6日目

11月12日
 

シエナ滞在 サンジミニャーノ、 モンテリジョーネへ


1112() 一日中雨

5時ごろ眼が覚める。5時半におきて身支度  
7時過ぎ朝食

 
 朝食、これでも今日は多め

一度部屋に戻ってから8時ごろ明日のフリータイムのためにバス事情を調べに外に出る。

ホテルの前がグラムシ広場でその広場全体がバスの発着所、シエナのバスターミナルなのだ。

アレッツオ行きのバス停を確認したくてあちこちひとつずつ停留所のポールを見て回る。
路線図にアレッツオが出ているところがない。
ふと見ると大きな電光掲示板のような案内板があって、それを見るとアレッツオ行きが出ていた。
ぐるぐるまわるので最初看板を見たときには気がつかなかったのだ。
乗り場はホテルの玄関を出て道を渡ったすぐのところ。
アレッツオという表示のあるブルーのバスがすでにとまっていて
(815)老婦人が一人立っている。
アレッツオ? と聞くとうなずいたので、安心してすぐ前の階段をおりて地下にあるバスの切符売り場へ。
明日のも買えるのかと聞くと、買えるというので、往復を買った
(6+6=12ユーロ、英語が通じる)

私の部屋は広場に面しているので、部屋に戻って窓から825分発のバスが少し遅れて出て行くのを見送った。 

9 バスで サン・ジミニャーノに出発 雨はかなり土砂降り

サン・ジミニャーノ (標高324)
この町は 塔のまち として有名。もともとエトルリア起源の町だがフランチェジーナ街道がピサーナ街道と合流する地点であったために町は発展。
1170年に自治都市となったが、1354年にはフィレンツエの版図に組み入れられた。この間貴族たち同士の抗争がありその防衛のためや富の象徴として 競い合って高い塔を建てた。72もあったそうだが、現在残っているのは14こういう塔は他の町にもあったが、町の発展に伴い不要なものとして解体された。しかしサン・ジミニャーノでは ペストなどの流行もあり、町が疲弊して改造の資力もないまま現在まで残っている、ということである。

バス駐車場から少し歩くと旧市街入口であるサン・ジョバンニ門に着いた。門の脇に大きくてきれいなスーパーがあり、帰りに寄りたい、などと言いあっていたが結局よらなかった。雨はやむ気配はない。
門をくぐると サン・ジョバンニ通り。緩やかな坂道を歩く。陶器、かばん、エノテカなどのお店が続いていて誘惑しきり。でも寄るひまはなく中心であるチステルナ広場へ。チステルナとは井戸のことで 1273年に建設されたもの。

 
 チステルナ広場

その続きの広場に大聖堂。塔はあちこちにある。雨なのでここでフリータイム。(多分10時頃ここに着いて11時半までだったと思う)

 
ドゥオーモ広場   正面大聖堂 左の灰色は グロッサの塔(1311年)その手前は ポポロ宮

雨、それも土砂降りに近い雨なので町を歩いて写真を撮ろうという気にもなれない。
すぐ大聖堂 Doumo/ Collggiate に入る。12世紀ロマネスクだが、ファッサードは何度も改修されている。教会に入る前に教会左横の教会美術博物館入口で入場料を払う。メモには5.5ユーロとあるが、これは教会美術館とこみかもしれない。内部撮影禁止。左右の壁にはぎっしりフレスコ画で埋めつくされている。左側は バルトロ・ディ・フレディ(1330頃〜1410)の旧約聖書の場面(1367)。右側はバルナ・ダ・シエナによる新約聖書の場面。それから ぎょっとするような地獄図絵(タッデオ・ディ・バルトロ)や 聖セバスチャンの殉教なども。一番楽しみにしていたのはここにはドメニコ・ギルランダイオ(144994)の絵があること。右奥に聖フィーナ礼拝堂があり(これをみるために入場料が必要、そこに聖女フィーナの死の告知の場面と葬儀の場面の絵がある。とても美しい。 

 
 聖女フィーナに死の告知をする聖グレゴリウス 1475年
 
 聖女フィーナの葬儀

左側廊から出ると、廻廊の一部だったと思しきテラスのようなところに出る。そこの奥の壁には ギルランダイオ(一説では弟子のサバスティアーノ・マイナルディ)作の「受胎告知」がある。ここは外なので色が少し薄くなっている。写真は撮っても大丈夫だった。

