10日目 そのU

ネレズィ 聖パンテレイモン修道院


 

ネレズィ 聖パンテレイモン修道院 NereziSveti Pntelejmon (598m)(11:45〜12:50)

1164年に ビザンティン貴族 アレクシス・ コムネノス(Alexis Comnenus)によって建立された。       

最後に真打登場、というわけではないが、今回の旅行でもっとも見たいものであったネレズィのピエタ(哀悼)にやっと会えるかと思うと胸が高鳴る。

駐車場から少し下がったところに教会はあった。横の方に修道士の宿舎と思われる建物がある。これまでこの教会の写真はみたことがあったが、 周囲の様子まで写ったものは見たことがなかった。実際に足を運ぶと周囲の景色まで見られることも嬉しいことの一つだ。

 
 聖堂南側
 
 平面図

中に入る。フレスコ画は16世紀の地震でドームとアプシス上部などは壊れたので16世紀に描きなおされており、コーニスより下の部分が12世紀当時のままである。

入るとすぐ、えっ、もう?という感じに目に飛び込んでくるのが、「哀悼」 北側の壁いっぱいに描かれている。色も明るくとてもきれい。とりあえず写真を。これまで写真集で見た感じでは、ベッドに横たわっているイエスに、マリアが横から頬を寄せているようだったが、こうして全体見ると、マリアは膝に硬直したイエスを抱えていることが見て取れた。

 
 
 
 

穏やかに眠るイエス、泣きながらかき抱くマリア、手を取って嘆いているヨハネ。うえのほうでは天使も泣いている。

これとむかいあって、この聖堂でも「神殿奉献」が描かれている。(上は 洗礼、と洗足だが、16世紀の作)

 
 

改めてアプシスを見る。(東側全体写真が撮れなかったので買ってきた本から拝借)左端の入口は人一人がやっと通れるほど、 

   
 上部、コンクの聖母は 16世紀の作
 
 
 使徒の聖体拝領
 

その下、祭壇にかくれてよくみえないが、「空の御座」(鳩のいるところ)

   
   

空の御座 とは、最後の審判の時にキリストが座る場所で、ビザンティン聖堂では最後の審判が描かれることは多くなく、空の御座を描くことによって終末論を表現している。

東側右へ 聖パンテレイモン(4世紀ごろの医療聖人で若くした殉教したそうだ、初々しくて美しい)、お告げを受けるマリア(お顔が剥落)

   
   

南壁にうつって神殿奉献 その横(直角に)に変容、

 
 ↓ついで(直角に曲がる)ラザロの蘇生
 
 続いて↓「マリアの誕生」
 
 西壁 上の 「聖母の御眠り」は16世紀の作   入口ドア枠の大きさからさっせられるように 狭い空間である。

 「マリアの誕生」 拡大、 その左は「マリアの神殿奉献」場面で母アンナのみ、マリアは剥落、しかしアンナはほっそりとして美しい。そうして寂しそう。
西壁にマリアの生と死が描かれていることになる。

 
 

曲がると(西) 「エルサレム入城」 「十字架降架」

 
 
 
 
   
 「十字架降架」と 「哀悼」 の一関係を示すために、道具の入った籠  哀悼場面には降架で使った釘抜が入っている

16世紀の作だが ドームにはパントクラトール

 
 

ところで この聖堂には 主ドームのほかに四隅にもドームがあるが、その天井にそれぞれ異なったキリストの姿が描かれていて、このパントクラトールとあわせて キリスト五態、が描かれてることになる。

インマヌエル(北東)、成熟したキリスト(北西)、祭祀キリスト(南西)、日の老いたる者(南東)

私は 北東と北西の二枚しか撮れていなかった。 ↓インマヌエルだが、剥落していてよくわからない。

  
 
 
 成熟したキリスト

私は この成熟したキリストのある(一人ずつ交代に入るしかない)細い空間に描かれている 聖トゥリュフォン(St. Tryphon)が素敵だと思った。

   
 

そうして ロマネスクファンとしての私の目を引いたのはテンプロン(内陣障壁)、祭室部分と身廊のあいだのしきりだ。ここでは大理石でできていて彫刻が素晴らしい。

正面、向かって左、聖母子像の下。

 
 
 
 
 
 
 
 ラヴェンナの司教座聖堂の アンボ を思い出す。
 
 

おきかえられたものもあるが、基本的には12世紀創建当時のままだそうだ。

バスで スコピエ市内にもどって 昼食 そのVへ