前日 1日目  6月13日(水)、14日(木)

成田~ チューリッヒ~コンスタンツ



前日、1日目 613

集合が朝810 と少し早いので、成田に前泊することにした。

妹とYCATで待ち合わせて1550発のバスで成田第2ターミナルへ、 そこでホテルのシャトルバスに乗り、ANAクラウンプラザ成田ホテルへ

チェックインのときに翌朝650発のシャトルバスを予約

お部屋、眺めはよくない。ホテルで食事はもったいないので、二人とも途中でお弁当を買ってきてある。食事をしてお風呂にはいって おやすみなさい。

614

545頃起きて 640チェックアウト バスはもう来ている

705 第一ターミナル着

朝食をいつものように えん でとるつもりだ。朝は混むので早めにきたのだが、なんと開店は730

しばらくぶらぶら、

開店と同時に入り、私は鮭茶漬け、妹は鯛茶漬け。

   
   

終っても集合時間にはまだ早い、とゆっくり行くと途中でFさんたち三人とであった。もう登場手続きをすませられたそうだ。あわててスーツケースを引き取って集合場所へ。殆どの方がもういらしていたようだ。

添乗員は 花田さん。 お名前を伺ったときにもしや、とおもったが矢張りそうだった。五月の函館旅行、私はA社で行ったがE社も同日程であり、その時花田さんとよばれて信頼されている感じの添乗員さんがいらしたのだ。あたりかな? 

いつもだと、集合時間にこの場所で再集合だが、「もう自由にして時間が来たら飛行機に乗りこんでください」

搭乗手続きをして、手荷物検査をうけて、、。 エレベータ―おりかけたところで、どうも身軽だなとおもったら、キャリーをひいていないことに気がついた。真っ青!あわてて手荷物検査のところに戻ると、検査係の人がその前で番をしていた。検査にひっかかって体中なでまわされ、上着を着たりしているうちに引き取ることを忘れていたらしい。他のところに置忘れだとどうなったかわからない、ともかく助かった。

いつものように免税店で化粧品を買ったり、二人で写真をとりあってラインで家族にいってきますメールをしたりして 時間をつぶす。今回は乗り継ぎなしなので、ここでお水を買っても没収はされないのでお水も買って機内へ。

スイス航空は初めて。座席幅は狭いほうではない。足のせ台というのを買ったのでそれをセット、食事テーブルの根元あたりにブランコみたいなものをひっかけて足を乗せる、結構ラクだった。(キャリーが前座席下に入ればそこに足をのせるのだが、入らない場所もあるので買ってみた)

1230 頃 食事 

   
 一回目の食事  二回目の食事

日本時間夕方5時ごろ おにぎりが配られた。すこしかたかった。

二回目の食事、フルーツが新鮮だった。

機内では持ってきたミステリーが面白くて一睡もせず一冊読み上げてしまった。

1535(これは予定時刻だが、ほぼ予定通りだったような気がする)チューリッヒ空港到着 

スカイメトロというらしいのだが、地下鉄の様な電車で移動して出国手続き、これにかなり時間がかかった。

現地時間 415 バスで出発

1時間くらいでドイツとの国境へ、ノーチェックで通過。

   
   

今回は12名と少人数にもかかわらず、ホテルがとれなくて二手にわかれることになった。 最初に橋の向こうのホテルに泊まる人3人をおろして、私たちの泊まるホテルへ。 
どうやら、ホテルの設備、広さはあちらの方がよいらしいが、こちらは旧市街、というよさがある。

ホテル グラフ・ツエッペリン Graf Zeppelin に 1815頃到着

外壁がフレスコ画で飾られている由緒ありげな建物だ。

まだまだ日は高い。お部屋に荷物を置いて湖の方へ行く。 今夜は夕食なしなので、持ってきたものですませてもいいが、湯沸かし器がないので、どこかで調達するかレストランに入るか、歩きながら考えることとする。

地図はグーグルマップからコピーをしていったがホテルでもらった地図が役立った。お店がごちゃごちゃかいてあるな、と思ったが何屋さんの横を曲がる、とか分かりやすいのだ。

ところで コンスタンツKonstanz)という町 標高402m

有史以前にから人は住んでいたが、4世紀半ば、ローマ皇帝コンスタンツ・クローレによって築かれた町ということになっている。この町は141418年に開かれた公会議で知られている。
公会議は 大聖堂や和議の館と言われる建物などで開かれた。

この時の公会議の目的は、教皇が3人いたためにその混乱を収拾すること、と異端者の処罰、教会組織の改革などである。 
当時教皇庁はローマとアヴィニョンに分裂しており、一本化するためにピサで二人を廃して別の教皇を選出したが、二人がやめないため人の教皇がいる、という事態になっていた。

またボヘミアのフスはイギリスのウイクリフの信仰の内面性に基づいた宗教批判に影響を受けチェコ語で説教をし教会批判、贖宥状に反対していた。
このほか 『北の十字軍』 山内進著 に書かれていたのだが、 キリスト教徒でない人々を武力でもって改宗させることの非を告発したポーランド司教がいたことも特筆すべきことだと思う。

そういう歴史的に非常に重要な会議が開かれたコンスタンツという町は一度来てみたかったところだ。

今めざしているのは その和議の館

途中のマルクト広場に 皇帝の泉(カイザーファウンテン)という噴水がある。彫刻の意味不明 横にはメイポール、 

   
   彫刻拡大

そのまま進むと地下に少しもぐるようになって湖のそばに出られた。

自由の女神ならざる 娼婦インペリア像、皇帝と教皇を 手の平に載せてゆっくり回転している。

   
   

公会議の頃 コンスタンツの人口は7、8000人くらいだったが、会議のため各国から司教修道士なども集まり、人口が56万人とも10万人と伝えられるほどにふくれあがったそうだが、娼婦たちもやってきた。
その数800人とか。その中もっとも売れっ子だったといわれる(別の小説からとられたとの説あり)のがインペリア。教皇も皇帝も手玉にとられた、と皮肉っているようだ。(このくらいの鷹揚さ、歴史を見るゆとりがほしいものだ)

湖の写真をとって、和議の館(Konzilgebäude)へ 

 
 
 
 和議の館

ここの一階は レストランになっている。 テラス席へ

分量が多いと困るな、と思いつつ、私は鶏肉入りサラダ、妹はスープを頼み 白ワインも注文。

   
   

周りを見回すと皆さん一皿だけ注文されているようだが、お皿が30cmくらいありそう。それを完食されている。

鶏むね肉はやわらかかったが、お味は普通。

2015頃ホテルに戻ってきた。

 
 

このホテルは1865年に建てられたが1900年に焼けおち、1905年に元と同じスタイルで建て直されたそうだ。

彫刻等が美しく清潔感があり、泊まるのが嬉しいと思えるホテル。お部屋は広くはないが、今回どのホテルもスーツケースを二つ拡げらる広さだった。

 
 フロントのある入口ホール 奥がレストラン
 
 泊まったお部屋