9日目 9月28日(金)

テュービンゲン滞在(ベーベンハウゼン修道院へ)




今日の予定は午前中はホーエンツオルレン城へ行き、午後は市内観光だが、昨日すませたので午後はフリーということになっている。

ホーエンツオルレン城は美しい外観なので、行ってみたい、せめて全容が眺められる場所にでも行きたいとは思うが、ほかに行ってみたい場所があるのでホーエンツォルレン城行きは断念。午前中、午後それぞれ一か所づつ単独で修道院を見に行き、昼食は一緒に、ということにした。

行きたい修道院はベーベンハウゼンとヒルザウ。山川出版社の『世界歴史の旅ドイツ』にマウルブロン修道院とともに写真が載せられていて関心を持ったのだ。 

400 起床
630〜 700 朝食 

 

種類は多くない。 卵料理も出す、といっていたが、なかなか出てこない。
奥さんが家事でいそがしいらしい。 56歳くらいの女の子がちょろちょろ。ホテルの主人であるパパが料理を並べてあるところから子供の分をとってあげている。なんとも微笑ましい光景。

皆さんは830 出発 私は900ごろホテルを出て徒歩で駅横のバスターミナルへ
ネッカール川沿いの木立の中を行く。一人では少し心配だが気持ちがいい朝の散歩。

 
 
 
 

ブラウス、カーディガン にコートをきているが指先が冷たい。

 
 アンラーゲン湖

955頃 バスが来た。 ベーベンハウゼンを通るはずだが、念のため待っている人に聞くと運転手さんに聞いてくださって、大丈夫だと分かった。運転手さんのそばに座る。町中では短い間隔でとまるが、町を出たとたんノンストップスピードをあげて走って1020頃、着。運転手さんはそれとなくこちらをみて合図。
降りると向いの小高いところにそれらしい建物が見えている。

 

最初駐車場のところに入りこんで そこから階段をあがろうとしたが、上がって入れないと困るので外側を少しぐるっと回る。修道院の壁 緑の塔 

 

出会った方に入口を聞くと、どこからでもはいれるというようなことをいわれたので、最初の階段をあがってみた。

ベーベンハウゼン修道院 

https://www.kloster-bebenhausen.de/

 

1187年頃宮中伯ルードルフ・フォン・テュービンゲン が創設。
最初はプレモントレ会だったが、1190年以降シトー会に属す。
教会完成1228年。フィールング塔140709年、
クロイツガングと泉水館147196年。二重の修道院囲壁は中世のオリジナルのまま。

1525年の農民戦争では大きな被害をうけ、宗教改革によりルター派修道院となる。
1556年には 1214歳の子供のための修道院学校を作った。1806年まで)シェリングもここに在籍した。(そのあとテュ―ビンゲン神学校へ行きヘーゲルやヘルダーリンと友達になる)こういうところはマウルブロンと同じだ。

クロイスターミューレ(ここは囲壁の外、もう記憶があいまいで このあたりスマホでとったのに写真が消えてないが、横に水が流れていたと思う)

 
入口で5€払い 日本語版の案内を渡される。その順路に従ってまわる。
 

すぐ回廊に出る。向こうは教会。静寂の中 泉水から流れる水の音だけがきこえてきてとても気持ちがよく心が洗われるよう、といった表現がぴったりの場所。しかし凍えそうなほど寒い。

 
 
 
 
 
 泉水館
夏用食堂 1335年 3本の八角形の柱で支えられている。
 
 
   
 
 
回廊へ出る扉口の上、 絵は マリア戴冠 1330/40
ブルーダーハレ(集会室 13世紀中期) 展示室になっていた。
 
カピーテルザール 13世紀前半
 

説明書によると、カピテルとはベネデイクト修道会の規則。近世を破って者はここの石に膝をついて 処罰をまったそうだ。
パルラトリーム(ここでだけ修道士たちはおしゃべりしてよかった。13世紀中期)では床下がみえるようになっていた。(床下暖房の設備、この建物はプファルツ伯の屋敷だったため。修道士たちは暖房を使わないように石を詰めていた)

 
二階に上がる。 修道士の寝室。共同寝室 木の天井は1513年のもの。
 

個室。 わらのベッド 手洗い 

 
   
   
   
フェルディナンドの部屋(図書室)
 
回廊 天井のリブが美しい。
 
 
次の部屋には宝物が飾られていた。 司教杖 (1550年)
 
冬の食堂 1513年頃
 
 
 
 
 
 

この後回廊から教会に入ったが写真が多くなってきたので そのUへ