10日目―2

ツフェメロズ教会~ ロスキレ大聖堂



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45 ~1545  ツフェメローズ教会Tveje MerlØse church
http://www.tvejemerloesekirke.dk/

ツフェとは2の意味だそうだ。そういえばドイツ語のツバイ(zwei)に似ている。

一見してこれも 西構の影響を受けた造りだとわかる。 珍しく白塗りされていない。

   
    

1150年頃建てられたロマネスク教会。途中改変されたが、また元のロマネスクに戻されている(189295年)。塔の高さは20m。

  
 入口横には パルメット(?)模様の石が嵌め込まれている。、石工のサインだそうだ。

単身廊で木造天井、アプシスと西壁にフレスコ画が残っている。フレスコ画は漆喰でおおわれていたが、その時漆喰がはがされて色が足された。

 
 
 
 

アプシスの壁画が最も古い。

   
 

フォトショップで補正したので、実際はもっと薄くてはっきりしなかった。

 
 

マリアと聖人

 
 

西壁は少し新しい。後期Romanesqueの壁画が見られる。薄くてわかりにくいのだが。
中央は 戦いの場面、善と悪の戦いをトルコ軍に対する十字軍の戦いで象徴している。丸い盾がトルコ

 
 

 北壁 この入り口は昔は婦人用だった。↓右端は トマスの不信

 
 

石造りの階上席がゾクゾクするほど素晴らしい。横の狭い階段をあがって上からみおろさせてもらった。最初の写真はそのとき撮ったもの。

アルターは新しいが 実はこういうものも私は好き。十字架もかわいい。ここにも七枝燭台が置かれている。

 
 
   
   

庭、この教会は敷地がとても広く、雨も上がって緑が鮮やかだった。

 
 

14451615 バス

ロスキレ大聖堂(Roskide Domkirke)

この地に最初の木造教会が建てられたのは、985年頃亡くなったHarold青歯王のときである。11世紀にクヌーズ王によって石造教会ができたが、現在の煉瓦造りの教会は1170年にアブサロン司教によって造り始められた。そのあとは ペーター・スネーセン司教が造り続けたが途中プランは改変、フランス風ロマネスク・ゴシック様式にデンマーク独自のものも取り入れた姿になっている(アブサロンもスネーセンもパリに学んだ)

煉瓦建築は当時デンマークに紹介されたばかりであった。
教会本体の完成は1280年。これ以降も拡張されている。歴代デンマーク王の廟所として知られている。1995年、ユネスコ世界遺産になった。  

ロスキレはフィヨルドに面した町 デンマーク最古の町の一つ。大聖堂の中に入れるまで時間があるので周囲を歩く。

   
   
   
   

待たされているのは 結婚式でもあるのではないか?やはりそうだった。この新婚夫婦すでに赤ちゃんがいるようだ。
正面入り口、結婚式を挙げられたお二人をみていて、全体写真が撮れなかったので↑の正面写真は頂いたPAMPHLET表紙から。
総煉瓦造りなので彫刻がなく、とても幾何学的だ。

中に入る。

   
   こういうのがたくさんあった。

王家の廟所だけあって、見どころはお墓らしく、ゴシックの豪華なお墓を次々見せられた。
王の墓所は パリ郊外のサン・ドニやウイーンのカプツィーナ修道院地下墓所とかシュパイヤー等いくつかみたことがある。ドイツやフランスなら歴史上名高くなじみのある王様もいて関心をもって見るのだが、申し訳ないことにデンマークとなると、クリスチャン何世とかフレデリク何世と言われてもピンとこず、芸術的に素晴らしいとみるのであろうが好みではないので、ただ豪華だなあ、と思うだけ。

天井の中世っぽい絵のほうが私には面白かった。

 
 
知っている人物がいました。 ハロルド青歯王(940頃~986)
 
 

クリスチャン4世チャペル

 
 

コワール 三幅祭壇画 よく見るとキリスト受難サイクルだ。1560年アントワープで造られた。

   
 

Stole1300年代のもの。 旧約の物語が彫刻されている 。アダムとイヴ、カインとアベル、ノアの箱舟

  
 
 

ここは↓ ブリギットチャペル  聖ブリギット(ビルジッダ)14世紀の人、スウェーデン人だがサンチャゴ巡礼にでかけたり、当時アヴィニヨンにいた教皇にローマへ戻るように勧めに行ったり と活躍した。
幻視で有名である。幼子イエスが地面に横たわりそれをマリア様が拝んでいる、という幻視をみたことから、15世紀半ば半世紀間はこのスタイルの絵が流行った (地面に裸はかわいそう、ということでその後は描かれなくなったが)しかし、ここはビルギッタの遺骨があるわけではなく単に彼女の名を冠したチャペル

1500年代に書かれたフレスコ画で飾られている。

 
 

この部屋は現女王と夫君の墓所となるとかで、そのお墓のモデルが展示されていた。 超モダン!

   
 現女王の夫君ヘンッリック殿下 はこの2月13日に逝去された。 
ところが殿下は 妻たる女王の隣に葬られたくない、といっていたそうで、
フレデンスボー城の敷地内に葬られるそうである。 
このお墓はマルグレーテ女王お一人がはいられるのであろうか
 
   
階上から見下ろす。
   
 
 
   

すこしロマネスクの名残りっぽい柱頭があった。

 
 

1730頃 ここを出て 
1815ホテル帰着
 

今日は夕食フリー、希望者は大上さんとレストランへ、ということだったが
結局一緒にいらしたのはお一人らしかった。 

私は近くにスーパーもあるので時間に縛られないお部屋食とした。

クスクス と ビール

ブドウとチェリーは数日前 大上さんにいただいたもの。

(大上さん、ありがとう。おかげさまでフルーツ付きの豪華夕食)


明日はもう帰国日だ。