6日目 そのU
 
クルビノヴォ〜オフリド



 
1300頃出発。 
クルビノヴォ村の近くでミニバス2台に分乗して山道を行く。途中で鍵番さんも車に乗せた。ずいぶん細い道を走った。以前いらした方はここを延々歩いて大変だった、とおっしゃっていらした。

1350頃 聖ジョルジョ聖堂 Sveti Diiordje, Kurbinovo
修復中で足場が組まれていた。
単身廊のバシリカで、壁画は1191年に描かれている。カストリアの聖アナルギリ聖堂に参加した画家のひとりが、ここで絵を描いている。

   
   大きさを示すために人物をうっすら入れた

ロマネスク教会では数は多くないが 聖堂内一面に壁画(あるいはモザイク画)が残っているものもある。これまでもカルチャー講座などでは(また本にも)壁画プログラムについての説明があった。しかし、それは キリスト伝、マリア或いは聖人伝について 時系列に左から右ですよ、とか上の段から、とか配列と絵が何を表すかについてのみだった。
それでまあ時系列は分かるので、好きな絵の前で少し佇んで写真を撮って、というスタイルの見学しかしてこなかった。

しかし ビザンティン美術の講座では、絵の配置に意味があることを教えられた。

東側に聖母子、西側に聖母の御眠り、これは理解できる。しかし これも単純ではない。

それが南壁と北壁も対応している。例えばイエスの神殿奉献と哀悼(イエスの死)、エリザベト訪問と冥府降下なども対応しているのだそうだ。

神殿奉献で、シメオンは言う<、、、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。−あなた自身も剣で心を刺し貫かれます> 
それで 神殿奉献、わが子の死の悲しみに泣く哀悼図が対照的におかれることになる。 

「ご訪問」で、ルカ伝では子の誕生の喜びをわかちあったがおなかの中で子がおどったとある。
「冥府降下」ヨハネはヘロデ王によって首を落とされるが、冥府からキリストによって救い出される。 ヨハネという共通の登場人物が場面をつないでいる。

(このあたりのところは 『ビザンティンの聖堂美術』や『ビザンティン聖堂装飾プログラム論』 いずれも益田朋幸著に詳しい)

こういうプログラムが一望のもとに見られるものとしてクルビノヴォの小聖堂見学は期待が大きかったので、ガーン、という感じだった。
外部だけでなく内部も足場が組まれ、前を見て後ろを振り返り、右をみて左を見る、ということが不可能なのだ。しかし見学はでき、そのためか写真も撮り放題、 

間口5mもないのではないか、奥行も10m足らずではないかと思われる。中も足場ががっちり組まれている。↓こんな感じ。

 
 

梯子があり上にあがれるようになっているので高いところの絵が目の前で見られる。これは二回目、三回目の方たちにとっては勿怪の幸い、ということになったようだ。私は あいにくこの日はスカート!それほどヒラヒラしたものではなかったので、もういいわ、と上がってしまった。

買ってきた本から 東壁、 西壁の全体図。 上の方は見えなかった。

 
 
 
 

東 上には「昇天」があるのだがこれは見えなかった。アプシスに「聖母子」。

   
   
 
 天使ガブリエル,拡大 鋭くぎろり、という感じではない。美しい。 もともとこうだったのか、修復の結果か?

向かって左の天使ガブリエル、これがお札の天使。 コインにもなっている。マケドニアの誇る名画、ということであろうか。

聖母子を はさんで「受胎告知」

   
   

マリアは神殿にささげるカーテンの布を織るため、赤い糸巻きをもっている。
東壁全体、受肉の教義を表象している。

西 最上段は 「聖霊降臨」であるが見えない。 その下 「日の老いたる者」

 
 「日の老いたる者」 ケルビム、 セラフィム

その下は 「エルサレム入城」「聖母の眠り」「変容」 時系列には従わず 間には 聖母の死がおかれている。

 
 エルサレム入城
 
 
 
 聖母の眠り
 

 東の聖母子 に対して西の聖母の御眠り、生と死、 東ではマリアがイエスを抱き、西ではイエスがマリアの魂を抱いている、抱くものと抱かれるものがいれかわっている。
 

 
「変容」 キリストの隣、 若いほうがモーゼで老人がエリア。右ヨハネ、中央 ヤコブは倒れている
  
 向かって左のペテロ、

< 「変容」は 「神の顕現(テオファニア)」であるとされる。神は 目に見えないが、キリストが受肉することによって、人の目に見えるものとなった。しか目に見えるのは人の姿をしたキリストであって、神キリストではない。

