うす曇り、晴れ
今日は一日フリーの日、添乗員さんは希望者をフィレンツェに案内するということになっている。
行かなかったのは多分7人、二組の御夫婦はヴォルテッラへ、お二人はシエナ観光(体調を崩されて市内観光の日に休養を取られていた) そうして私はアレッツオへ。
朝食のあと、いろいろ準備。
カメラにビデオカメラ、教会が暗かったときのための懐中電灯、雨にそなえて傘やレインコート結構大荷物。
8時10分過ぎに部屋をでる。
ホテルの前がバス停というのはとても便利。25分発のアレッツオ行きはもう来ていた。
乗っているのは3人くらいだったが、発車前にはもう少し増えた。
前から2列目に座ったが、もう少し早くきて一番前にすわれば写真が撮りやすかったのに。
ほぼ定刻通りバスは出発
切符を買ったときに時刻表はもらってある。
それによると停車するところがあまり多くはなさそうだが、シエナの町を下りていく途中や、下の城壁のところなど何か所かとまった。
町を離れると雨上がりでまだ雲は多いが緑がきれい。空にはヤコブの梯子がみえる。道もいい。
途中も時刻表にはない停留所で下りたい人は運転手に言っているし、道端で切符らしきものをみせながら手を振ってバスをとめてもらっている人もいた。
途中唯一 中世風な町を通った。
この町はイタリアロマネスクの大先達 kik*ko様によると、
『トスカーナの贋作』の舞台となったルチニャーノ(lucignano)標高400m
旧市街が円形でとても趣のある町のようで行ってみたかった。
バスはこの町の下をまくようにして停留所にもとまったが、あたりは新市街らしく新しい人家だった。
10時5分(10分の遅れ)アレッツオの国鉄駅に着いた。
バス停の向こうにインフォーメーションがあったが、閉まっていた。(ネット情報でも夏期しか開いていないとあった) 駅でお手洗い。ホームを歩いて駅舎のきれたところ、有料(0.5ユーロ)。前で工事らしく3人くらい男の人がいていやだったが中はきれい。
それからタクシー乗り場へ。3人のドライバーたちがおしゃべり。
グロピナといったが知らないらしい。ローロチュッフェンナ、といいながらネットからコピーした地図をみせた。
グーグルマップの詳細なルートも。それで通じたようだ。スマホ(イタリアでは何というか知らないが) で調べてフンフン、分かったらしい。
値段を聞くと45ユーロというが 向こうで待っていてほしい、というと往復なら65くらいという。
それでOKなのだが、3人とも英語が分からない。往復というのも アレッツオ、グロピナ、手でいったりきたりで分かってもらえたらしい。向こうで30分、これがだめ、twentyの次が forty 。Thirtyを知らない。Twentyfiveは分かったので25分ということにした。少々遅れてもどうということはなかろう、と。
タクシーに乗ったのは10時20分少し前くらい。運転手さんは道を知らないらしかったので、プリントアウトしたものを渡そうとしたが、いい、という身振り。カーナビがついていたのだ。
どこそこを右とか、なんとかしょっちゅう指示の声が聞こえた。
おまけに、どこそこの角で誰それが待っている、とかのタクシー無線も聞こえてくる。
辺鄙なところへ行くので多少心配だったが、これなら安心。(バス会社の監視付き)
私は怖いと思ったことはないが、以前アイルランドの荒れ野でタクシーに乗って道を間違えられ、おまけに途中で値段の増額を言われた話をした時友人に「よく無事だったわね」と言われたので、そうだ、用心する必要があるのだ、と気がついたのだ。でも今回も杞憂だった。
道はアルノ川を越え、田舎としか言いようがないところを行く。
このあたりはヴァルダルノvaldaruno(アルノ渓谷)という地域。
道はいいのだがずっと殆ど人をみかけなかった。
グロピナに近くなったころ、鍬を二本肩に担いだ農夫が歩いていたと思うと、トラクターが行く、
おばあさんが後ろ手にかごをぶら下げて坂道を上っていく。そういうところなのだ。
11時少し前グロピナ着 La Pieve di Gropina 標高381メートル
http://www.borghiditoscana.net/eng/tuscany/arezzo/lorociuffenna/gropina.html(英語だが それほど詳しくはない)
http://www.terralauri.it/pieve/pieve_en.htm (これも英語)
お勧めサイト
http://www.firenzesegreta.com/index.php/curiosita-toscane/68-la-pieve-di-gropina-tra-simboli-oscuri-e
-misteriosi-ritrovamenti.html
地下と説教壇
http://www.firenzesegreta.com/index.php/curiosita-toscane/69-la-pieve-di-gropina-gli-albori-dellalto-medioevo
-quanto-e-terribile-questo-luogo-questa-e-proprio-la-casa-di-dio-questa-e-la-porta-del-cielo.html 柱頭彫刻
この二つが写真も多く説明も一番詳しいがイタリア語。
イタリア語を御存じでない方は(勿論私もダメなので、私のパソコンの場合)右クリックで翻訳、英語を選ぶといい。
(日本語翻訳は逐語訳で意味不明) 問い合わせは 写真の番号でもいいと思うが私がかけたのは055 917 2036
(閉まっていると困るので日本から確認したのだが英語が通じなくて大騒ぎの風。そのうちカタコト英語の人がでてきてなんとか日にちと時間を告げ、念のため前日添乗員さんをわずらわせて確認)
ちゃんと開いていた。勿論誰一人いない。山の中にしては結構な大きさの教会。
この地はもともとエトルリア人が住んでいた。彼らは川、ここではアルノ川の氾濫や、敵からの守りのためにこういう少し小高くなったところに集落を作って住んでした。(当時はKrupina)
またディアナ神殿もあったようだ。現在の教会は上の看板にもあるように12世紀のものである。地下にはおりられなかったが、この教会の地下には二つの教会の遺構があり、一つは5世紀にまで遡れる。もうひとつはロンゴバルド起源(8〜9世紀)のものである。
後に書くように、この地下の入口には鍵がかかっていて入らなかったのだが、今になって惜しまれる。 電話をかけるなりすれば あけてもらえることと思う。
