8日目  3月13日(月)

モンテ・サンタンジェロ滞在



モンテ・サンタンジェロ Monte SantAngero 標高796m
 
 

聖天使の山、という意味だが これは493年(年代は諸説あるが5世紀末)にこの地のある洞窟に大天使ミカエルが姿を現した、という伝説によるもの。
ミカエルは5世紀に3回、1556年にもう1回現れたそうだ。
フランスのモンサン・ミシェル とか北イタリアの サクラディ・サン・ミケーレなどにも大天使ミカエルが降り立った、と この天使にまつわる場所や教会はあるが ここが最も古い、いわば本家本元。

 
 

730 朝食

900 ホテルが 観光スポットから少し離れていて坂道なのでバスで出発。 

お城の横の駐車場(上の写真地図、右手)で下車して 徒歩観光

お城の横を歩く。

 
 

Castle 最も古い部分は 89世紀にさかのぼる。ランゴバルドの城であったが、ノルマン人がやってきて居住用や宝物庫とした。
その後フリードリッヒ2世は愛妾ビアンカの城とした。しかし、ビアンカの息子である、マンフレーディがシャルル・ダンジューに敗れると、この城はアンジュー家のものとなり、牢屋にされた。 

マンフレーディの息子たちはここに30年刊閉じ込められ、その後別の城に移されて生涯 幽閉されたままだったそうだ。

サン・ミケーレ・アルカンジェロ聖所記念堂Santuario di S.Michlle Arcangelo

http://www.santuariosanmichele.it/index.php?option=com_content&view=category&layout=blog&id=15&Itemid=102&lang=en

(イタリア語、英語のmarkもあるが切り替わらない。 写真だけでも)

上のアトリウム と呼ばれるところから入る、アトリウムから少し離れた手前右に八角形の塔(下図右)
これは シャルル・ダンジューが南イタリア征服の感謝のしるしとして建てたもの(1274年〜)0821

横に貼ってあった 内部の図

 
 
このような形になったのは15世紀
     
   シャルル・ダンジューが建てた塔  

ここを入って 大階段をずんずん降りていく。

至聖所は撮影禁止なので、買ってきた本から。

一大聖地だけあってか、ここは参拝客が多くミサが繰り返し行われ、その合間を縫って見学。

 
 至聖所に入るためのホールのようになった場所に、多分修復などで外されたものらしいレリ−フが飾られていた
   
 至聖所に入るためのホールのようになった場所には うっすらフレスコ画  至聖所入口
 
 

以前(2008年)行った南フランスのサン・マキシマン・サント・ボーム の山の中腹の洞窟によく似ていた。

司教座の椅子、 向かって左側の祭壇は奥に進めるようになったいて、そこに 聖母子像、マテオ象など ロマネスク彫刻があったが、もちろんすべて写真禁止。

もう一つ、ここは写真を撮ってよい、という 似せて作った洞窟風のところにも行った。新しいが描かれたビザンチンスタイルの絵がきれいだった。
 
 

中央の岩を模したところに手を当てて(嘆きの壁?)祈っている人も多かった。信者でない私には居心地が悪かった。

少しあるいてロターリ廟 Tomba di Rotari

廃墟と化したモンテ・サンタンジェロ最古の教会

ロターリというのはランゴバルト王(在位636652年)で彼のときがランゴバルト王国の最盛期。

墓というより 隣接するセント・ピーター教会(アプシスだけある)の洗礼堂であったとされ、1109年に再建されている。

ところが ここは416日まで閉鎖中、しかし横のサンタ・マッジョーレ教会から外観、サンタ・マッジョーレ教会からガラス越しに中を覗けた。

 
 

左が 洗礼堂入口、右がサンタ・マリア・マッジョーレ教会 
↓洗礼堂入口上の彫刻が素晴らしい。下段は キリストの捕縛 上段 十字架降下、 墓詣出の三人のマリア

 
 
サンタ・マリア・マッジョーレ教会 S.Maria maggiore

上の赤いところは 写真を回転させたため
 
 

一見して昨日見たシポントのサンタ・マリア教会と似ていることがわかる。 壁面のブラインドアーチ、ひし形装飾など。

11世紀に建てられた教会を12世紀末に再建、この時 スポンサーだったのは フリードリッヒ2世の母でハインリッヒ6世妃コンスタンツァ。
正面の張り出し屋根で飾られた部分ができたのは1198年 

 
 

タンパンの 聖母子の下左は コンスタンツァで右はフリ−ドリッヒ2世ではないか、と言われている。

内部 三身廊 イコンも飾られている。

   
   聖フランシスコ

壁や柱には 1315世紀のビザンチンスタイルのフレスコ画。ここもまだ ビザンチンの影響下にあったことがわかる。

大天使ミカエル、 このゲオルギウスは ビザンチンではないと思うが。

   
 大天使ミカエル  ゲオルギウス

奥に進んでガラス越しに ロターリ廟を見る。。 

 
 塔の下
   
 うっすら 絵が見える

見学予定の教会はこれだけで、ガイドとともにしばらく街を散策

 
 
 
 
 
 

白い壁、狭い道、どことなくモロッコを思い出させる雰囲気だ。 

サンティッシマ・トリニタ教会の前に リ・ヤーラントゥーメネ↓ という 有名レストラン発見。

   
   

散策のあと、午後はシェスタでお店が閉まってしまうので昼食レストランを確認して少し先にフリータイム を設けてくださった。11301300

   
   

Sさんともう一度、ロターリ廟を観に行きそのあとぶらぶら歩き、
木製のジグソーパズルで飾りにもなるものを見つけて購入(イタリア語に堪能なSさんのおかげで少し値引きしてもらえた)
ドライトマトのよさそうなものもみつけたが昼食後、ホテルに戻らずフリー観光なので買わなかったがシェスタでお店はクローズ、矢張り先に買うべきだった。
帰りのバスに乗る前にはもう時間がなかった。

1300〜オステリア・デル・コルソ Osteria del Corso で昼食

プーリア名物アンティパスト・ミスト パスタ

たか子さんが今日誕生日だったのでバースデーケーキのおすそわけ。

   
 お店の入口  
   
 アンティパスト・ミスト  
   
   イタリア人ご夫婦と彼女とシェフ

皆で写真を撮っていたら食事にいらしていたイタリア人ご夫婦が彼女と一緒に写真を撮りたがった。
店主も入って4人で写真をとっているときなんとそのイタリア人の夫人が目に涙をうかべていらしたので皆びっくり。
おもいがけない日伊交流の一場面となった。 ワイン+espresso5

食後フリータイム、散会。私は麓のマンフレドニアの城の中にある博物館にも行きたかったが残念ながら、そこは午前中しか開いていない。Sさんが聖所のミュージアムに行きたいとおっしゃったのでたので男性3人組をのぞいて山口さんと7人はミュージアムへ。
以下そのUへ