9日目 そのⅡ

~ベネヴェント ~ナポリ


1140 トロイヤを出発

山間のとても景色のよいところを走った。

 
 

1320過ぎ ベネヴェントの町に入った。 

1266年ベネヴェントの戦いでマンフレーディはシャルル・ダンジューに負けて命を落とした
カローレ川橋詰めで石に埋もれ、遺体は4か月放置されたという。 
どこだろうか、と眼を凝らす。カローレ川にかかるヴァンヴィテッリ橋の横を通ったので ここかな? と一応写真を撮った。

 
 

これにより実質的にシュタウフェン朝の南イタリア支配は終焉を告げたことになる
しかし父の死の前に既にアラゴン王に嫁いでいたマンフレーディの長女が、敵をとることになる。
1282年のシチリアの晩禱事件である。
それにしても教皇の介入、教皇とは人々のためでなく自分のためにしか祈らぬ人であったのか!
(教皇は教皇領の領主であり、おのが支配地域を守り、できれば拡大することに汲々としていたようだ) 

当事者にとっては屈辱と怒りの日々であったと思うが、イタリアの歴史は実に面白い。

ベネヴェント Benevento(標高135m

一説によるとトロイ戦争を生き延びてここに流れ着いた ギリシャ人ディオメデースが造った町(同様の伝説は午前に訪ねたトロイアにもある)。
支配者は次々に代わった。 
古代ローマ時代
トラヤヌス帝の時ここを通るアッピア街道が終点 リンディシまで開通した。
その後オドアケルや東ゴートの時代を経てランゴバルド族が 571年にベネヴェント公国を建てた。
それ以来1077年、ノルマン人の ロベール・ギスカールによって滅ぼされるまで。
(北のランゴバルド王国は774年シャルマーニュ大帝によって滅んだが、独立していた南は残っていた)

ツアーの主目的は ランゴバルドの遺産である、サンタ・ソフィア教会と12世紀の回廊である。

1320~ 昼食 Nunziaにて

     
   
   
   

トマトソースのパスタ、 ソーセージオープンスタイル、 ミルフィーユ ワイン6

1505観光開始

サンタ・ソフィア教会に向かう途中、イシス神殿にあった1世紀の 牛の像を見た。

   
   サンタ・ソフィア教会

サンタ・ソフィア教会 Chiesa di Santa Sofia

http://www.museodelsannio.it/  イタリア語 すこし写真が見られる。orariのところをクリックすると開館時間。

創建は758760年 当時 ここはベネヴェント公アレキ2世(ArechiⅡ)が治めていた。
なおこのアレキ二世の妃は北のランゴバルド王国最後の王デシデリウスの娘 。(15年にブレシアで観たデシデリウスの十字架を思い出す)

地震などで壊され何度も再建されている。

入口の タンパン、中央にキリスト、(キリストの)右にマリア、左にマーキュリー(買ってきた写真集の解説による。マーキュリーは商業の神のはず。しかしここでは盾を後ろに置き、軍人として描かれている)。膝まずいているのは多分アレキ2世。18世紀

 
 

 
 

先に回廊に入る。そのとき通った部屋に少し展示品があった。 ここにはサムニウム博物館である。

この地にはサムニウム族が住んでいた。その遺跡からの発掘品とおもわれるものとローマ時代の彫像。 ここも時間があれば覗いてみたいところだった。

     
     

回廊と中庭

 
 

当初は女子修道院があったが、12世紀に再建されてロマネスクの柱頭彫刻が残っている。
柱頭がここではよくある桶型(?)の上に逆三角形がのっている形が多くあった。

アーチが深くて馬蹄形になっている。ムーア風と説明されている。このアーチを細い柱で支えるために、このように逆三角形の柱頭がつけられている。松葉づえ型)

 
 

また ソロモンの結び目に由来する ソロモンの神殿の柱 もあった。(左から二番目の柱)聖所の印である。これはイタリア国内では30本しかないとかでご自慢らしかった。(私は モデナ、グローピナなどで見ている) (グローピナでは二本の柱は 父と子で それを精霊が結びつけるという説明書きがあった)

 
 左ライオン(マルコ)の間のキリスト) 
   
   
   
 御生誕  神殿奉献
   
 鹿狩り   月々の仕事  グリフォン
   
  右  説明だとヱヴァ  
   
   孔雀 なんだか険しい顔つき
   
 Figura con mitra in testa とある 司教館を造った人物?  
   
   乳を飲ませながらカモシカを咥える雌ライオン
   
 仔牛と蛇に乳を飲ませる女(大地母神?)  

回廊には 石棺が置かれていた

怪獣や動物が動物を襲う場面、 騎士などが多く少し気持ちが悪い。

教会内へ

10角形の中に6角形が入る構造になっている。 昔はこの中央に祭壇があった。

   
   

768年に完成したフレスコ画が一部残っている。

   
 天使 右上エリザベス訪問 

このあと すこしだけ、と大聖堂にも行った。途中イシス神殿にあったというオベリスクを見た。

   
 イシス神殿にあったというオベリスク  大聖堂

大聖堂 7世紀の創建だがその後改築、しかし第二次大戦で破壊されてしまったため、戦後の再建。

作り直されたファッサードにはローマ時代、ランゴバルド時代の碑文や彫刻の断片が埋め込まれている。

 
 

内部はあまりにも新しく,1しらしらしていて、どうも、、、。

   
   

最後に向かったのは
トラヤヌス帝の凱旋門
 Arco di Traiano

アッピア街道が ベネヴェントからブリンディシまで延長されたことを祝って114に建てられた。

街に面した側は 平和の業と プリンケプスによる全盛場面。外側は属州での抵抗の政策にまつわる戦闘場面。アーキトレーヴには勝利を描いた高浮彫

 
 街に面した側

この門はアウレア(黄金)門と名付けられていたが、その名がこの後みかけた小さな教会の名に残っている。

 
 外側
 
 外側上部

門を出てバスのところまで少し歩いたが かわいい教会の横を通った。

   
   

10世紀の Chiesa di S. Ilario a Port‘ Aurea 時間があれば入ってみたいところ。

バス駐車場そば城壁の一部があった。
今回行かなかったが、この町には古代ローマの劇場も残っている。この町でもまたイタリアという国の歴史の厚みを感じさせられた。 

 
 

17001825バス

景色の良い山の中を走ったが、途中、ウトウト、ヴェスヴィオ山よ、の声に目を開ける。ただ写真は撮れなかった。 残念。

ホテルによらず、直接 夕食レストランへ。

1800~ Pizzeria Castelnuovo で カステル・ヌゥオーヴォのそばの団体用かと思われる、だだっ広いお店。もう少し趣のあるレストランだったらよかったのに。

ピッツァ・マルガリータの夕食、デザ―トにはナポリ名物のババが出たが 写真撮り忘れ。

   
   

1945 ラマダホテル到着

お部屋は普通、 大チェーンホテルだけあってバスタブ付きでお部屋の暖房もきいていた。