10日目 そのU

〜フロイデンシュタット〜バーーデン・バーデン


 
午後はいよいよ黒い森に入っていく。約1時間バス
フロイデンシュタット立ち寄り、と行程表にはあったが、一体どこにバスを止めるのか、トイレストップ程度ではないか、とあまり期待しないことにしていた。
フロイデンシュタットの書見台 として名高いロマネスク彫刻があるはずだが、、、。
 

14:00 フロイデンシュタットの広場着(帰って地図で調べてマルクトプラッツと判明

 
 向こうの ネギ坊主の教会 にロマネスクの逸品があるとは考えも及ばず、広場をフラフラ。
 

でも あまりみるところもないので、教会にはいってみた。おかしな造りの教会;L字型で直角をはさむ二辺の長さが等しいのだ。

 
 
 

ところが、前方に赤い砂岩のような石の大きな洗礼盤、これは面白い、と近寄ってふと右手をみると、なんとそこに書見台があった.

ほとんど写真の無い『ドイツ中世美術T』岡野ハインリッヒ圭一著 に写真が出ていたものなのですぐに気が付いた。
躍り上がるほどうれしかった。

帰って、岡野氏の『ドイツ美術史散歩 古彫刻篇』(111頁〜)を開くとこれにも出ていた。出発前にこちらの本は確認しなかったのだが、こちらにはこの広場にあることがちゃんと書かれていた!

フロイデンシュタット という町は16011608年に銀鉱山開発のためにヴュルテンベルク公が新設した町で、オーストリアを追放された新教徒を入植させた。教会もその時に建てられたもの(したがって、洗礼盤と書見台はどこかの教会からもってこられたものである)。

フロイデンシュタット市教会
1945415日 町は爆撃されて破壊。(こんな山の中まで爆撃されるとは!)
194850年 教会再建。

入ると通路の奥に何やら(書見台だった!) 左列の椅子のおくに少し何か見えているのが 洗礼盤。 奥左手の椅子から直角方向にも身廊があることがわかる 
洗礼盤 由来は分からないが1100年頃のもの。

   
 直角方向の身廊  
   
   
   
   

書見台 1150年頃 硝子ケースにはいっているので光が反射して うまく撮れなかったが。

4人の福音書記者が 書見台を支えている。マタイ(人)マルコ(ライオン)ヨハネ(鷲)ルカ(牛)

   
   
   
   

書見台が四福音書記者のシンボルを伴う例はあるが、四福音書記者そのものの像を伴う例はイタリアにわずかにあるが、ドイツ中世においてはこの作品が唯一。古さにおいても質においても当作品と比肩される作品はほかにない。
様式としては ヒルザウなどの当時の写本との関連も認められる。身体が薄く二次元的であるのにたいして顔とシンボルが丸彫りに近く強調されているところから12世紀中期以降を暗示されてもいる。ゴシックの人間主義とは異なるロマネスクの精神主義が明瞭。ヒルザウ系の教会からヴュルテンベルク公が移管したと思われるが正確なところは不明(以上岡野氏の本から)

窓ガラスが映り込んでしまったが、横顔もいい。もの想うような静かなまなざしが印象的だった。

 

フロイデンシュタット まさに喜びの町、だ。

30分ほど休憩したあと 1430からまたバスで黒い森山岳道路を行く。

黒い森、というのは樅の木(実際はドイツトウヒで樅の木より高くなる)などの木が鬱蒼と茂って黒黒とみえるからだそうだが、今日はお天気がよすぎて緑深いが黒くは見えない。

ドイツは木組みの家が多かったが やはり、森の国、木の国なのだと思った。 旅行中 「樅の木、樅の木」や 流浪の民のメロディー(ブナの森の葉隠れに)が耳底から離れない。花田さんが「樅の木」の曲を流してくださったりもした。

 
 
 
 

1510頃  1000mの峠でトイレストップMummelsee
私はshopをのぞいただけだが、上には教会、奥には湖があったそうだ。

1535頃出発 
バーデン・バーデンのホテルの前が工事中で なかなかバスが着けられなくて230分くらいぐるぐるまわって 
1700頃ホテル到着
ゾフィエンパークホテル 素晴らしい高級ホテル

1730再集合して市内観光

51 クアハウス 中にカジノも。

 
 
 
 

その先に トリンクハレ何かあるらしくて 中にははいれなかった。 

 
 
 
 
 
 
 
 

橋をわたって

   
   

市教会へ
   

フリ−ドリヒス浴場 

   
   全体写真は撮れなかった

ローマ時代の浴場跡を通り抜けて 

   

次はカラカラ浴場に行ったが 写真が多くなってきたので そのVへ