 
 「受胎告知」 ギルランダイオ

教会に沿った壁際には 洗礼盤( ジョバンニ・チェッコによって浅浮き彫りがほどこされている。1379)

 
 洗礼
 
 天使がタオルを持ってひかえている

ここを出て、さきほど入場料を払ったところに行き美術館にはいる。 
教会美術博物館
ロマネスク? もっと古そうな柱頭、それから木彫りの像などを見た。

   
   

1200年頃の着衣の磔刑像 14世紀後半の お告げの天使とマリアなど。 

 
 左 お告げの天使(1300年代後半シエナ彫刻)  磔刑像(1200年代初めトスカナ彫刻)   右マリア(ァ300年代後半、 シエナ彫刻)

ここを出て横のポポロ宮殿に行く。階段(上写真左)をあがると小さな売店がありそこで塔(トッレ・グロッサ、54メートル)に上る人も市立美術館に行く人もチケットを買う。どちらも5ユーロだが、結局5ユーロ払えば両方OKだった。

サン・ジミニャーノは 13〜15世紀にかけてフィレンツェとシエナの双方から多くの芸術家を招いて活動の場を提供したので、 素晴らしい作品があると楽しみにしていた。

市立美術館 

コッポ・ディ・マルコヴァルドの十字架像(1260年代)

 
 
 
 後ろ左右にフィリッピーノ・リッピの受胎告知 
後ろ中央は ピントリッキオの「栄光の聖母と二聖人」 前中央は分からない

ベネッツオ・ゴッッツオリの「玉座の聖母子と諸聖人」(1466) 後ろは ピントリッキオ(1511)

 
 
 
 これも ベネッツオ・ゴッツオリ 1466年 本当にきれい。

フィリッピーノ・リッピの「受胎告知」(1483年) 

   
プラスチックのカバーがかかっていて うまく写真が撮れなかった  

タッディオ・ディ・バルトロの「聖ジミニャーノの生涯」聖ジミニャーノは モディナ出身の聖人(4世紀)

 
 「司教サン・ジミニャーノの生涯」手に持っているのは当時のサン・ジミニャーノの町の模型

 そのほか 画家の名前は 分からないがきれいな 宗教画がいくつもあって、うっとり。

 
 バルトロメオ・ブルガリニ 聖母子と諸聖人
 
誰が描いたか分からない、 グイード・ダ・シエナの絵に似ているが 

絵をみる人は少なかったが、そのうち塔に上った人たちがおりてきて、「あらつ、絵も見ていいのね」と少し見ていらっしゃる方も。私は階段がいやなので塔にはのぼらなかった。

集合時間になったので広場に行くと、添乗員さんが「エノテカに頼んでおいたので試飲に行きましょう」シエナにずっと宿泊していて 先を急ぐ旅ではないので、こういうところは臨機応変。

行くとお店の御主人は大張りきりで椅子・テーブルを用意してくださっている。もうワインは3本買ってしまったのに。

その時M氏が奥様に「カバンを買ったよ」と見せていらっしゃる。奥様「あら 私もほしかった、お店はどこ?」私もカバンをお土産に買う予定だったことを思い出してくっついて行った。私は迷うたち、M夫人は即決。で先にエノテカに戻っていただいたが、イタリア語が御上手なM夫人は「お店の人にあなたにも割引してあげて、といっておいたわよ」ありがたい。主人はお財布をほしがっていたので、お財布と決められないままにショルダーバッグを二つ、ひとつは A4が入る大き目ともう一つはその一回り小さいもの。(サイズ違いなので、あとでスーツケースに詰めるとき小さいほうを大きいほうに入れることができた)お値段は1割くらいひいてもらえた。

エノテカに行くと おつまみにチーズがでて、それにバルサミコがかけられていて、とても美味しい。ワインは 特産の白ワイン、ヴェルナッチャ・デ・サンジミニャーノ 赤は キャンティ(2種類あったような) 

   
   

結局 お買いものは バルサミコ(12年もの、ワインよりずっとお高い)とトリュフ・サルサの瓶詰。バルサミコをお買いになった方が殆ど。ワインを買ったのは結局添乗員さん一人だけ。私はここの白も飲みやすくていいな、とは思った。1時間ぐらいここで過ごしたのだろうか。晴れていればこの小さな町をぶらつきたかったが、雨もまた良し、である。

そのUに続く