晴3時15分には目が覚め 4時30分に起き出して日記を書く
6時~身支度
7時30分朝食
8時15分 荷物出し、ひまなので9時15分まで持ってきた小説を読む(スペインでは教会の開く時間が遅いため、出発がゆっくりな日が多い)
9時30分 出発
朝はとても冷えたが、徐々に暖かくなってくる。白樺など少し黄葉が始まっている。グレゴリアン聖歌を流しながら添乗員さんがいろいろ説明。
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ホテルから見た風景 朝焼けのためまさに赤茶けた大地 |
だんだん奥地に向かう |
ヒースの枯れ残り見えた。
N234からBU903に入ると、森 岩山それから渓谷を進んでいく。とても景色がいい。動くバスから、間近にせまる岩壁の写真はうまく撮れない。これからむかうシロス修道院は9年前にも行ったが前とは反対方向からむかっているので景色は全く違い、こちらから行く方が断然すばらしい。
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左下には 川 和山の間を縫うように進む(右、カーテンが映ってしまった) |
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11時 サント・ドミンゴ・デ・シロス到着
バスを停めたところも前と違うのだがなんとなく村が一回り大きくなったような気がする。ホテルがふえている。
修道院に着いてまずトイレ、前来た時には修道院にはなく昼食ホテルでだったが、、。 私の話した限りでは他に二人がここを再訪。矢張り、「トイレができたのねえ」前は回りに殆ど何もなかったのに、、10年ひと昔、は本当だ。変わっていないのは修道院の有名な回廊の彫刻。
11時10分~40分 サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 Monasterio de Sant Domingo de Silos
西ゴート時代から修道院があり、10世紀には写本製作もしていたが、アル・マンスールの攻撃により荒廃していた。それをサン・ミリャン・デ・コゴーリャ(明日行くことになっている)の修道士ドミンゴ (リオハの大工の息子で自分の親類たちからなる技術者集団を率いて既に教会修復に実績を上げていた)が1041年招かれて修復工事をして出来たのがこの修道院。彼はその功により修道院長になった。現在の教会は18世紀に建て替えられたものであるが、回廊は12世紀のものが残っている。回廊が造られたのはサント・ドミンゴ(死後3年で聖別された)の死後で1088年~1157年といわれている。
この修道院、 全景写真を撮ることはできず、直ぐ、回廊に入ってしまった。(全景が見えるような広場がない)
回廊 Monestirs - Santo Domingo de Silos このサイトで すべての柱頭彫刻が見られます。
三人の工匠がかかわっているということだ。四隅の柱のうち三本と、南、東、北の 柱頭が第一の工匠、西側は 第二の工匠で、第一の工匠の模倣ともいわれている。南西の柱は第三の工匠によるもので時代が少し下ってゴシック期である。
二回目なので、余裕をもってじっくり見る。とくに四隅の大きな彫刻が有名でが、浅浮彫、と少し高浮彫になっているものがあることに気がついた。いずれにしても気品のある彫刻である。
南東隅 昇天、聖霊降臨
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イエスの昇天 |
ペンテコステ(聖霊再臨) |
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昇天を見上げる パウロ(ヨセフ?)ペテロ |
マリアは使徒より上に書かれているのは天井と地上の
橋渡しの役目だからだそうだ 神は手で表されている |
北東隅 埋葬、十字架降下
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イエスの埋葬と復活 |
十字架降下 |
北西隅 エマオの巡礼 トマスの不信
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左 エマオの巡礼 右、不信のトマ その右の柱頭の籠編みも第一の工匠の得意とするところ |
南西隅 ⒓世紀後半に造られた ゴシック彫刻
お告げと 聖母戴冠 エッサイの木 これは他とは違う工匠の作品でゴシック
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聖母戴冠 |
エッサイの樹 |
第一の工匠の作品
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上半身が女 下半身が鳥
ギリシャ神話では 食卓をあらして 王を困らせた、という 掠める女 |
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西側半分と南側は第二の工匠による柱頭彫刻
二本組みの柱は かなりくっついている。ドウブツテキ、ゲンソウテ、キ、デフォルメ的なものも製作し、植物模様もとりいれている。繊細な彫りの技巧、千の流れの移築示唆、多分に東方的、モサラベの影響(対称性とモサラベの影響)を受けている。
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御生誕と エジプト逃避 |
最後の晩餐 右は 洗足 |
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ハルピュイア |
植物に絡まる鹿 |
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怪物 |
柱の足元 |
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聖ドミンゴの墓 13世紀 |
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西側から中庭を見る |
北側回廊から |
北側回廊、奥には13世紀のマリア像 回廊の天井は どの側も14世紀ムデハル
この奥に乙女たちの門がある。(閉ざされていた)ここの柱頭彫刻がまた面白い。。
回廊をみたあとは薬局(ここからは カメラ禁止)。ここは前にも見たが、今回はちいさな博物館ができていてそこにも行った。(ご興味のおありの方は上記ホームページで。薬局や展示品のいくつかが見られます)
帰りにショップで買い物、グレゴリアン聖歌で「怒りの日」が入ったのがほしかったのに、前回はラテン語名をひかえていかななかったため 適当に買ったらはいっていなかった。今回はラテン語名をかいていって、それをみせたら、すぐに出してもらえた。うらやましいことに古本のところでYさんはゾディアックを一冊みつけられたそうである(ここがはいっているのではないが)。外に出て10分くらい自由時間があったが、10分では向こうの丘にはあがれない。門のあたりまで行く。洗濯場があった。現地人がカメラを指さして撮ってあげる、というジェスチャーをする。時間がないのに、と思いながら撮ってもらった。
村を出るとき、以前来たときに食事をしたレストランを見た。前ににいらした方もそこでとられたそうだ。
そのⅡへ
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