8日目―2

オー教会、 エスターラス教会



10151100 オー教会(Aa) そばに日本の小川があることから クリーク教会ともよばれる。聖ハンス、聖ヨハネ教会ともよばれる。

http://aa-kirke.dk/

ボーンホルム島がクリスチャンによって征服されたのは1070年。 最初の教会は木造だったと思われるが、1150年前後に石造のものとおき替えられた。北欧では珍しく白塗りされていない教会。今回の旅では珍しく住宅地の中にあった。オーケルビー(Aakirkeby)という町

   
   

アプシスとコワールが最初にできたところで、外側は緑色がかった砂岩で出来ている (近くの小川で採れる)
塔はもともと狭かったが、ロマネスク時代に13×11m、4層になった。双子屋根、最初はピラミッド屋根であったと思われるが14世紀にこの形になった。

北側扉口は 女性用入口、現在は塞がれて上部が窓になっているが、入口の柱の跡が残っている。(くぼみがある)
南側は男性用入口。少し広い部屋になっているのは 武具を置いておくための部屋。小さい顔はライオンで loyalを表すそうだ。
ここに、墓石とルーン石碑が置かれていた。 墓石は近くの小川の橋としてつかわれていたそうだ。

   
 もと女性用入口  男性用入口
   
   墓石とルーン石碑

内部に置かれていた平面図。

 
 

バカンスシーズンのせいか、この島の教会には観光客がきていた。島では教会も観光スポット。

   
   

身廊の天井は板張りで平ら。 アプシスは石造だがリブは飾りのようで、等間隔ではない。それが楽しい。

洗礼盤は シグラフ(Sigrafs) 11751210年、の作品、彼はゴットランドでも造っている(ブロー教会)  

   
   エリザベト訪問、御生誕
   
 三王礼拝  まっすぐの背がシズシズ、という感じ  イエスの捕縛
   
   
イエスの生涯が彫られている。
台、 
   
 耳があるから 竜?  
   
 グリーンマン、手がかわいい  
   
   アプシスの天井、

バス移動して

1125
エスターラス教会(Østerlars) https://www.oesterlarskirke.dk/turistinformation/information-in-english/

1150年頃建てられた。 当時ボーンホルムでは王と教会は争っていて、さらに海賊の攻撃にもさらされていたので、防禦の目的もあった。
すこし離れて立っている 鐘楼はもと教会敷地の壁だったところ。
この島にある4つの円形教会の中で最大のもの(内径13.2m)

島では人気の観光スポットらしく 年間10万人の観光客が訪れるという。

   
   
北側にある女性用扉口 
   
   
   
 男子用入口は 武具を置くための部屋がある、そこに ルーン石碑が展示されていた。 
 
 教会へのapproachは 西側、図の左側で、 ここに17世紀に 最初の写真に見られるように、バットレスがつけられた。入口は 図では下の男子用入口から

中に入る。 この教会も中央に太い柱が建っている。(6m)くりぬかれて中に入ることができ、洗礼盤が置かれていた。
一本の太い柱をくりぬいた形だが 構造的にはラウンドチャーチのうち側の柱を壁で繋いだ、という感じもする。子供たちは これを かまど と呼ぶそうだ。
   
 ひいて撮ることができなかったので、かってきた冊子から  
   
   

中央柱の上部を取り巻くフレスコ画は14世紀前半に描かれたもの。

 
 エジプト逃避、御生誕、エリザベト訪問、お告げ
 
最期の審判、 罪人は鎖にしばられて、地獄へ
 
 最期の審判、良き人は 天国へ

イエスの生涯、(お告げ、エリザベト訪問 、御生誕、エジプト逃避) 最期の審判、良き人は 天国へ、罪人は鎖にしばられて、地獄へ

内側のサークルには洗礼盤が置かれている(もとはRø教会にあったもの)

この後すこしフリータイム、希望者は上階にあがることができただが、私はまず敷地の向こうのスーベニアショップへ。ともかくロマネスク旅は買い物のチャンスがほとんどないのだ。しかし、教会ガイドブックの様なものはなく、手作り石鹸をいくつか買い求めた。それも行列はそれほどではないのだが、店員がモタモタしていて (海外はたいていそう、日本のようにてきぱき処理する人が殆どいない)集合時間が気になる。もちろん、このあと教会二階に上がる時間はなかった。

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