バス移動してバニャニ村(とチュチェル村との間)の 聖ニキタ聖堂 Banjani 、Sveti nikita (大体14:25〜 15:35)標高574m
軍人聖人ニキタスに捧げられた小聖堂。ミルティン王によって1303年以前に着工されたが、竣工は07〜08年と推測、 壁画1320年頃、
ミハエルとエウティキオスのサインはあるが、殆どが弟子の作であろうとされている。
駐車場から向かう、門が閉まっている。 入口はぐるっとまわって坂の途中だった。
教会は村から離れた小高い丘の上にある。 眼下の静かな村から鶏の鳴き声は聞こえても人の姿はなかった。
ほどなく 戸口を開けてもらえた。横に修道士の宿舎がある! 「ビフォア・ザ・レイン」を思い出す。
修道士宿舎は19世紀に建てられ、宿泊することもできるということだ。
アプシス 明かりがまぶしくて全く見えない、 オランスの聖母と使徒の聖体拝領が描かれているのだが。
両脇に お告げ
東 ヴォールト天井 左 精霊降臨、右に 降誕( 多分 1483〜84年 ポストビザンティン時代に描きなおされたもの)
聖母の御眠り 上に被昇天も描かれている。ここでも 天の扉が開き 天使たちもモノクロで描かれている。
上段 最後の晩餐、洗足 中段 カナの婚礼、血膿の女
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カナの婚礼、拡大。 屋根の上の布は室内であることを示す。<テーブルの奥と手前に座らせることによって 三次元空間の感覚は確実に表現されている> (小学館美術全集6 益田朋幸氏のこの絵についての解説による) |
最後の晩餐、 洗足(ペテロが頭に手をやっているのは てれているのではなく、頭も洗ってください!なのだそうだ。)
上図のお向かいには 昇架、降架、哀悼 下段は神殿の清め
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マリアはJイエスにほおずりするために台にのっている。 |
左祭室奥に見えるのは、多分アブラハムの饗応
コンスタンティヌス大帝と母ヘレナ
外に出る、境内にはピクニックエリアもあった。村から離れた眺めのよい場所なので、お祈りのあとはお弁当をひろげるのであろうか。
車窓から見た スコピエの町 城塞 ビザンティン時代 6世紀からあったが、1963年の地震以後復元されている
川沿いに歩く。 帆船はレストランらしい。石橋を渡ってオールドバザール(スタラ・チャルシャ)へ
こちら側はイスラム教徒の町 12世紀以来商業の中心地。↓ユダヤ人街? 貴金属店がズラリ。これほどたくさんのお店があって商売がなりたつのか?心配。
途中、何軒かお土産ものやさんがあった。私は荷物がふえたので布バッグを買った。10€でお財布をオマケにつけてもらった。
橋をわたって、戻り 戦士像(アレキサンダー大王像?)のある広場へ(Macedonia広場というらしい)
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買った頭田袋 |
近くに「マザー・テレサ記念館」があるらしいが、場所がわからないので、写真のおいてあるところだけ見た。
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マザー・テレサ記念プレート(マザー・テレサ はSkoplje生まれ) |
途中、一人の方が焼き栗をお買いになって、それを分けていただいて食べながらホテルに戻った。
ロビー集合で夕食に、なんと先ほどの広場にある中華料理屋だった。
(大体9:00〜20:00)PekingGardenで
一つ一つのお料理の名前は控えていない。 特に感動的なお味、というわけではではなかった。
いよいよ 明日は帰国。 ホテルに戻ってパッキング。
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