5日目 そのU

カストリア

聖ステファノス聖堂、 聖アナルギリ聖堂、 ビザンティン 美術館

パナギア・クベルディキ聖堂、ニコラオス・カスニズィ聖堂


 
教会には鍵がかかっているので鍵番も一緒。一人で全部〈5聖堂〉の鍵を持っている。
教会はどこもカメラ禁止だが、鍵番さんは許可してくださった(先生が一緒だかららしい)。ただし Internet公開するのはだめ、拡散してしまうからだそうで。それで写真はたくさん撮ったがのせられるのは外観だけ。内部は非常に残念だが公開できません。


先ず 聖ステファノス聖堂へ。Agios Stephanos  (935955
9世紀に建てられたカストリアでもっとも古い教会。

   
   西側

ナルテックスに階上階があり、三廊式で身廊がとても高い。

その天井に キリスト三態(インマニエル、日の老いたる者、パントクラトール)がメダイヨンに入って描かれている。
変容、キリスト伝など、13世紀の壁画が洗れてとてもきれいにみられたのに、聖ステファノスも美少年だったのに 載せられなくて残念。

ここはナルテックスの階上に上がることが出来る。狭い急な石段。私はスカートだったこともあり断念。上がると受胎告知の場面が真正面に見えたそうだ。
ナルテックスには9世紀の最期の晩餐、こちらは洗われてなくて くっきり、というわけではなかった。

少し坂道を下って、聖アナルギリ聖堂 Agii Anargyri  (10001025
10世紀後半から11世紀初頭、三身廊のバシリカでカストリアでは最大規模。
アナルギリとは「お金のない(をとらない)人」の意味で貧しい人々を無料で治した医療聖人コスマスとダミアノを指す。
壁画は12世紀末にあらたに二人の画家によって描かれていて、そのうちの一人は1191年にクルビノヴォで描いていることが分かっている。 

 
 

入口から撮ったもの、もちろん、ここも撮影許可されましたが、ネットにあげてはいけない。で、盗み撮り↓ということで。アプシスの聖母子が見えている。

   
   

<聖母の嘆>き 美術全集から、と <天使> 買ってきた写真集から

   
   

この後行く教会(クルビノヴォ)の天使の絵と(ネレズィ)の聖母の嘆き との比較で是非とも載せておきたかったので本から取った。 自前の写真があるというのに、、、。

少し歩いて(きれいな公園のようなところを通った) ビザンティン美術館へ (ここにはお手洗いがある)

イコン美術館。ここは撮った写真をネット公開してよし、ということが嬉しい。

おお、これがあったなんて!! 死せるキリストと聖母子の両面イコン。このイコンは貸し出されていることが多いそうでいつでもおかれているとは限らないらしい。( 先生も大喜びしていらしたような、、、)

   
   

このイコンを知ったのは 『イタリア・ルネサンス の水脈』 塚本博著で、(20年くらい前)この先生の講座でお話も聞いた。この本で氏は、この「死せるキリスト」をもっとも古い直立した半身像 としてとりあげ、荘厳なキリストではなく目をとじていることに注目、しかし、感情表現は、反対側の聖母子により深く表れているとしている。この本ではカストリアのアギィ・アナルギリ聖堂やこれから行くクルビノヴォやネレズィのピエタ(死せるキリスト)にも言及している。つまりルネサンス美術を語るにあたって、これらを揺籃期とみているのだ。

ビザンティの聖堂美術』『益田朋幸著 ではより丁寧に言及されていて
<イコンの下端には、三か所、金具がついていた痕跡が残るので、棒状のものの先に据え付けられて、高く掲げて行進に用いられたことがわかる>
天使の手は衣で隠されている。<何か貴重なもの、尊いものを受け取ろうとしている>

   
   
  
 
 
 

『ビザンティンの聖堂美術』(192195ページ)では

キリストの遺骸にすがって泣く聖母の姿からマリアの心情を推し量り、母は将来の子の運命を知っていた、という解釈に進み、、、<「聖母の嘆き」図によって、中世美術は人間の悲哀を描くことを始め、「受難の聖母」を通じて、憂愁や不安といった複雑な感情を描写する可能性を開拓したのだといえる。,、、(中略)、、、哀しみのさなかにある人間の表情を描く訓練をしたのちに、未来の哀しみに怯え、憂うといういっそう洗練された表現に進んだということであろう。、、、(中略)
美術というメディアはどうやら人間的な感情と密接に結びついているらしい。ビザンティン美術のこうした動向は、たちどころにイタリアに波及し、それはルネサンス美術を準備する原動力の一つとなった。>

