9日目 そのU

スコピエ滞在 バニャニ村へ


 

バス移動してバニャニ村(とチュチェル村との間)の 聖ニキタ聖堂 Banjani Sveti nikita (大体1425〜 1535)標高574m

軍人聖人ニキタスに捧げられた小聖堂。ミルティン王によって1303年以前に着工されたが、竣工は0708年と推測、 壁画1320年頃、 
ミハエルとエウティキオスのサインはあるが、殆どが弟子の作であろうとされている。

駐車場から向かう、門が閉まっている。 入口はぐるっとまわって坂の途中だった。

   
   

教会は村から離れた小高い丘の上にある。 眼下の静かな村から鶏の鳴き声は聞こえても人の姿はなかった。

 
 
 

ほどなく 戸口を開けてもらえた。横に修道士の宿舎がある! 「ビフォア・ザ・レイン」を思い出す。

   
   

修道士宿舎は19世紀に建てられ、宿泊することもできるということだ。

アプシス 明かりがまぶしくて全く見えない、 オランスの聖母と使徒の聖体拝領が描かれているのだが。

 
 

両脇に お告げ

   
   

 東 ヴォールト天井 左 精霊降臨、右に 降誕( 多分 148384年 ポストビザンティン時代に描きなおされたもの)

 
 
 聖母の御眠り 上に被昇天も描かれている。ここでも 天の扉が開き 天使たちもモノクロで描かれている。
 
 
 
 

上段 最後の晩餐、洗足  中段 カナの婚礼、血膿の女 

 
 
 
 カナの婚礼、拡大。 屋根の上の布は室内であることを示す。<テーブルの奥と手前に座らせることによって 三次元空間の感覚は確実に表現されている> (小学館美術全集6 益田朋幸氏のこの絵についての解説による)

最後の晩餐、 洗足(ペテロが頭に手をやっているのは てれているのではなく、頭も洗ってください!なのだそうだ。)

 
 

上図のお向かいには  昇架、降架、哀悼 下段は神殿の清め

 
 
 
 マリアはJイエスにほおずりするために台にのっている。

左祭室奥に見えるのは、多分アブラハムの饗応

 
 

コンスタンティヌス大帝と母ヘレナ

 
 

外に出る、境内にはピクニックエリアもあった。村から離れた眺めのよい場所なので、お祈りのあとはお弁当をひろげるのであろうか。

 
 

車窓から見た スコピエの町  城塞  ビザンティン時代 6世紀からあったが、1963年の地震以後復元されている  

 
 
 
 ↑中央郵便局
↓ 勝利門
 
 

16:35頃ホテル帰着

夕食まで1時間あまりあるので散歩、途中で4人ほど一緒になった。

 

川沿いに歩く。 帆船はレストランらしい。石橋を渡ってオールドバザール(スタラ・チャルシャ)へ 
こちら側はイスラム教徒の町 12世紀以来商業の中心地。
↓ユダヤ人街?  貴金属店がズラリ。これほどたくさんのお店があって商売がなりたつのか?心配。 

   
   

途中、何軒かお土産ものやさんがあった。私は荷物がふえたので布バッグを買った。10€でお財布をオマケにつけてもらった。

橋をわたって、戻り 戦士像(アレキサンダー大王像?)のある広場へ(Macedonia広場というらしい)

   
   買った頭田袋

近くに「マザー・テレサ記念館」があるらしいが、場所がわからないので、写真のおいてあるところだけ見た。

 
 マザー・テレサ記念プレート(マザー・テレサ はSkoplje生まれ)

途中、一人の方が焼き栗をお買いになって、それを分けていただいて食べながらホテルに戻った。

ロビー集合で夕食に、なんと先ほどの広場にある中華料理屋だった。

(大体9002000PekingGarden

一つ一つのお料理の名前は控えていない。 特に感動的なお味、というわけではではなかった。

     
     
     
     
     
           

いよいよ 明日は帰国。 ホテルに戻ってパッキング。