6日目 7月25日(火)

スカーラ〜フーサビ〜スカリュム〜スケストープ〜フィンヤ〜ヴォー〜クリスチャンスタッド



330 目がさめる
645700 朝食
   
   

朝食後ホテル敷地内のミニゴルフ場をすこし散歩した。

 
 
 
 

このあたりは高い山もなく広々とした場所である。

900  出発 E 20号線 昨日の道を戻る。フーサビまで行ったあとはひたすら南下するコースである。
 
 

このあたりは400万年前までは海だったが隆起して丘や湖になった、と説明された。そのため、石灰岩や砂岩が多いのだそうだ

   
   

農地の間を行く。時々森、沼か小川のようなところもあった。家の壁は濁った赤,ファルーンレッドといって鉄分を含む土が塗料が使われている。
家には白と赤を使うが白は高いのでお金持ちの家だそうだ。

930 フーサビ教会(Husaby kyrka)

 https://www.svenskakyrkan.se/gotene/husaby-kyrkan  

1008年、この地でオーロフ・ショートコヌング王はイギリス人宣教師ジークフリートにより洗礼を受けた(だからといってスェーデン全土がただちにキリスト教化したわけではなく、12世紀まで王は異教の祭祀を司っていた。)

最初の教会は1000年代初めに建てられた。最初の教会は木造であったが、12世紀初めに石造となった。去年ドイツで見たような西側に三塔が立つ西構えの様式である。
昨年こういう形の教会を見たときは違和感をおぼえたが、見慣れてきたせいか、この姿も美しいと思うようになっている。

   
   

もともとはこの入口はなく、上の窓のところが入口だった。塔は防御の意味もあり、農民はここにかくまわれた。上には大きな部屋があり、隠れることができた。
教会左側の入口は 女性用 扉口

西側入口前には 11世紀の司教のお墓があった。

 
 続きものとして意味がありそうな彫刻だが、、、
   
グリフィン? 牛? ライオン?中央の顔は誰?空想の産物ではないか、こういうのは解釈する、というより自由に想像して楽しめばよいのだと思う。 太い組紐も豪快な感じがしていい。

反対側は絵が読み取れない。タワシで汚れをこすり落としたかった。
中に入る。  
単身廊で内陣手前に勝利のアーチがある。磔刑像は12世紀。後ろには階上席が設けられている。天井の絵は15世紀

   
   後ろには階上席

↓は このくりぬかれた窓の向こうに司祭が立って説教した。 洗礼盤は12世紀    ハギオ・スコープと言われる ミサが受けられない人のための小窓があった。 

   
 13世紀の洗礼盤  ハギオ・スコープ

オーロフ・ショートコヌングの娘のイコン 
彼女はロシア王と結婚した、と説明されたが、時代からいうとキエフ・ルーシ公国 ヤロスラウ一世(賢公)妃インギガルドだと思う。修道女名がアンナ、なおこの二人の間に生まれた娘の一人アンナはフランスのアンリ一世妃となっている。(王家、公家の婚姻関係などを見ると、ヨーロッパは地続きで昔から色々(通商など)な面で結びつきがあったことが知られて面白い。

   
   12世紀のピクチャーストーン

なお教会の横にある墓地はアンナ墓地 という名前だった。外には12世紀のピクチャーストーンもあった。

すこしバス移動

1028 スカリュム教会 (Skalvum kyrka)

https://www.svenskakyrkan.se/gotene/skalvums-kyrka 1130年に建てられた教会

   
   
 
 
入口のタンパンに (オテルリクが私を建てた)の銘がある。タンパンはキリストの右にマタイ 左にヨハネ(鷲)。
オテルリクは多分ドイツから来た建築家で ルンドの大聖堂にかかわった建築家。スカーラ地域の10以上の教会建築にかかわっている。

塔は大塔一つだが やはり、ドイツの西構えの影響が見られる。

内部は単身廊で祭室前に勝利のアーチ、内部構造はフーサビに似ている。(↓二枚は内部全体写真撮り忘れのため 上記ホームページから拝借した写真)

   
   

13世紀末の木彫りの聖母子(一本の樫の木で作られている) 壁画は 12世紀のオリジナル。

 
 
 
 奥の壁画は〈最後の審判〉なのだが はっきりしない
   
 13世紀末の聖母子像  石のレリーフ
石のレリーフ おそらく元は金で彩色されていて、祭壇前飾りであったと思われる。上段は天使、下段はダニエルとライオンと考えられる。

洗礼盤 オテルリクの作 戦う人、ケンタウロス、キリストの洗礼など
   
 龍退治?  
   
 ケンタウロス  
  
 イエスの洗礼らしい

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