9日目

314日(火)

モンテ・サンタンジェロ〜トロイヤ〜ベネヴェント〜ナポリ


今日はイタリア半島を横断してアドリア海側からティレニア海側まで行く。

 
 ホテルの部屋から


800出発

 
 

イロハ坂の絶景を下っていく。さようならモンテサンタンジェロ。

   
   
時折マンフレドニア湾。お城はあの長い埠頭の根元手前(かまぼこ型工場の向こう) 何となくそれらしきものが見えるていど。 アドリア海ともお別れだ。
 
 

降りていくと平野で時折オリーブ畑。あまり面白くない景色。

1時間近く走って 遠くに少し小高くなっているところが見えてくると、そこが トロイア。

トロイア Troia (標高430m
古代ローマ時代に都市があったこの地に新たに町が作られたのは1090年。ビザンチン総督によってである。
ここは ビザンチンとランゴバルドの境界地で、谷の向こうはランゴバルドだった。

ビザンチンはここを要塞にしようとした。
教会前はローマ時代のトラヤヌス街道(アッピア街道)とシポントに抜ける街道の交る要衝の地のため、ノルマン人はここを首都にしようとした。

930 駐車場到着

到着直前、電話が入り、この地のガイドが事故にまきこまれ、来られない、という。山口さんずいぶん慌てられたであろう。 しかし、バスを降りると、方向として、大聖堂はこちらのはず、 と歩き始めた。

バスをおりたところで。 ここは高台になっている。

 
 

トロイア最古の聖バシリオ教会。

 
 

はぐれそうになるので じっくり見られなかった。 グーグルのストリートビューでみると、ロンバルディア帯の装飾のある教会で外周をざっとみておけばよかった、と思った。

10分程度で大聖堂前に到着、事務所のお手洗いをあけていただいて、一息ついたところで各自自由見学。

トロイア大聖堂 Cattedrale di Troia 1093年着工、 169年完成。

 http://www.comune.troia.fg.it/cms/cms_art.php?idart=5

イタリア語だが 開いている時間などが記載されている。

壁には シポントでみたような ひし形の彫りこみがある。

   
   

次に入った電話でかわりのガイドをよこすから1時間程度まっていてほしい、とのことだったのだ。勿論教会内もはいることができて自由にみてまわり もうこれでよし、と思っていたころガイドの ジュゼッペ氏やってきた。しっかり見たのでもうガイドなしでもいいと思ったのは大間違い。このガイドさんが実に詳しく説明してくれてよかったのだ。

1030 説明開始 
教皇はトロイアで 重要な会議(十字軍について)を開こうとして1093年にきて、 ここに大聖堂を造ろうということになった。

正面。 下部は11071120年、上部は13世紀。

タンパンに彫刻はない。 アーキトレーブ 中央に栄光のキリスト、拡大するとキリストの右にマリアあがいるのがわかる。 福音書記者のシンボルも

 
 
 
 

薔薇窓は 1180年 
柱が11本なのは12弟子からユダを抜いたともあるいあはペテロを抜いたともいわれている。 (ペテロは キリストの横)

 
 

それにしても 細かい細工だ。薔薇窓の向かって右横にいるのは ユダヤの長老。 ここにはジューイッシュ・コミュヌティーがあった。 この教会には ユダヤ、アラブのカルチャーミックスが特徴。

薔薇窓向かって左 ローマ時代の遺跡からもってきたものが つけられている。

 
 

教会の正面によくぞこれほど奇妙な生き物を集めたもの! 神の善を強調するために悪を書いているのだそうだ。

 
 

12世紀のブロンズ扉 orientの影響がみられる。 ドラゴンの徒って、悪の象徴で口に重りを付けている。


 
 

南側入り口から入った。 ここのブロンズ裏は1127年、プーリア公が子供を残さず亡くなったので、(すぐルッジェーロ2世のものとなるが)一時的に自由になった、として 自由の扉と名付けられている。
内部 側廊が狭い。この教会も バロックに改装されていたものを剥がして元のロマネスクに戻したが、その際損傷したところがある。

身廊の天井は木だが側廊は交差ボールトになっている。左側の端の柱だけは 双円柱になっていて、柱の数を13本にしてある。(12使徒+キリスト)

   
   側廊

説教壇 は サン・バシリオ教会から移された、ノルマン・シュタウフェン時代のもの。 鷲は シュタウフェン家のシンボル。羊を攻撃しているライオンを 犬が攻撃している。 犬=教会、子羊=人間 

   
   

15世紀の壁画 死の床に横たわる聖母の手前にいる人、諸説あるがユダヤ人で ひっくり返そうとした(ベッドを? メモにこうかいてあるが意味がよく話からない)ができないので 手を下にした、という説がある。

 
 

横の柱頭、 外にもおなじものがある、 ライオンがたべているのは ムスリム

     
     

上右写真、 1703年作の磔刑像 ホンモノの血を流したそうな。

外へ出て北側、を見る。ダビデの星、に注目。そうして アラブっぽい装飾。まさにカルチャーミックス。 面白い。

 
 
 
 
   
   

東側
ライオンがムスリムと蛇を踏みつけている。ここではライオンがキリスト教で蛇がフリ−ドリッヒ2世。 彼はアンチクリスト。教皇は彼を目の敵にしていた。

   
   

ジュゼッペ氏は1時間ほど丁寧に説明してバス乗り場まで見送ってくれた。 

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