パレンシア 標高749m
予定よりパレンシアに早く着いたので添乗員さんは大聖堂に案内するという。
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バスから眺めたパレンシアの町(少し青海を帯びて写っている)
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橋しかみえないが 川は カリオン川 |
大聖堂の地下、クリプトに西ゴート時代の祭室があるのだ。これもみたいが、時間があれば私はサン・ファン・デ・バーニョスに行きたいとおもっていたので、時間が気になる。
バスの運転手が間違えて私たちをおろした教会がどうやら大聖堂ではなさそう。
サン・ミゲル教会だった。
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サン・ミゲル教会 |
これはこれで、エル・シッドとヒメナが結婚式を挙げたという由緒ある教会らしい。現在の教会は13世紀ゴシック。
どうやら大聖堂ではないことが判明したので8分くらい歩いて大聖堂へ。
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聖アントリン大聖堂 左はオビスボ門 |
ここも数々のみるべきものがあるが、急ぎ地下へ。案内人もちょっと驚いていた。
パレンシア大聖堂サン・アントリン地下祭室
もともとローマ時代のカタコンベだったところに、7世紀にフランスの殉教聖人アントリンの聖遺物がもたらされたので、この聖人を祀るための教会が建てられ、その後11世紀に(レオン王国のベルムダ三世とナバラ王国のサンチョ三世の合意によりアストリア風に教会が造られた。その上に、現在外から目にすることが出来る、14世紀ゴシック教会が建っている。
この地下、なんとなく霊気漂う雰囲気。
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西ゴート時代の部分は赤い台の奥、それより手前はロマネスク風時代にアストリア風
(オビエドのカマラ・サンタのように床から直接アーチが立ち上がっている)の造られた |
奥の西ゴート時代の部分。薄暗い。ローマのサン・クリメン教会の地下(古代ミトラ教の神殿がある)を思い出した。秘儀的空間といった趣。
よくみると柱頭彫刻がある。はっきり撮れていないのが残念。
赤い布をかけてるところから手前がサンチョ大王の作ったロマネスク部分。アストリア風だそうで床から直接アーチが立ち上がっている。
洗礼盤 (勝峰昭著 イスパニアロマネスク美術 では井戸となっている。ここから飲料水を汲み揚げ、またイザというときの逃げ道にも使われたと記されている)
も興味深いが時代は分からない。こういう模様はロマネスクにはないと思う、ペルシャ風だと思うがどうだろう。
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上の写真で赤い布のかかっている向こうから入り口方向を見る |
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上写真右奥、壺の向こうに洗礼盤か何かの
跡があった |
壁には窓(ニッチのようにも思えるが隅切りがされている)
が開けられているが塞がっていた |
この教会の案内書がほしかったが、そういうものを売っているところが見当たらなかった。
地下からあがって教会内部を15分くらい見る。私はあせった。
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聖体礼拝堂 バルマセダ作レターブル (1529年) |
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これについての詳細は分からないが、プラテレスコ(ムデハル風ルネッサンス)だ。
これは地下の洗礼盤の側面装飾に似ている |
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サン・ミゲル礼拝堂のステンドグラス |
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ゴシックなんていいではないか、そのうち添乗員さんが、運転手との約束の時間を思い出して教会を出ることにしたので、やれやれ、バスの待っている場所へと急ぐ。
ホテルに着いて添乗員さんが手続きをしている間にタクシーを頼む。
ホテルは ACパレンシア
お部屋に入り荷物をおいていそいでホテルの玄関へ。
18時15分〜 25分 タクシー
バニョス・デ・ラ・セナート(セラート温泉)という小さな村へ。
ここの村はずれに
サン・ファン・デ・バニョス教会 Basilica de San Juan de banos de Cerrato がある。
661年に西ゴート王 レセスピントによって建てられた聖堂である。
すでに閉まっていて中には入れなかった。(下調べでは19時まで開いているはずだが、張り紙には18時まで、とか書いてあるような)でも緑の中に建つ姿はおりからの夕陽に輝いて息をのむほど非常に美しく、入れなくてもここまで来た甲斐はあった、と満足した。
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サン・ファン・デ・バニョス教会 |