(このときは見られなかったが)聖霊降臨、 日の老いたる者(父なる神)、(少しずれるが)変容
この三者の図像は<三位一体を信者に想起させる装置である、と言うべきであろう><>内は上記『ビザンティンの聖堂美術』より(以下もこの教会の図像配置についての説明は殆どこの本から)

南壁と北壁を対応させたいので 位置関係を示すために小さな画像で示す。
(見にくくて申しわけない、足場がなくて全体が見渡せればこのようなおかしな写真を並べなくて済むのだが)

南壁  東側から
           
 ご訪問  キリスト  降誕  神殿奉献  洗礼 ラザロ
(西壁) エルサレム入城 
 (聖母の眠り)
 変容


北壁 東側から(時系列的にいくならば西から続くのだが)

           
 冥府降下  ゲオルギウス  墓を訪れる女たち  哀悼  十字架降架  磔刑

「降誕」で産着のイエスは石の飼い葉おけに寝かされているが、「聖女の墓参り」の空の石棺と屍衣。

つまり、受難が示唆され、 成就された、という構造になっている。

「神殿奉献」で幼子を抱いたマリアは向かいの「聖母の嘆き」でイエスの遺体を抱いて嘆いている。

ともかく上に上がるのに、一度に多人数はだめ、ということで時間に余裕がないこと、それに足場でさえぎられたり、前すぎたり、でいい写真がない。いくつかを大きくして載せる。

 
 
 
 ご生誕の場面の天使たちはガブリエルとちがった表情
 
ご生誕はっきりしないが、 左端にマリアと幼子イエス 
 
 
 
 
 
 
 
 
哀悼 キリストの遺骸を運ぶ場面。マリアが膝の上にのせて、ヨハネが手をとり、アリマタヤのヨセフが足を支えている。 
 
 
 
 冥府降下 左上に洗礼者ヨハネがいる。
 
ラザロの蘇生 

別の場所に、下の段右はマリアに授乳する母アンナ   上段は アンナの神殿奉献

 
 

この教会、天使の絵が多い。
来る前に何冊かの本で写真を見たが、輪郭線のはっきりした怖い感じの天使だと思っていた。
しかしこうして間近に見てみると、それなりに美しさも感じられた。

顔は太い郭線ではっきり、ちょっとツンとした感じ、衣の細やかな衣文とともに
絶対に忘れられない絵である。

修復中のため普段はみられないであろう、内陣も見ることができた。
司教座のような椅子とその向こうにあるのは はっきりしないが「メリスモス」(小さな姿で描かれたキリスト)
聖餐という儀式が行われるなわれるのでアプシスの聖母子の下には「使徒の聖体拝領」がよく描かれる。
しかしスペースがない場合、祭壇上にメリスモスが描かれ、パンがキリストの体であることを隠喩的に表す、という方法がよくとられる。
なんだか即物的すぎてどうかな、と思ってしまう。 

   
 

外に出る。眼下にはプレスパ湖 あのミニバスに分乗してきた。

 
 

1450頃ここを出る。ミニバスに乗り、途中から大型バスに乗り換える。
「まだホテルに入るには時間が早いから、今日のうちに聖ナウム修道院に行っておきましょう」 と先生 

それで途中でトイレストップをはさんで(クルビノヴォにお手洗いはなかった)

1700頃 聖ナウム修道院へ

 
 

オフリドの聖ナウムによって905年に創建されたが、18世紀末に破壊された後再建されている。

 
 

聖ナウムの墓もここにある。 内部は写真禁止。

 
 

10世紀のまま残っている部分に注目 外から写真を撮った。

オフリド湖が美しい。 

 
 

1830頃ホテル着  メトロポール 
本当は ホテル・ゴリツィアの予定だったが、先日の雪のため雨漏りで泊まれるお部屋がない、とかで変更になった。それで全員湖側のお部屋になるように注文をつけたそうだ。
 

1915 夕食ビュッフェ 少しわびしかった。

   
   

2020 頃お部屋に戻った。そのまま倒れて 2130頃起き上がり入浴、洗濯

2300頃寝たが乾燥して夜中、喉が乾いてお茶を飲む、強風で目が覚める。

なお、マケドニアについては現地で購入したした下の二冊の本も参考にして写真も勝手にお借りしたものもある。(日本のものは最後にまとめて記載します)