5日目 33月16日(金)

カストリア 滞在

 パナギア・マヴリオテッサ 修道院


 
夜中に何度か目がさめ 500 本格的に起きる。

700〜朝食  朝食レストランは宿泊棟だった。

 
 
 
 ホテルロビー

ビザンティンの町々では個人寄進の教会が多く、小さな教会がたくさんあり、
カストリアの町は中期ビザンティン絵画が充実している。
どんよりくもって寒いので軽いユニクロダウンのコートを着る。
8
00集合、 バスで出発 湖沿いに走って 先ず

パナギア・マヴリオィッサ修道院 Panagia Mavriotissa Monastery

カストリア湖(オレスティア湖とも言うらしい)に面した修道院教会。アーモンドの花が満開だが、このお天気では色が冴えない。手前の広場にはシンボツツリーであるポプラの樹。

   
   

教会は10世紀ごろ建てられた。単身廊の本堂の手前にもう一部屋つなげて長いナルテックスがある。ナルテックス外壁にフレスコ画 エッサイの木 

   
 エッサイの木  ヨハネ礼拝堂入口

横にくっつけて16世紀に建てられた神学者ヨハネ礼拝堂がある。上右写真が入口

   
   

本堂、ミサ中ではあったが、入ってよいと言われて、そっと入る。信者さんらしき人(参列者)は二人。グレゴリアンとは違う聖歌がおごそかで心地よい(ヘンな感想)
やがてミサが終わると、驚いたことに今度は詣でる人々が引きも切らず、で小さな聖堂は満員状態。
ミサにはあずからないで各自、祈りをささげている。ミサは特別な人(教会関係者とか)が対象なのだろうか?

フレスコ画の年代は11世紀から13世紀とされるが、先生は11世紀説。此処は写真Okだったかな? ともかく撮っている。 この後行った聖堂は全てだめ。 

東側 イコノスタシスが邪魔(と言ってはいけないのでしょうが)でよく見えない。背伸びしてやっと撮れた写真 

 
 
  ↑東側

↓西壁 上から 精霊降臨、 磔刑 聖母の御眠り 

 
 
 
 精霊降臨、 磔刑

聖堂の東、アプシスには受胎告知や玉座の聖母子が描かれ、西壁には聖母の御眠りが描かれて(生と死が対)魂は天に運ばれる。
受胎告知や玉座の聖母子は神の受肉を表しているのだそうだ。
ミサの後、西壁の絵を見て<人間の代表であるマリア様の魂が天に行くように、いいことをすると天国にいけると>祈りを終えた人々は安んじて家路につける、というように画像はプログラムされているのだそうだ。

 
 聖母の下には手を切り落とされるユダヤ人イェフォニアス
 
 

聖母の御眠り 聖母の下には手を切り落とされるユダヤ人イェフォニアスが描き込まれている。(聖母の葬列を襲撃しようとして手が萎えた、とも切られた、ともいう話がある。聖書にはない反ユダヤ的エピソード)去年、トロイアの大聖堂で初めてこの話を聞き、絵をみたことを思い出した。

キリスト教界ではっきりユダヤ人排斥が打ち出されたのは1215年の第4ラテラノ公会議である。

ということは13世紀以降の絵とも考えられるが11世紀、ということは、その前からこういう思想があったということであろう(トロイアの絵は15世紀に描かれたものだった)。

ナルテックス 東壁  左下は コンスタンティヌス とヘレナ(消えている)  右は 最後の審判で火炎地獄におとされているところ 

 
 
 
 
辻佐保子著『中世絵画を読む』ではこの写真が不可視世界のモノクロミー表現として取り上げられている。
南壁に 地獄で責め苦をおう人々(ボケ写真しかない!)辻佐保子氏によると 〈地獄部屋〉
 
 

↓洗礼、ナルテックスに 洗礼図が描かれることが多いのは、ここで 洗礼がおこなわれたからではないか、ということだった。

 
 
 
 
   

900頃 外に出る。 湖にはペリカンまでいた。近くのプレスパ湖からエサを求めて飛んでくるそうだ。

 
 
 
 

910915(?)バスで 半島の付け根あたりに移動。 今日はこれからずっと徒歩観光。

少し急なところもある坂道を上る。10数分。きつかった!
次の 聖ステファノス聖堂は そのUで