6日目  3月11日(土)

オトラント~ビトント~バーリ~ビシェリエ

ビトント大聖堂



今日は出発が早い。
朝食レストランは 6:30~で、モタモタしていると間にあわなくなりそうなので、部屋で昨日の残りのお菓子で済ませた。
もちろん冷たくなっているが紅茶もある。わびしいが、私のおなかには十分。
 
 
 
 

7:30出発   今日も快晴

高速道路の両側ともオリーブ畑 殺風景なので、小説を読んで過ごした。

9:15頃 トイレストップ

バーリ近く 畑の中にトゥッルリのような白い物が見えた。

バーリで現地ガイドのラリ-ナさんをのせてビトントへ。

10:30 ビトント到着

ビトントBitonto (標高18m)

アドリア海から7km内陸に入ったところにある。ロンゴバルト時代には離宮が置かれ、フリードリッヒ2世の居城も築かれた町。
14世紀にアンジュー家(フリードリッヒ2世の子の時代のあとアンジュー家が南イタリアを支配した)が建てた塔の近くでバスを降りた。

カヴール広場 

 
 

上写真の門から入り、タワーを左に見ながら細い道を進み、途中右に折れると大聖堂の塔が見えてきた。

   
   小路の奥が大聖堂の鐘塔

ビトント大聖堂  La Cattedrale di S.Maria Assunta et S.Valentino

1085年、ロベール・ギスカールが建てた、と金沢百枝さんは書いているが、着工ということだろう。買ってきたPAMPHLETでは12世紀とある。看板の説明も12世紀後半になっている。バーリのサン・ニコラ聖堂を真似て建てられたもので、プーリア・ロマネスクの典型と言われている。

大聖堂東側、南側です。 窓の周り、プーリアではおなじみの飛び出し飾りが付けられている。

   
   東側窓の 飛び出し彫刻

正面全体の写真が撮れなかった(どうしても人が写ってしまうので、消えるのをまっていたら、中に入るのが最後になってしまい、帰りに撮ろうと思ったら北側に出てしまった。しかたがないのでGoogleマップのストリートビューでひろったものを拝借。)とんぼの本では、聖堂正面に塀を建てるのはランゴバルドならでは、のスタイルとあった。ただ残念なことに、行く前にこの本を読んだのに、失念して塀の外から写真は撮らなかった。 

 
 

プーリア・ロマネスクの特徴として アーチ等の彫りこみ、というか重ねが薄い。日差しが強いので深いと影が濃くなりすぎるから、とカルチャー講座で説明されたことを思い出した。南側上のギャラリー、 細い柱を支えるのは矢張り逆三角形柱頭。

   
   
南側ギャラリーの下には6つのアーチアがある。アーチ内はざっと流し撮りしただけであったが、帰ってから気がついた。ものすごく繊細、きちんと撮っておかなかったのが悔やまれる。
14世紀とパンフレットにはある、ノルマンのギザギザアーチ。そうして透かし彫りのような装飾はアラブだ。そのお隣のアーチ内の彫刻、こんなところに 二股人魚

  
 
   
   

平面図、立面図

 
   

西正面

 正面入り口  両脇の柱、 下にライオン、 上は  ペリカン


タンパン彫刻 

 
 

中央のキリストが誰かの腕をつかんでいる、となると、これはアダムの腕でしかありえないので、冥府下り の場面ということになる。従ってアダムの横にいるのはヱヴァということになる。キリストの左、王冠を冠り三角のものを持っている人物、となるとダビデ王で三角は竪琴だと思う。

冥府下りはイエスが死んだのち、冥府に下りサタンに打ち勝ち、アダム以来の義人たちを復活させるという話で 死に対するキリストの勝利を表すが、これは東方キリスト教では大事なテーマ(イスタンブール、カーリエ・ジャーミーの美しいフレスコ画を思い出す)であっても西側ではあまり描かれない主題だと思う。(ないわけではない)
特にタンパンにこの主題があるのは初めて見た。 矢張りビザンチンの影響がいまだ強かったということなのだろう。

アーキヴォルトの ピープルドスクロールも見事だ。

その下のラントー(楣石)には向かって左から 受胎告知、エリザベト訪問、東方三博士の礼拝、神殿奉献 。

衣装の衣文が面白い。縁を太くしているので、植物の葉脈をあらわしているように見える。こういう描き方は初めて見た。

 
 衣文が面白い
   
 ペリカン、子がしがみついている  薔薇窓の上にもペリカン、脇にライオン

ペリカンは善良な信者を表すとgwんちガイドは説明していた。一般的にはペリカンは自分の胸をつついて引き裂き、その血で子を養う、ということから、十字架にかかり人類の罪を贖ったイエス・キリストのシンボル、とされている。 ライオンもまた力の象徴としてキリストを表す。

中に入る。

身廊の天井は木 東側、 西側 

      
   側廊  

側廊の円蓋を連ねた石造天井も美しい。

 
 洗礼盤

地下の床モザイクが上からのぞけるようになっている。あとで分かったがクリプタの横からいけるようになっていたが 我々は行かなかった。 ちょっと残念。  グリフォン 11世紀前半

 
 

アンボン 回るとフリードリッヒ2世の家族 これは彫刻家の名前が記されている 1229年作   ニコラウス の署名が上に見える。 中世彫刻の傑作と言われている。

   
 ニコラウス の署名が上に見える  左端がバルバロッサ、右から二番目がフリードリッヒ2世
   
   

地下に降りる。途中の彫刻 階段周りの柵

   
 階段周りの柵がアラブ風透かし模様  クリプタへの階段途中の間部、男の二股人魚彫刻

クリプタ

 
 

柱頭彫刻が面白い。柱も柱頭も一つとして同じものがないのは完成を急ぐため多くの多くの職人を使ったからだそうだ。柱は 古代遺跡からの再利用。アカンサスの葉が立体的でかつ図案化されているものもある。 かなり前に飛び出している。

   
   
   
   

壁画も少し残っていた。

 
 

11:15 頃ここを出る。この教会は素晴らしくてもっと長くいたかったが、これからバーリに向かう。 

ところが、その前に、と 見張り塔へ行った(トイレ拝借の都合からかもしれない) 街をながめたがあまり高くないのでさほど、、。 よって写真は 省略

バーリはそのⅡで