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西正面
上下の馬蹄形アーチが素晴らしい |
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入口 柱の円花模様が 特徴的
現代の格子にもこれをとりいれている |
南壁面装飾 |
側壁のフリーズ 後陣の馬蹄形の窓もいい。透かし彫りの格子がはいっているが、これは西ゴートというよりアストリア風ではないかと素人の私は考えた。(後年入れたらしい)
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後陣 向こうにタクシーと運転手さん
向こうが バーニョス・デ・セナートの村 |
馬蹄形窓にアストリア風透かし彫り格子が嵌められている |
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上部の窓にも透かし彫の格子がはいっているが、もとはスリットだけだったのか、とも思う |
この旅の途中で手にいれた パレンシア・ロマネスク の本には水場の写真が出ていた。(帰ってスペイン語の辞書を片手に何とか解読すると、<教会に隣接して奇跡の(milagrosa)水が流れている>とあり、これによって レセスピント王は腎臓疾患を治したそうだ。
西ゴート王国は王位が世襲制ではなくゴート族の中から選挙によって選ばれると第四回トレド宗教会議で定められており、剃髪者、解放奴隷、帰化人は王になれないとされていたそうだ。
そこで王位から引き下ろすのに《毒を飲ませて、寝ている間に頭を剃り、僧服を着せる》という方法があったそうだ。レセスピントの父、チンダスピントも毒を飲まされ、寝ている間に頭を剃られたので王位をおり、息子(本当はチンダスピントを亡き者にして自分が王になろうとした、別の競争者を退けて)が王となった。チンダスピントは自分が王の資格をなくしたことを知ってその後修道院で暮らしたそうだ。(こういう例は他の王にもある。無残な殺され方をするよりいいように思うが、無念ではあったろう)
西ゴート王国は 王位を狙う貴族間の争いや農業の不作など、困難なことが多く、王位を長く保ったものはいなかったが、そのなかにあって、レセスピントは摂政時代も含めて23年間 国を治め672年に亡くなった。
そういう王にとって、ここは安らぎの場所であったのであろう。
以前ここにいらしたことのあるYさんによると「すぐ横に階段があってそこを降りるとあったような、、」とおっしゃっていたが、見まわすと右手の道路を隔てたところにそれらしき柵がある。おりていってみると水の出口があった。
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左上に教会がうっすら見える
ここにも馬蹄形アーチが使われている |
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よく読めないが現在は飲んではいけないらしい
この連続円花紋をここのシンボルマークにしているようだ |
banosは温泉ではなく鉱泉なのだろう。鉱泉を背に眺めた景色
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本当に村外れにポツンと建っているのです。
もしかしたらここも数十年前は地面に石が貼られているのではなくこの上の上の写真のような荒れ地だったのかもしれない。
パレンシアという都市の近郊なので 近年名所として整備されたのではないか、という気がします。 |
今日は暖かくて風が心地よい。しばらく風にふかれて佇んでいた。
いよいよ旅も最後、この最後の最後にここへ一人で来られて本当に良かった。
1350年前の教会を目にし、壁に手を触れる。
王が心身をいやすために建てたのだが、その後どれだけの人々がここで祈りをささげたことだろう。しかし石の建物、そういう人々の想いを入れる器であっても、器自身が何かを語るわけではない。ただただ、そこにあるだけ。人々の願い、祈りもどこ吹く風なのだ。
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私がいた間に来ていたのは あの人たちだけ |
何度も何度も振り返ってみる。私にとってこの旅で一番至福の時であった。
19時10分にはホテルに戻った。 タクシー代は 30?5(チップ)=35ユーロ
20時の夕食までに入浴は少しきついので本などながめて過ごした。
小さ目のホテルで外観がぱっとしないので、ヤレヤレと思ったが入ってみると、室内は新しく清潔。シンプル・モダンで気に入った。よくみるとACパレンシアの後ろにマリオットが付いていた。マリオット系列だからいいほうのホテルに属しているのだ。
レストランもモダンだ。
20時〜21時30分 夕食
入浴しなかったので私はお着替えなしだったが、みなさんそれぞれ最後の晩餐にそなえておめかし。あれれ、しまった。
アスパラガスのグラタン (ソースにキノコやハムがはいっていて美味しかった)
ポークステーキ 生野菜添え (さほどでもない)
デザート カスタードプリン
ワイン、コーヒーは サービス
とうとう旅も今日でおしまい。 あとはパッキング、 明日は早い。
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