4:30 起床
6:30〜 朝食 朝食室 ドイツでは朝食にパンケーキをおいてあるホテルが多かった。
7:15 荷物出し
8:00 バスで 市内観光(約2時間)出発
カッセル市の中心部に入ってすぐ気がつくのは 道路が広いこと、中世風建築が目につかないことであった。
調べてみるとこの町も第二次大戦中イギリス軍の空爆を何度も受けたが、1943年10月22日の空爆はもっとも激しく、一晩で1万人以上亡くなり家屋の80%が破壊されたそうだ。(説明ではカッセルの町はこの大戦で100%破壊されたそうだ)しかしこの町の方針として昔の街並みを再現するのではなく新しい都市作りをしたのだった。町の65%緑化。
カッセルの名が初めて記録に現れたのは913年、カッサーラ(ラテン語で城の意味)という名で。
現在 人口20万人。かつてグリム兄弟は30年間この町に住み、1812年グリム童話集を出版。
約160ヵ国で翻訳されている。
フルダ川沿いに走る。車窓から
まず丘 ヴィルヘルムスヘーエの上へ ヘラクレス像のあるところは 高さ550m、風もあり耳が痛いほど寒い。
気温は3℃
15分くらい眺めて下に(バスで)降りる。
ヴィルヘルムスヘーエ宮殿のお庭 お花はきれいだが、それだけ。公園は端から端まで歩くと1時間かかるほど広い。
毎週水曜日には水が流されるそうだ。噴水ショーを見るために多くの人が集まる。
今日は水曜日なので、帰りには交通規制が始まっていた。これを見るためには早くにきて場所取りをする必要があるので今回のツアー予定にはない。
しかしここで現地ガイドのK氏のお話が興味深かった。
カッセル観光の話ではない。ドイツ事情について。
ドイツでは老人福祉はなってないそうだ。デイサービスとかはない。家族が面倒をみる。老人福祉のための政策を日本に学んでいる。ドイツにも老人ホームはあるが、月に2000〜3000€かかる。(日本も そのくらいかかるのに、、、。)など、
別のところではメルケル批判をひとくさり。ドイツにネオナチが増えているが、そうなった背景について考えるべきだ、と力説。 メルケル首相といえばEUを引っ張っていく強力なドイツ首相、というイメージだがドイツに住む人にとって、望ましいと思われている、とは限らないらしい。このガイド氏、別に右翼的な人とは思わないが、「メルケルは自分で決めることができない人、原発廃止にしても何にしてもあちらにこういわれこちらにこういわれて前言を翻しながら決定している」など。メルケル氏は現在批判票が多くなって退陣を余儀なくさせられている。遠い日本では素晴らしい人と思っていても住民にとっては、そうとばかり言えないらしい。
観光旅行では 旅する人にとって その土地ゆかりの人、文学作品、映画などで思い入れがあるとか、歴史的建造物があるとかが重要だと思う。
グリム兄弟の遠い思い出だけでは支えられない。現地の人にとっても、観光だけではやっていけないのだと思う。だから近代的町造りをして、現代の人寄せとして噴水ショーとかやっているようだ。
しかしアトラクションやきれいな公園は別にドイツに来なくても見られる。
ガイド氏の話がなければ私にとってカッセルは特に来る意味はない街だった。
カッセルでこのガイド氏にドイツ事情がきけたことは大きな収穫だった。
ヴィルヘルムスヘーエ城 18世紀後半にヴィルヘルム一世が建てた城で現在は museumになっている。
山の上のレーヴェンブルク城を見る予定だったが、交通規制か何かの関係でかなり長い間交渉していたがだめで(私は別に、残念とも思わなかったが)花田さんは非常に済まながっていた。
かわりに、帰りにグリム兄弟像のある場所に立ち寄った。後ろの家にグリム兄弟が住んでいた。
10:00〜11:30バス
シュヴァルムシュタット
民族博物館 シュヴァルムシュタットミュージアム https://www.museumderschwalm.de/
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ここを右に曲がると入口 |
この町では5月か6月にサラダキルメスというお祭りがあって、民族衣装を着た人々の行列や踊りが見られる、ということだが(このツアーでも5月のツアーではこれを見物することになっている)そのための衣装、なども展示されている。レース編みが 晴らしい。
お人形なども売っていたが、おくところもないので買うのはやめにした。
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お祭りのときはこういう衣装で練り歩くらしい |
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羊飼いの家族? |
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風見の旗 かつての市庁舎に1925年までつけられていた。風見の旗はいくつもあって、いずれもとても美しかった。(一つ欲しかった)
コップのような帽子。若い既婚女性は緑、ベテラン女性は紫、未亡人は黒。女の子は赤
写真が多くなったので 途中だが そのUへ
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