21:25発の便なので 集合が 19:25
早めについていた方が安心、と15:27頃家を出て16:29横浜発の成田エキスプレスに乗る。
成田到着後は例によって、まっすぐ えん へ。朝はいつも混んでいるのだが夕方はすいている。
鯛茶漬け 960円
未だ早いと思いつつ集合場所に行くと、すでに半数はいらしているということだった。
スーツケースはすでに集合場所に置かれている。
先生がまとめられた資料を、イヤホンガイドなどとともに渡された。
チェックイン。とくにすることもないので、パスポートコントロールを抜けて搭乗口へ。
だんだん集まり始めて先生もいらして紹介されて機上の人となった。
ターキッシュエアラインです。
2−4−2 ですが、丁度私のところから2−3−2になって 私はその3のところの端(36Jの席)で横の通路の幅が他より広くて椅子の腕にバッグをぶらさげても通行の邪魔にならず、助かりました。(中央は少し座席が広めのようでした)足台付き。
座席も狭くはなく、小柄の私は足をあげて横座りできた。
夜便のつらさは知っているので、ビジネスにしようかとおもったのですが、満席でだめでした。でも結果的には思ったほどつらくはあなかった。
近頃珍しくアメニティ付き(スリッパ、耳詮、歯ブラシセット、靴下)
日本時間 10:30頃 食事、ラタトゥイユ、プリンがおいしかった。赤ワインがきいたのか、本を持ったまま3時間以上、寝ていた。
その後あまり眠れずウトウトしているうちに 次のお食事、そうしてイスタンブール。
日本時間朝9時55分イスタンブール到着。
乗り継ぎ便の近くまで移動して長―い待ち時間。 (現地時間 03:55到着、 出発は08:30)
3時間くらいフリー。私は機内ではコンタクトレンズを外し、乗り継ぎ地でまた入れることにしている関係上、清潔な洗面所が希望。待ち時間も長いことだし、で有料でラウンジを使えないかどうか、添乗員さんに聞いていただいた。端っこにビジネス客用ではないラウンジがある。DCカードなら35€、私はVISAなの45€。
高いか安いかわからないが一応体験、と思って入ってみた。
三ツ星ホテルの朝食ビュッフェ、といった程度の食べ物ががあった。お酒の種類は多いが朝から飲めるものではない。椅子はゆったり、あがって足も延ばせる。私は一人なので寝るわけにはいかないが仮眠をとっている人もいる。
ところで肝心の洗面所が中にない!!
近くにすいてきれいな洗面所があったが、これは誰でも利用できる場所。
結果的には、落ち着いて時間を過ごせるが、まあ、ちょっともったいなかったかな、というところ。
時間がきたので集合場所に行き、テサロニキ行きに乗る。
1時間20分 この短時間にも食事が出る。チーズサンドだが、パンの外側がパリパリ、まるでパイのようで美味しかった。
テサロニキ空港に08:45着
入国に手間取り09:50頃、バスに乗って市内に入る。
現地ガイドさんがいるが、殆ど先生が色々説明してくださった。
「この道はエグナティオ街道です」コンスタンティノープルからテサロニキ、カストリア、オフリドを経てアルバニアのデュレスから、イタリアのプリンディシに至りアッピア街道となってローマに至る道、だそうだ。
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訪問した教会、 右 上から2番目の名前のないのは、翌日行った ニコラス・オルファノス聖堂 |
一方通行もあるのか、今日と翌日この同じ道を何度も行き来した。
講師同行ツアー、というのは初めての体験。今回の場合は、あらかじめM先生がまとめられた該当教会についての案内を渡されている。教会に入ると(その前にも)教会について、壁画などについてのお話がある。(イヤホンガイドをつけているので、お話をおききしながら、写真を撮り始めたりもする)そうして「質問のある人はいつでもどうぞ」 で各自、見たり写真を撮ったり、疑問点があるとその場でお聞きする、というスタイルでした。
最初に行ったのが(10:26〜10:48)
アヒロピイトス聖堂 Achiropiitos この町最古のキリスト教会(5世紀 第3四半期建立)
アヒロピイトス とは 人の手によって描かれたのではないという意味で そう言う名の奇跡のイコンにちなんでつけられた名前。
教会入口へは階段降りていく。
テサロニキの町の古代・中世教会はどこも現在の道路より数メートル下に建っている。前にあった建物を壊してそれをならして次を建てるということをくりかえしていくうちに、どんどん地面が高くなってしまい、もとからあった建物は窪地に建っているような状態だ。
かなり大きい。 長さ37m、幅15.5m 三廊式 天井は木
南側 上方には13世紀のフレスコ画が残っている。
柱にはアカンサスの柱頭、 そのアーチの部分はモザイクで飾られている。(5世紀)
蓮の花が珍しいが、仏教美術との関連も推測される(文献的な保証はない)。
次に (10:52〜11:18)すぐ近くの
聖ソフィア聖堂 Agia Sophia 5世紀前半に建てられたバシリカが地震によって壊れたため7世紀半ばに建てられた。ここも周辺の道路より低い所にある。
西側に二階ギャラリー
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東側 |
西側 |
ギリシャ十字のようでいて、側廊があるので面白い形だと思って先生に伺うと、<ドーム・バシリカ>といってバシリカにドームを載せた折衷式だと教えてくださった。
中央ド―ムには キリスト昇天のモザイク(9世紀、キリスト以外の周りの人々は10世紀末か11世紀という意見もある)
ビザンティン聖堂のドームは初め「昇天」で飾られていたが、9世紀にはパントクラトールへの移行、しかしここでは 「昇天」が採用されている、とのことだった。
アプシスには 聖母子。7世紀に聖母子が描かれ、イコノクラスム(726〜843年、787〜814年 中断)のときに十字架に改変、イコノクラスムが終わって、9世紀に聖母子にもどされた。現在のものは12世紀の補修によって改変されている。聖母子の後ろにうっすら十字架が 見えている。手前の十字架は9世紀のまま。
このあと聖デミトリオス聖堂に行ったが、それは Uに
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