15:00 ブリンディシ
アドリア海が切れ込んだ湾の奥にあり、天然の良港であったため、古代ローマ、ノルマン時代に海上交易の中心地として栄えた。
古代ローマ以降、ランゴバルト人やビザンツ帝国の争いの場だったが1071年ノルマン人が支配者となった。
現在もギリシャ行きのフェリーが出ているが、聖地を目指す巡礼たち、勿論十字軍も多くここから出発した。
ローマから続くアッピア街道の終点がここブリンディシである。
海に面した公園。 お天気がいいので 空も海も真っ青。
階段を上がってアッピア街道の終点を示すローマの円柱(1、2世紀ごろ)コロンナを見に行った。高さ18.74m。当時のランドマーク。柱頭の彫刻はレプリカ。
通りの向こうのアーチを抜けると大聖堂広場。ターラントと違って街はすっきりしている。
大聖堂 http://www.cattedralebrindisi.it/public/sezione.asp?s=2
1143年ルジェーロ2世の時代に建てられ、1225年 フリードリッヒ2世はエルサレム王女ヨランダとここで結婚式をあげた。
当初はロマネスクであったが1743年の大地震で崩壊再建されてファッサードは バロックになっているが、内部に12世紀の床モザイクが残っている。ガラス越しに見る。
エミール・マールによると ここには ロランの歌の場面があったはずだが しかとはわからなかった。
このあと小道を辿り、
サン・ジョバンニ・セポルコロ教会へ San Giovanni Al Sepolcro
11世紀に建てられた教会を 128年ボエモン(ロベール・ギスカールの長男、ターラント公)が改築
ボエモンは第一回十字軍の指導者の一人でアンティオキア公でもあったのでエルサレムの聖墳墓教会へのオマージュといいうのもうなづける。
円形がみてとれるが入口は 一昨年のイタリア旅行でよくお目にかかった(モデナ、 フィデンツァなど)プロテュルムっがつけられている。
ロマネスクファンの目を奪うのは扉口の彫刻。実に素晴らしい。大理石だと思うがまるで 雪花石膏のように滑らかな透明感さえ感じさせる石に彫られていた。
すぐ上右は女のケンタウロス? このように、雪花石膏のような透明感のある白く滑らかな石だった。
柱頭彫刻
素晴らしい彫刻でなかなか中に入る気になれない。漸く最後に中に入る。
中央は8本の柱のサークル、 床に一部、下がのぞけるようになっている所があった。(下写真中央の鉄柵で囲ってあるところ。見るほどもない)ここはローマ時代 A.D1世紀の遺構があったところである。壁には13〜14世紀のフレスコ画がうっすら残っている。ビザンチンスタイル。
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右は聖ジョージ? |
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A.D1世紀頃の遺跡跡 |
船の落書き |
脇の扉口私邸の庭に通じているので 普段は開けない、というところもあけていただけた。
ここの彫刻がまた実にいい。正面とは違ったスタイル。 横の壁に帰還した十字軍兵士による、と言われる船の落書きがあった。(上右写真)
上と内側が唐草模様で 外側は動物。 こちらの方が正面入り口より古そうだ。各コマの仕切りの模様が珍しい。
ここの彫刻が気にいって、去りがたかった。 この町のもう一つのロマネスク教会へ。
写真が多くなってきたので そのVへ
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