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入ってみると、山奥の教会とは思えない広さ。12世紀ごろには かなりの人数がこのあたりに住んでいたのだろうか。
後陣のアーチ列が二段になっていて照明もあってか、雰囲気がとてもいい。誰も入ってくる気配もないので荷物を横にあった台に全てのせて カメラだけ持って歩きまわることにする。 |
ここの目玉は説教壇。右奥にそれらしきものが見える。
はやる気持ちをおさえて柱頭彫刻をゆっくり写真を撮りながらみていく。一本の柱の柱頭四面に同じ彫刻だが古いのと少し新しいのがある。修復したのと元のままのがあるようだ。
最初の三枚は同じ柱の三面、 このように同じ彫刻が四面に彫られている、以下一枚ずつ
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騎士 |
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ライオンまたは 虎 |
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ブドウ |
鷲 ウサギらしきものを捕まえている
鷲は知性、精神の象徴、兎は多産の象徴であるが、悪のシンボルともされる、
ここでは 後者であるかと思われる |
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栄光のキリスト |
サムソン(ライオンをも倒す怪力の持ち主だった) |
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左は 聖アンブロージオ
右は グリーンマン? |
欲望にたいする処罰
右の男性が顎鬚をひぱっているのは、怒りをあらわす古代からのしぐさ
中には ドラゴンがいる |
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アカンサス |
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ゆっくり見ているうちに誰か入ってきた。誰かと思ったら、ドライバーさん。
さていよいよ説教壇
制作年代については、『イタリア古寺巡礼』新潮社(とんぼの本) では 12世紀後半となっているが、上記のネットでは9世紀前半となっている。私は9世紀かどうかはともかく、12世紀後半までくだるようには思えないのだが、どうなのだろう)
まず全体。 横に後ろから見た写真も載せる
上正面
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中央は 福音書記者のシンボル、 鷲、人、ライオン。 でもルカを表す牛がいない。 |
上左
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セラフィム |
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上は 蛇になめ(咬ま)れている男、 下は 二股人魚だけれど、 尾にトゲトゲ |
下
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前の日本の柱をくねくね(結び目、ノット)がつないでいる。 二本の柱は父と子でそれを聖霊がつないでいる、 三位一体のシンボル、 と上記 サイトでは 説明しています。(この結び目、サン・クィリコ・ドルチャの 参事会教会でも見たことを思い出す)
最近読んだ『教会の怪物たち』 尾形希和子著 講談社選書メチエ によると
人魚の上の男性像は、魂の危険にさらされるキリスト教徒を表し、セイレーンは人間(=男)を脅かし危険に陥れる「罪」や「悪徳」の寓意であると解釈される、 とありました。
また この結び目を
神との契約を表すと言われる「ソロモンの結び目」に由来する「ソロモンの神殿の柱」とも呼ばれる、とありました。 至聖所をあらわすそうです。
あとで外から見る 後陣上部にもあるが、至聖所を示すのにふさわしいことになるようです。(14年7月16日追記)
また 裸ん坊万歳 は、両手を上げるのがお祈りのポーズなので、精霊降臨を表すと考えられているらしい。精霊降臨とルカが関係があるようです。 |
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裸で万歳 上のギザギザは 炎の舌をあらわすともとれるらしい(精霊降臨のさいの) |
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目隠ししようとしている者もいる。 後ろは撮らなかったが、12人いるそうだ。 |
次は 後陣 |
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彼も写真を撮っていた。ひとわたりみて地下へと思い、懐中電灯をもっておりかけたが閉まっていた。
おもての番号にかければ開けてもらえるのだろうが、まあいいか。とやめて外に出る。
アプシス外観と塔を見る。アプシス外側にはロンバルディアバンドがほどこされている。
よくみると、柱に結び目。
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アプシス |
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アーケード上段左端に結び目 右角中ほどに、鳥のレリーフのようなものは見える |
現地では気がつかなかったが、彫刻もあったようで、しっかり写真をとっていないのが悔しい。
上記のサイトは行く前から見てはいたが見方がいい加減だったので見落としが多多。それから正面に戻り少し下におりてみるが霧がかかっていて麓は見えない。
こんなに田舎にしては立派な教会だ。中世は栄えていたのだろうか。
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教会から少し下がったところ |
この道から来た |
11時30分ごろ 再びタクシーに乗りアレッツオに戻る。駅ではなく大聖堂に行ってもらう。料金は68、いくらかだった。5ユーロ紙幣がなかったので半端だが74ユーロ渡した。続きは そのUに
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