4:00に眼が覚め、5:00に本格的に起きた。
6:30頃の景色、 日の出がみたかったが、どんより曇っている。
7:30 朝食
8:30 出発 バスは町を離れるとイロハ坂のようなところをどんどん登っていく。遠くに雪を抱いた山々。
バスの中で先生から、マケドニア問題について、これから行くクルビノヴォの聖ゲオルギウウス教会の画家についてなどのお話があった。
マケドニア共和国がマケドニア旧ユーゴスラビア共和国と名称を変える、というニュースが旅行前に流れたばかりである。
マケドニア王であったアレキサンダー大王という偉大な王は自分たちギリシャの国の王であるのに、マケドニアという国名を名乗るのはけしからん、領土的野心をも疑う、ともみているようだ。もともとのマケドニア地方の5割はギリシャ、4割が現マケドニア共和国、1割がブルガリアだそうでマケドニアの住民はスラブ系でもあるので、ギリシャの反発も分からないではない。
しかしマケドニア共和国はEU加盟などからギリシャに譲歩した、とみられているようだ。
10:10頃 国境。
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赤い旗がマケドニアの国旗 |
全員のパスポートをまとめて提出、15分くらいかかった。
先ずギリシャ側を抜けて、免税店でお買い物・ トイレタイム(ここまで、トイレのあるようなガソリンスタンドはなかった)
そのあとマケドニア側へ ここで 時計を1時間遅らせる。
上の写真は10:40 頃。(マケドニア時間では 9:40) 青がギリシャ、赤いのがマケドニア国旗。
あの像はアレキサンダー大王だが、ギリシャを忖度して兵士像ということにしてあるそうだ。
10:15(ギリシャ時間だと 11:15)1時間トクをした感じだ。 思ったより早く国境を通過できたらしい。
マケドニアに入ったと途端 ガタガタ道になり(マケドニア国内がどこもガタガタ道というわけではない)30分ちょっとで昼食をとる予定の ビトラ(Bitola)に着いた。
「予想より短時間で国境を通過できたので、遺跡に行きましょう」 と先生の提案でヘラクレア(Heraclea)遺跡へ。
ヘラクレアは 紀元前4世紀、マケドニア王フィリッポス2世によって築かれた町で名前はギリシャ神話のヘラクレスからとられている。
紀元前2世紀ローマがマケドニアを征服、ヘラクレアもローマの町となり、エグナティア街道の主要な宿場町として栄えた。
この時代の遺跡としてポルチコ、劇場や浴場がある。
初期キリスト教時代(4~6世紀)の遺跡としては 小バジリカ、大バシリカ、司祭館がある。
しかし518年の大地震の後、人々はこの町を出て行き、7世紀のアヴァール人の襲撃などもあって町は滅び、発掘されたのは20世紀になってからである。
↓Googleの航空写真に名前を入れた。
遺跡図でいうと右手から入った。
小教会(5世紀)
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テンプロン |
少し離れて |
小教会内陣障壁(テンプロン)テンプロンがイコノスタシスに代わるのは10~11世紀だそうだ。内陣障壁はラヴェンナでも見てその美しさに感嘆の声をあげたものだが、ずっと教会建築の歴史では存在したことをここで認識した(私にとっては新知識)。
少し離れて。
床にモザイクがほどこされているが、この時期は保護のために砂をかけられていて 観ることが出来ない。
向こうが大教会、手前がフォーラム 床モザイクは砂でおおわれている。 砂が取り除かれるとあの橋の上から観ることになるにだろう。
何だった場所かは わからないが、素敵な廃墟 向こうの赤い屋根が遺跡入口
入口付近のモザイク
入場券 こういう鹿のモザイクも見られたはず。
未だ冬期、ということでモザイクが見られなかったのは残念だったが、初期教会の跡が見られたこと、そうし この長閑な遺跡の風景がみられたことはラッキーだったと思う。
少しバスにのってビトラの町の中心部へ
昼食 Grne http://www.grne.mk/index.php
サラダ チーズの春巻き風 サルマ(ブドウの葉でご飯を包んだもの)豆鍋(カスレ風) ケーキ トルコ料理という感じだ。
広場では何かのイヴェント、モスクもあればキリスト教会もある。
少し町をあるいて両替所へ、でも殆どのお店でユーロがつかえる、ということで私は此処では両替えしないで、あとで一桁まちがえて多額の両替してしまった、という方から替えていただいた。
ビトラのメインストリート(両替所のある通り) ビトラはマケドニア第2あるいは第3の都市。
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