5日目  7月24日(月)

ゴットランド島~ニーネスハムン~スカーラ



4
00目が覚め 430起きる パッキングなど

645720 朝食

800出発 バスで10分ほど行くとフェリーのターミナル。チェックインカウンターまで荷物を自分で運ぶ。 エレベータ―はあるのでさほど苦労ではない。荷物を預けてしばらく待ってから船へ。 この船への通路は ぐるぐるまわっていて とてつもなく長いみちのりだった。

900 出航

甲板に出てしばし島への別れを惜しむ。ゴットランド島には 先史時代の遺跡もあり、北のフォーレ島は映画監督ベルイマンが晩年暮らしたところで記念館もある。また奇岩でも有名なので、もう少し滞在してこの島の景色を楽しみたかった。

 
 
 
 
 
 

このあとは ただ海だけなので 室内にもどって、おしゃべりや買ってきた本をながめたり。

3時間余りたつころ 本土が見えてきた。

 
 
1215 ニーネスハムン 入港  1245 バスで出発
 
 

1405 マリーフレッド という町の湖(ここもメーラレン湖)のほとり、グリプスホルム城のそばで昼食

http://www.gripsholms-vardshus.se/

グリプスホルム・イン というホテルの レストラン。 どっしりした歴史を感じせられる室内。  

現地人はテラス席に多い。ゆったりと休暇をたのしんでいるようだ。

傘の下、向こうに少しだけ見える茶色の建物がグリプスホルム城。
日本に帰って歴史を読んでいたら、スウェーデンの独立を果たしたグスタフ・バーサ王の息子で後を継いだエリク14世(在位1560~68年)は後年精神に変調をきたしてこのお城にとじこめられた、とあった。単なる地方豪族の城ではないようだ。

  
 

私たちは 室内で食事。
海老のマヨネーズ和えとトースト。ヤンソン氏の誘惑(ジャガイモとアンチョビのグラタン風) これはクリスマスによく食べられ料理だそうだ。アンチョビの味はあまりしなかった。
アイスクリームとベリー

   
   
   
   

出発前に大上さんは「時間がきびしいので、3時間半あるがトイレストップはしません」!!「そのかわりバスのトイレは使えます」。 もう一度お手洗いへ
1535  バスで出発。
ひたすら単調な道を走る。居眠りしていたせいか、それほど長時間とも思われなかった。

1850スカーラ大聖堂到着  ~2002

寒い!! それなのに現地ガイドさんは聖堂前で説明し始める。やっと中にはいると、ナルテックスの端にきれいなお手洗いがあった。 

スカーラ大聖堂   Skara cathedral  https://www.svenskakyrkan.se/skara/skara-cathedral

スカーラのある ヴェステル・イェートランド(Västergötland)地方は最初に広くキリスト教が受け入れられた地域である。
それはこのあたりが早くから主にイギリスやドイツの伝道者たちとの接触があった地域だからである。

スカーラに司教座がおかれたのは、古い宗教のセンターであったことがないことと、王がここに領地を持ったことがなかったことによる。  

オーロフ王(ウーロヴ・シェートコヌング)1008年に洗礼を受けて以来歴代の王はキリスト教徒でスカーラを拠点にキリスト教化がすすめられた。
王権は豪族と闘うために一神教である キリスト教、教会組織とむすびついた

1260年頃、城が造られ、フランシスコ会、シトー会、ドミニコ会(病院の役目もした)などの修道院も付近にたてられた。

1304年 キリストの茨の冠のトゲを手に入れて、巡礼教会となった。 

スカーラ大聖堂が1150年頃に造られたことはまず確かだが、最近の調査では 1060年頃最初の教会が出来たということがわかっている。現在の教会はパリで学んだ司教の案で13世紀のゴシックであるが、その後火事で何度も修復、改修が行われ1790年の大火災のあと1889年につくりなおして1999年に最後の修復がされている。近くで採れる砂岩で出来ている。