ほかのイコンも少し

   
 14世紀のパントクラトール  聖ゲオルギウス 14世紀
 
 聖コスマとダミアーノ 13世紀 聖アナルギリにあったらしい。

1135頃 美術館を出て、少し歩いて 
パナギア・クベルディキ聖堂へ Panagia Koubeldiki

とうとう小雨がふってきて傘が必要になった。ビザンティン時代要塞だったところに建っている。
建てられた年代は所説あるが、10ないし11世紀、 ナルテックス 15世紀。内部の壁画は131417世紀。

 
 

クベルディキはトルコ語のドームからきている。(クーポラ?)
この教会でもっとも注目すべき絵はナルテックスの細長いヴォールト天井に書かれた「聖三位一体」

   
   

白髪の父なる神が 黒髪の子イエス・キリストを抱きイエスの手の中の球には(はっきりしないが)精霊の鳩、がいる。(重要な絵なので、買ってきた本から借りた。自前の写真の方が 足元までちゃんと写っているのだが)

小さな聖堂で、色が落ちているところも多かった。

10分ほどで出て、近くの 聖ニコラオス・トゥ・カスニズィ聖堂へ Agios Nikolaos tou Kassnitzi 12001218

カストリアは 流刑の地でもあったことは先にかいたが、この聖堂は流罪になったカスニズィ夫妻が建てた教会であるらしい。
建築年代は分からないが、1112世紀で定まっていない。壁画の様式がネレズィに近いところから、ネレズィ(1164年)の画家の弟子がかかわった可能性があり、そうなると1170年代、ということになるそうだ。聖アナルギリに参加した画家が、191年に クルビノヴォ のフレスコ画を描くが、クルビノヴォのプログラムにはこの聖堂が反映しているそうだ。そういうことなので、 是非ともこの聖堂のフレスコ画を全部のせたいのに、、 残念。アプシスを入口あたりから撮ったものだけ(盗み撮りということで)聖母子の左右に 受胎告知
その上には マンディリオンがあった。 
西側( 「聖母のお眠り」など)ものせたいところなのだが、なおここではマリアの頭がむかって右だった。  

   
   

黒ずんだり薄れたりしていて見やすくはなかった。
ここの絵を見た画家がクルビノヴォで絵を描いた、ということだが 上の写真でマリアに膝まずく天使の絵が明日行くクルビノヴォの絵と似ていた。(見えないですよね)

朝から ずっと歩いていたので結構疲れた。

昼食レストランに行くのにタクシーに乗りたい人は? 疲れたので私は手を挙げた。雨はもうやんでいる。 ほかにお二人と添乗員さんの計4人はタクシー。ほかの方々は歩き。
タクシーで レストランに着いたが開いていなくて別のところかとおもってタクシーがそちらにつけた。しかし予約ははいっていない、という。でも席は作りますよ。
なんだかんだ言っているうちに徒歩組 到着。 矢張り 最初のところがそうだった。(現地ガイドは徒歩組)

そうしてやっと座ることが出来た。

 Sokaki レストランで (1230〜 1420

 サラダとコロッケ、 スパゲッティトマトソース、パンナコッタ

   
   
   
   

食後、 

ホテルは町中から 少しはなれているのですぐには戻らないで本屋さんでものぞきましょうか? と先生から提案があり、町を散策しながら湖のほうまで降りて行った。

途中で見たカストリア風の二階が出ている家。(18世紀)

 
 
 
 イヤーマフ

本屋さんは一軒だけ空いていた。 そこで写真集を買った。
あまりお店は開いていない。お土産物屋さんは一軒あけてもらえた。

その隣が 毛皮なども扱う洋品店。 そこでイヤーマフを買った。(10?)
頭の上からではなく首の周りからつけるようになっている。
娘へのお土産、私には大丈夫だったが、娘にはサイズが合わず滑り落ちてしまったそうだ。
 
お土産物屋さんでハーブティーを二種類買った。(テサロニキのホテルのお茶がおいしかったので) 
帰って飲んでみたらハズレ!

1620頃 バスで ホテルに戻った。 

一休みしてまたバスに少し乗って 夕食に。(19002020

To Steki tis Pareas サラダとナスのチーズ焼き、 仔牛とポークのケバブ(ヨーグルトかけ)ケーキ
昼、夜とも本当は手がかかっているのかもしれないが、何となく家庭料理といった感じ、味はいい。

   
   
   
   

 明日は ギリシャを離れ、Macedoniaに入る。