの生涯が 表されている。ルネサンスのそうそうたる彫刻家の作品群である。

ザカリアの前に現れる天使 ヤコボ・デッラ・クエルチャ作 

 
 

ヨハネの誕生 ジョバンニ・デ・トゥリーノ

 
 

荒野で説教するヨハネ  ジョバンニ・ディ・トゥリーノ作

 
 

キリストの洗礼 ロレンツオ・ギベルティ作 

 
 
ヘロデの前のヨハネ ギベルティ
 
 

ヘロデの饗宴 ドナテッロ

 
 手前左 ヘロデ王にヨハネの首を差し出している。 仕切りの奥に楽隊 その奥左にヘロデの首を運ぶ兵士
(これがもっとも素晴らしいとされている彫刻、空間表現にスキャッチャートという技法が使われている))

シエナ派のきれいな祭壇画もあった。ロレンッオ・デ・ピエトロ(1412頃〜80)作。 天井もきれい。
 

出ると雨はやんでいた。今度は階段ではなく坂道を上がってドゥーモに行く。

シエナ大聖堂 最初の大聖堂は9世紀と考えられる。現在の建物は1179年に献堂式。その後徐々に建築が進み、1264年に一応完成。が1339年に大幅な改築プランがあった。従来の身廊を翼廊として翼廊部分を伸ばして身廊にする、というプラン。しかし これは1357年に放棄、1382年にファッサード、後陣完成。

建築期間が長かったので、ロマネスク的なところとゴシック的なところがある。
正面最上部のモザイクは 聖母戴冠

 
 

それにしても華やかな教会だ。

 
 大聖堂正面 左端 手前の円柱に ルーパ・セネーゼ
中に入ります。
 
 画像処理をして少し明るくしていますが、 中はかなり暗かった。縞しま柱に圧倒された。アーチなどを見るとロマネスク風だが、ゴージャス。 しかし暗い。
床モザイクが 素晴らしい。
ここにも ルーパ・セネーゼ。 床は石の象嵌細工
 シエナの狼の周りを他の都市の動物たちが囲んでいる
 
 
 
 嬰児虐殺

ニコラ・ピサーノの説教壇

 
 
 
 ピサの洗礼盤の彫刻より激しい。 十字架をY型にして 苦悩を強調
後陣の聖歌隊席奥のフラ・ジョバンニ・ダ・ヴェネツィアーノ作 木象嵌(1503-05)を見に行く。
『聖杯と書物』(下写真一番左)暗いので手ぶれしている。

 
 

それから ピッコローミニ図書館 に入る。
ピウス3世が叔父のピウス2世の残した蔵書を保管するためにつくったもの。壁画はピウ二世の生涯。
エレオノールとフェデリコ三世を娶せるピウス二世(下写真奥左側)、など

 
 

14世紀の楽譜本の展示(ガラス越しなので天井が映り込んでうまく撮れなかった)

   
   

天井もゴージャス

 
 

床は陶板、ピウス二世を表す三日月模様。ともかく華麗な室内だった。

ここで少しフリータイム。私はガイドのあさみさんに聞いて、洗礼者ヨハネ礼拝堂に行った。ここにはドナテッロ作の洗礼者ヨハネ像がある。残念なことに像はほぼ真っ黒、室内も暗いのではっきりは見えなかった。床にはアントーニオ・フェデリギの制作した大理石の洗礼盤 (1484年頃) が置かれている。アダムとイヴなどの彫刻が 施されている。 

   
 洗礼者ヨハネ(ドナテッロ作)  洗礼盤(1484年頃)

その後ショップでお買いもの。(奥にお手洗いがある)

カンポ広場へ向かうところからは そのUへ