11日目 そのV

ドナウエッシンゲン〜フライブルク


ドナウエッシンゲン Donau Eschingen 15151605 標高677m

列車をおりてしばらく歩く。橋のたもとに歌碑がある。

   
  碑の横の案内板 

精神科医で歌人であった斎藤茂吉に『ドナウ源流行』 という紀行文がある。ウイーン留学中にドナウ川の源流が見たくて1924年ミュンヘン経由でこのドナウエッシンゲンにやってきたときのことが書かれている。(青空文庫で読める)
その時の歌が彫られている。    歌  大き河ドナウの遠きみなもとを尋めつつぞ来て谷のゆふぐれ
茂吉がドナウエッシンゲンに着いたのは夜遅く、でも はやる心を抑えきれず、夜の中 川を見にいっていったことが上記の紀行に書かれている。そのため、なんとなく暗いイメージをもっていたが、明るく晴れやかでちょっとイメージが損なわれた感を私は持った。

茂吉が訪ねたことが縁となって、茂吉の生まれ故郷の上山(かみのやま)市とドナウエッシンゲンは姉妹都市となっている。

橋から川を眺める。 これはブリガッハ(Brigach)川
 

このブリガッハ川とブレーク(Breg)川が合流してドナウ川となる。ここからブリガッハ川沿いにブレーク川との合流地点までの1.7qほどの道は斎藤茂吉の道と名付けられている。(残念乍ら私たちはこの道は歩かなかった)
上写真の川沿いの道が 茂吉の道

橋の途中から 正面にみえるのは ディアナ噴水(Diana Fountain1904年 皇帝ウィルヘルム二世がつくった。
 

橋を渡って右へ行くと 聖ヨハネ教会 

 

ここのテラスから 教会となりのフュルステン公の宮殿のお庭にあるドナウの源泉が眺められる。

 
 
 
 
 

写真には写せなかったが、中心あたりで水がボコボコ湧き出ていた。

一応ガイドブックでこのように飾られた泉であることは知っていたが、本当は森の中の落ち葉を踏み分けていくような場所であってほしかった。
またブレーク川の源というのも合流点から48q遡ったフルトヴァンゲンにあり、源泉争いをしているそうだ。

まあ、合流点ということではこちらがドナウ川としての始まりでいいのかもしれない。

ドナウ川は国際河川だ。
初めてドナウ川を見たのは、ブダペストだったと思う、鎖橋を歩いて渡った、、、。その後行ったブルガリアとルーマニアの国境がドナウ川だった。ああ、レーゲンスブルクでも見たし、、、。
海外旅行もそろそろ打ち止め、という今、その源泉まで来た。 
家族の理解と何とか健康も維持できたからこそ。感謝である。

聖ヨセフ教会をのぞいたり、少し歩いてインフォーメーションでパンフレットをもらったりしてから、駐車場へ 
この町へはモーツァルトも来たことがあるそうで、音楽祭でも有名だとか。

バス(途中でトイレ休憩があったらしい、道中の記憶も写真もない)

フライブルク Freiburg in Breisgauが正式名称 

17501900 夕刻、ささっと市内観光(やはり列車を待っている時間がもったいなかったと思った)。

ナチス政権下の193334年フラブルク大学の総長は、マルティン・ハイデッガー
フライブルクも 第二次大戦で爆撃を受け市の北側は完全に破壊された。
大聖堂は比較的被害が少なかったそうで爆撃後の写真でも塔はちゃんと立っている。
バスをおりて数分歩いて、大聖堂へhttps://www.freiburgermuenster.info/html/content/muensterbesuch963.html

フライブルク聖母大聖堂 

1200年に建設開始、1512年完成 ロマネスクとゴシック様式

   
 西正面の高い塔(116m)が印象的  Googleマップから
 

西正面

 
 
 
 拡大(保護のため網がかけられている)
磔刑、その下はミカエルによる魂の計量、地獄行きと天国行きが分けられる、 その下左はイエスの受難、 右はご生誕

中は暗くて手振れ写真が多くなってしまった。

   
   
東部はロマネスク
   

グリーンマン』 ウイリアム・アンダースン著 河出書房新社 という本がある。 
かなり前に出た本であるがその最初のほうに この教会の透かし彫りの先頭の写真がでていて、そこにグリーンマンの彫刻があることが述べられていた。また教会内部にもあることが書かれていたので、この教会に来ることが楽しみだった。 
そこで グリーンマン探し。

教会内のはみつかった。聖墳墓礼拝堂 グリーンマンが受難と関連付けられている。
グリーンマンは植物崇拝と関係がある。死と再生は受難と復活に対応する。そこで墓所にグリーンマンがおかれる理由があるのだ。グリーンマンは金色のマスク。

 
 
 

塔のほうは 見つけられなかった

 
 一番上の四方に小さくつきだしているところにあるはずなのだが
 
 南扉口
 
北側 
 
教会横の商館 

それから 市庁舎広場へ  白 新市庁舎  赤、旧市庁舎(旧市庁舎が爆撃で破壊されたので、機能を新市庁舎に移し、其の後 旧市庁舎を再建)

 
 
 
 

市庁舎広場で一休み、 少しフリータイム 89市庁舎広場向こうに大聖堂の塔が見える。

 

街歩きなさった方もいらしたが、どこにどのようなものがあるかわからないので、お隣の教会に入ってみた。

   
   帰りにまた大聖堂を観た。夕日に赤くそまって美しかった。

1910ホテル  ノヴォテル・アム・コンツェルトハウス着

駅に近いホテル。 窓の外を見ると教会の塔が!

   
 まさしくロマネスクの教会 ああ、ここにいきたかった!調べてみると 聖ヨハネ教会

2000 ホテルで夕食 サラダ、白身魚、お誕生日の方がいらしてチーズケーキ(今回はお料理写真の撮り忘れが多い)

   
   

2300頃 寝た。