8日目 そのU

ヴュルツブルク続き〜 テュービンゲン




ざっと観光したところでランチ。 ここでもラーツケラーで。13201410
  
   
   
 部屋の飾りに歴史が感じられてステキ(意味はわからないが)

スープ、 ビーフグヤーシュ、 チーズケーキ フランケンワイン付き

   
   
     

私たちは 全員座れる広さのお部屋だったが、こういう部屋もあった。
バロック、ロココは趣味ではないが、歴史ある町はよいものだと思った。

ラ−ツケラーの横が市庁舎

 

1500まで フリータイム
教会を見に行かれた方もいらしたが、私は橋で風に吹かれてぼんやり過ごした。帰って、かってきた本など見ると見残しがたくさん。もっと調べて精力的にまわるべきだったかと反省。

橋から マリエンヴェルク要塞を眺める。

 

旧マイン橋(アルテ マインブリュッケ)1473年から1543年にかけて造られた。 

置かれた彫刻は バロック時代のもの  真ん中が 聖キリアン

 
 
 
 お昼時のせいか ワイングラス片手に川を眺めている人も見かけた
橋のたもとにオープンエアのレストランがある
 
 水位を調節するところ

1510〜 1810 バス (トイレ休憩をはさんで)夕方ちかくなって テュービンゲン到着

テュービンゲン

「夕食は町中なので、ホテルにいかないで先に少し市内観光しましょう」ということで徒歩観光開始、バスをおりて橋(エバーハルト橋)を渡る。 

 
反対側 
 

憧れていた町、いま、自分がテュービンゲンにいるのだ、ということが嬉しくてたまらない。

橋を渡りながらチラッと左を見る。ヘルダーリンの塔が見えるはず。でもあの足場を組まれているのが、そうではないか?修復中?一瞬力が抜けそうになる。でもテュービンゲンに来た嬉しさは続いている。川沿いより一本上の道を行く。ネッカーガッセ 少しずつ上りになっていく。左は シュティフト教会

 

最初は普通の家だが少しずつ木組みの家。シュティフト教会あたりから木組みのオンパレード。
木組みにはいささか食傷気味だが、テュ―ビンゲンはどのような姿でもよさが減ることはない。
今憧れの町を歩いている、ということが嬉しいのだから。

 
 

テュ―ビンゲンという町は大学町(町の人口の3分の1は学生だとか) 

大学は1477年創設 神学研究で有名。
詩人ヘルダーリン(1770〜 1843年)哲学者のシェリング(17751854年、シェリングは早熟の天才だった)ヘーゲル(17701831年)もここで神学などを学び3人は寮で同室だったそうだ。シェリングもヘーゲルも思想内容は忘れてしまった(というより、もともと理解もできていなかった)が懐かしい名前である。
実をいうとヘルダーリンの詩は読んだことがなく旅行にさいして初めて一冊購入。
詩よりもヘルダーリンのロマンスに関心があった。
ヘルダーリンは大学卒業後、神父にはならず家庭教師をして生計をたてていた。
1796年フランクフルトの銀行家の息子を教えているときその母親ズゼッテと恋愛関係になった。
プラトニックだったらしいが、夫の知るところとなり、夫人は実家に帰された。
二人は文通を続けたが、6年後にズゼッテはなくなった。
それ以前から統合失調症の症状はあったが、夫人の死のショックで一層ひどくなり、1806年テュ―ビンゲン大学医学部精神科に入院。
その後自宅療養となった時 彼の詩の熱心な愛読者だった家具職人ツィンマーが引き取り彼の家の塔にで亡くなるまで36年間面倒をみたそうだ。

ミーハーだとは思うがそのヘルダーリン塔をみることがこの町に来る目的だった。

またこの町はヘルマン・ヘッセが修道院を抜けだした後、189598年、書店員として働いた町としても知られている。

 
 シュティフト教会の前にヘッセが働いたヘッケンハウアー書店 
 
 教会前の噴水

さらに進むと 市庁舎

 
 
 
市庁舎 1435年に建てられ、その後上に増築
 
1511年に散りつけられた天文時計は今も動いている。

ハーナウなどでは見かけなかった観光客がヴュルツブルクやテュ―ビンゲンにはあふれかえっていた。 
古都の趣がないところにはあえて行く人はいないのだろう。

 
 市庁舎広場 べつの方向

1845 夕食 Weistube Forell 道の左側の建物

  
   
 
 
 
 
 

かぼちゃのスープ、たら、 りんごフリッター

2010 バス  2015ホテルAm Bad着  家族経営の簡素なホテル。

   
    翌朝撮ったホテル前景