長さ67m、 高さ65m 

     
     井戸のあった場所

ナルテックス、床の丸いところは井戸のあった場所で洗礼のための水を汲んだ。洗礼盤は1600年代のもの。

   
   

クリプタ12世紀 11世紀の残骸。中央に宝物があった。 また8~9の司教の骨が見つかっている。

 
 

1999年の修復の際このヴォールト天井が造られた。現代的な絵とともに、イコンもおかれている。

 
 

上に戻って12世紀のレリーフを見る。横に大きな7枝燭台が置かれている。

 
 
 
 上 教皇グレゴリウス一世とペトルス
   
 楽園追放  フライドチキンが生き返ったら、、、。

とくに面白いと思ったのは楽園追放

アダムは しっかりヱヴァの手をしっかりつかんでまっすぐ前をむいて、なんだか決意あらたに新しい人生に踏み出す といった趣、神の怒りにふれておそれおののき泣きながら追放される、といった図ではない。横に剣をもっているのは 兵士の姿をした神、という現地での説明だったが、よく見ると兵士の上に羽が二枚、交差して上向きにたっているように見える。天使だと思う。下のスカート(ズボン?)の横のもの、体の横の太い縞も羽だとみてとれるのでケルビムと解釈すべき、と思うがどうであろう。

楽園追放で剣を持った天使に追い立てられている図、という ルネッサンス絵画でも見られる図だと思う。

教皇グレゴリウス一世とペトルス(現地での説明では ペトルスではなく神) しかし右の人物は神より修道士と見た方がよさそうに思える。以下は私の勝手な解釈

教皇が亡くなった後飢饉が起こり、教皇に嫉妬していた人は彼をののしり、本も焼いてしまえと、弟子のペトルスに迫った。その時ペトルスは「私は彼の頭の上に精霊が鳩の姿をしてとまっているのを何度もみましたが、この奇跡は誰にもいってはならにと言われています。いったら死ぬといわれています」 と 聖書に手を置きながら誓言して、そのままペトルスは死んだ という話からとられたものと思う。 (グレゴリウスのアトリビュートは鳩)

(この話は『黄金伝説』にある。黄金伝説の成立時期かするとおかしいが、それ以前の話をおさめたものなので、 こう解釈して差し支えないと思う)

ヘロデ王が宴の席で このフライドチキンが生き返ったら 神の子の誕生が 真実である証拠、といったという 伝説による絵。( ローストチキンが生き返るという話はサンチャゴ巡礼路にもある) 鶏は生き返った!!剣を持った兵士は 嬰児虐殺をあらわしているそうだ。

   
   本物は銀行の金庫にあるという宝物
ステンドグラスは 現代のもの。ブー・ベスコ(Bo Beskow)1945年から76年の作

これはNew Heaven, New Earth と名付けられた作品 お告げをうけるマリア様、腕がむきだし。

   
   ガイドのエレーナさん

現地ガイドのエレーナさんは中世風の服装。

教会を出てバスで56分でホテル 

2015 ベストウエスタン・ジュラホテル着 BEST WESTERN Jula Hotell Konferens Hotel Skara

20301010 夕食   荷物を置いてすぐ集合、といわれたが、私は曇ったコンタクトレンズを洗う必要があったので少し遅刻。時間がタイトすぎ。 

生ハムとメロン、スイカのサラダ ローストビーフ、ペッパーソース、 フライドポテト チョコレートムースとベリーソース

ビールとコーヒーも頼んだ。

   
   
   
   

現地人がバカンスを楽しんでいるようだ。今日のお昼といい、島といい、やはりスウェーデンは裕福な国なのだなあ、とつくづく思った。

1010お部屋に戻る。 この時間でも 外はまだ明るい。

   
   

バスルームはカウンターがあって便利だが シャワーの位置が高すぎてお部屋回りの際、大上さんをわずらわせてしまった。

1140就寝    (6903)