今日が観光最終日。 そうしてスケジュールが盛りだくさん。
朝食 7:00〜
8:00出発 ヴェスヴィオ山を右に見ながら進む。写真、撮り損ね。 お天気が良くない。
8:40 サンタンジェロ・イン・フォルミス Sant’Angelo in Formis (標高50m)
教会そばの駐車場着 ここに着く少し前 アンズ(?)畑
↓あの白い箱みたいな建物の横を進む。
教会のオープンは 09:30だが現地ガイドが 09:00に開けるよう手配してある。
待っている間 現地ガイドは朝食抜きだったのか、コーヒーを飲みに行かせてほしいと消え、私たちは塔の彫刻などを見ながら待つ。
09:05 若い女性がうっすら汗をかきながら走ってやってきた。(バスの中から 彼女をみかけた方がいらして分かっていれば乗せてあげたのに、、、かなり遠くからきたらしい。とても太った女性で急がせて気の毒だった)
もちろんガイドのウイリアムさんも戻ってきて 観光開始。
サン・ミケーレア・ルカンジェロ教会 Basilica di S.Angelo in Formis
ローマ時代、ここには ディアナ神殿があった。
6世紀からロンゴバルドの支配がはじまると大天使ミカエルの聖域になった。
10世紀には既に教会があったといわれているが、1065年カプア公リシャールT(〜1078年、ノルマン人でロベール・ギスカールと覇を競ったり、協力したりの間柄)がカプアの司教から譲られたこの教会をモンテ・カッシーノ修道院長デジデリオに寄進。(三つ巴,四つ巴の抗争を繰り広げていたこの時代、宗教心より何か魂胆ありと私は邪推)
それはさておきともかくデジデリオはベネヴェント公の子で後に教皇(ヴィクトル3世)ともなった人物。彼は父親をノルマン人に殺されたが、モンテ・カッシーノ修道院のために親ノルマン政策をとり、モンテ・カッシーノ修道院の第二の黄金時代を築いた。財力もあり、この古い教会を建て替えた。1072〜87年
鐘楼と正面のポルチコは12世紀、地滑りで崩壊して建て直されたそうだが、内部の壁画に被害はなかったという。
とうとう来ることが出来た!!しばし入口を眺める。
入口の柱はローマ神殿のものを再利用。正面の壁画は 12世紀末 内部より、よりビザンチン的。
下、大天使ミカエル、上は 女王の姿をしたマリア 髪の毛の白い線はテニアといって、ビザンチン時代の髪飾り
この教会内部の壁画はロマネスクファンにとってまさに必見、入って観てしまうのが惜しいような気分であった。
入ると、一応知らされてはいたが、未だ修復中。(資金不足か延々と修復中状態が続いているらしい)
三廊式だが身廊と右側廊を区切るアーチ部分が修復のため板壁でふさがれている。これが邪魔をして見にくいのだが、かなりの部分を観ることはできる。
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身廊 右側が板壁でふさがれ、そこにある絵が写真で示されている |
後陣半円蓋 四福音書記者のシンボルに囲まれたキリストの下には大天使
衣装がビザンチン風で豪華 |
奥の方が少し高くなっている。
教会をささげるデジデリウス 生きているときなので円形でなく四角いニンブスが描かれている。右の聖ベネディクトゥス と対になっている。
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デジデリウス この描き方(顔、衣装の)は初期キリスト教時代的と思う |
天使と聖ベネディクトゥス |
修復で特に残念だったのは大事な西壁のフレスコ画〈最後の審判〉が一目で見渡すことが出来なかったこと。
窓からの光に邪魔されて特に高いところの写真がくっきりとは撮れなかったのも残念だった。
イエスの受難 ユダの接吻 下はダビデ王 その横は ソロモン王
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左カインのアベル殺し、右ノアへの告知 |
旧約から アブラハム イサクの犠牲 かなり色が薄かったので、すこしPhotoshopで少しはっきりさせている。
上左 アダムとイヴの楽園追放 上右 カインとアベル 下 ギデオン
地元の画家が描いた、とも説明。胴体が長くてマニエリスティックだが動きがあってこれもいいではないか。
右アプシス 抱かれているイエスは ビザンチンスタイルの祝福ポーズをしている その下は16世紀の絵
床モザイク1021善と悪の木を表している。また床の一部、ディアナ神殿の遺構がみられるようになっていた。
1時間20分、丁寧にみて、外に出る。テラスから、遠くの町はカプアであろうか。
この教会の存在を知って20年にはなるであろうか。やっと念願が果たせた思いで感激しながらまた振り返る。この山を背にした佇まいがいい。
10:30〜11:00 バス カゼルタ・ヴェッキアに向かう。(グーグルマップよリ)
山間を行く景色は面白かった。
カゼルタ・ヴァッキアは そのUで
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