2日目
10月5日(水)

エッセン~ゼルム~ゾースト~パーダーボルン

そのⅠ エッセン




エッセンといえばルール工業地帯の中心地でクルップ財閥(映画、地獄に堕ちた勇者ども のモデルにもされた)の根拠地として有名であるが、ここにロマネスク教会があるとはこれまで知らなかった。 
昨夜は11:20頃寝て、夜中1:00,2:00、4:00に目が覚め4:30頃起き出して、すこし今日の予習。

6:30~朝食 ここは たいしたホテルではないので朝食がどうか、、?と添乗員の江間さんがおっしゃていたが、これで充分。

   
   
出発までホテルの前に出てみた。 前が緑の広場になっていて、まわりも落ち着いたビル街で気持ちのよいところだった。

 
 

中心部からは離れているが、グーグルマップでみると大聖堂まで徒歩16分歩ける距離だがバスで行った。

9:00 ホテル出発

今日の行程地図(明日の分も載せた。 黄色い星印が観光箇所
 
 
バスを止められる場所をさがしてぐるぐる回り、結局少し離れたところから歩いた。
大聖堂ののガイドが来るまでしばらく周りを歩きまわって、9:40 見学
開始最近の Googleマップはよくできていて主要都市は 3D画像が得られます。


 
 
   
 前庭から教会を見る。 左 赤い旗が立っているところが
二つのの教会をつなぐ中庭になっている。 下図 1 にいる。
 ザンクト・ヨハン・バプティスト教会
後期ゴシックの教区教会 下図 2を 外から見ている
エッセン大聖堂 Essen Dom
公式ホームページ http://www.dom-essen.de/ Architektur and Kunst をクリック、左の一番上Panorama-Rndblick をクリックすると教会内部の写真が見られます。
850年に王族や高位貴族のための女子修道院がこの地に建てられ、教会は870年までには建てられていた。これはしかし火災で消失。
マティルデ院長(オットー1世の孫娘 在位9711011)が971年ごろに起工し、テオファノ院長(オットー2世の孫娘 在位10391058)が完成させたテオファヌ・バウ(1058頃完成)の一部(西構えとクリプタの一部)が現存している。身廊以東は13世紀以降のゴシック建築である。
 
 
 
 上の赤い旗のところから入る。左は教区教会、右が大聖堂 上の平面図 5
なお、この柱頭に注目 さいころ柱頭、あるいは方円柱頭とよばれるタイプである。
 このシンプルな柱頭にこれから多くであうことになる。
ここは 現在小さな中庭 中庭を隔ててゴシックの教区教会 ザンクト・ヨハン・バプティストがある。
   
 平面図26  
3塔を持つ 典型的なヴェストヴェルクタイプである。
内部写真を先に載せる。
 
 平面図 6に立って8を見ている  

八角形の辺 アーヘン大聖堂のオクタゴンを摸したものと考えられているそうだ。ここはもと尼僧院で皇帝の御座所ではなく尼僧のためなので、岡野氏はヴェストヴェルクではなく、ヴェストバウとしている。

中庭を向こう側に抜けて回廊を見ながら進み 教会内部へ。回廊はゴシックで、中庭には聖職者のお墓がある。

   
   
入って右奥、つまり ヴェストバウのところに7枝燭台がある。
エストニアで見て以来
http://ykharuka.s113.xrea.com/balt2013/main.html    10日目そのⅡ)気になっていて、ぜひともエッセンのものも見てみたいと思っていたので、感動。(1000年頃のもの)

   
 
この教会のお宝は 黄金のマドンナ 980年ごろの作 78cm .。薄暗い奥に金色燦然と輝いていた
木像に金をかぶせたもの。 目はエマーユ 異様な感じ。マリア様が手にもっているのを岡野氏はリンゴとしている。
細かいことは省くが 
リンゴは原罪の果実、それを手にすることによって、マリアが救済史にかかわることを表している、とみることができるそうだ。。原罪の果実が原罪を贖う果実となったことを示しているらしい。無原罪のマリアが救済者たるイエスを生むことによって。(神学的なことはよくわからないが、、、) 

東の祭室、身廊などはゴシック期でハレンキルヘタイプ(身廊と側廊の高さが同じ)

   
   
それから 東のクリプタを見に行った。オットー朝の名残りが一部存在する、と本にはあったが、どこが該当するのかわからなかった。
 
Altfridの石棺 (850年ごろ、この尼僧院のきそを築いた人) 

結構早々と出てしまった。Shopにあるトイレに案内するという。Shopは宝物館の一階。
ガイドに「マティルダ・クロス?」と聞くと二階へ案内してくれた。なんと入場無料。
マティルダ・クロス Otto-Mathilden-Kreuz 983年ごろ)3基ある。さらにテオファノクロスとよばれるものもあった。宝石やエマイユで飾られている。裏には線刻が施されている。大きさはどれも高さ45cmくらい。ガラス越しにため息をつきながら鑑賞。カメラ禁止なので買ってきた本『DER ESSENER DOMSCHATZ』から写真拝借。 

   
 マティルダクロス 1000~1020エッセン  マティルダクロス 983年頃 トリアー?
   
 マティルダクロス 1051~54 エッセン  テオファノクロス 1040~1050 エッセン

おりて、そうそう(クラウンをみなければ、また走って観に行く。ツアーのかたたちも何人か一緒に。ゴールデン・マドンナに載せられていた冠だ。(内径11.8cm)3歳のオットーⅢが983年にアーヘンで戴冠したときの冠だったと推測されている。マティㇽダ院長はオットーⅢの叔母で洗礼代母だった。

 
 

コスマスとダミアヌスの剣もあった。カメラ禁止なので、少し重かったが本を買った。もう一度、教会西側部分と7枝燭台を観たかったが時間がなさそうなのであきらめた。
10:45 ここを出て10分ほど歩いてバス移動 ゼルムに向かう。
 そのⅡへ