ボーンホルム島滞在
ボーンホルム(Borunholm)島は古い表記ではBurgundarholmrで、ブルグンド族の故地であると言われている。
この島もまた古くからしばしば外敵の襲撃にあってきた。スウェーデンに近いがデンマーク領である。
中世はヴェンド人(これまでも言及してきたが、バルト海南岸に住んでいた西スラブ人、戦闘能力にすぐれていたといわれ、恐れられてきた、しかし彼らもヴェンド十字軍によって抑え込まれることにはなるのだが)による襲撃、デンマークとスウェーデンの争いに巻き込まれ、第二次大戦中はナチスドイツに占領された。
戦後はその戦略的位置から、東西冷戦のさいには、イギリス情報機関の東側へ潜入の地点となっていたり、NATOの軍事情報収集施設も設けられていたそうである。
島は牧畜が盛んで、風光明媚なため芸術家も多く住んでいる、という。私たちが行ったのは夏休み中であったためか、バカンスを楽しむ家族連れが多かった。
4:30に目が覚め 5:00起床
7:30 から朝食
紅茶のテーブルに ロンネフェルトのスリーピングポットを発見、ティーバッグをいれて寝かせてお湯に浸るようにして頃合いを見て立てると、それ以上濃くならない仕組み。
残念ながら茶葉は ロンネフェルトではなかったが、美味しい紅茶で できれば買い求めたかった。
食後、部屋に戻って テラスから海の方へおりてみた。静かで波が岩に打ち寄せる音のみ、カモメがたくさんいた。
海好きの私にとって、これほどの幸せはない。写真をもっと載せたいが、きりがないのでこのへんで、
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ボーンホルム島地図
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9:30 ホテル出発
予定にはないが、通り道だから写真ストップだけ、ということで円形教会に寄った。デンマークには円形教会が7つあり、そのうちの4つがボーンホルム島にあるそうだ。
ヌーラス教会(Nyrars)9:50〜10:00
1165年に造られた教会で、海賊に対する防禦の役割も担っていた。そのため窓が小さい。
ヌーラスはニコラスの意味で聖ニコラス教会の意味。多分教会の敷地は壁で囲われていて、ベルタワーはもとは楼門であったと思われる。
とても頑丈につくられていて、バットレスのような補強を必要としない。
屋根は樫の木を重ねるように葺いてある。
開いていたので、中をみることができたが、とても面白い造りで入れてラッキーだった。(見学予定に入れるべき)入口は二つあり、北側は女性用だったが、今は塞がれている。
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巨木が生えている!! |
中に入ってびっくり。中央に 巨木が生えているよう。ピレネー山中のサン・ミシェル・ド・キュクサと同じ。しかし、あのほの暗さはなく、あっけらかんと明るい。
さらに こちらは 中央の太い柱の上部にフレスコ画が描かれている。
13世紀。アダムとイヴの物語
洗礼盤は1150年頃のもので 多分ゴットランド製。
ポーチには 1050年と800年頃のルーン文字石碑が二つ置かれていた。死者顕彰のため 遺族が建てたもの。
左側、クルーとともに海で溺れ死んだ父親のために建てたもの、主よ憐みたまえ、とある、と書いてある。
墓地
バス移動。 1968年まで鉄道が通っていたが、廃線。そこをサイクリングロードに利用している。
そのUへ
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