2日目 そのⅢ

コンスタンツ市内




バスでホテルに戻り荷物を置いて再集合。1615くらい?徒歩で大聖堂へ向かう。
コンスタンツ大聖堂 Münster Unserer Lieben Frau
https://www.konstanz-kirche.de/html/muenster_unserer_lieben_frau332.html
↓ Wikeを上げるのはどうかともおもうが、これが詳しい。
https://de.wikipedia.org/wiki/Konstanzer_Münster

8世紀には既にあったとされているが、現在の教会は1089年に奉献されている。塔を持つ西正面は1215世紀のもの。

   
   

中に入ってみてもゴシック,という感じ

塔に登りたい人とクリプタに行きたい人と別れたが 私はクリプタ行き。

   
   4本の柱があるが、右手2本の間に聖ペラギウスの墓

クリプタはこの教会の一番古い部分で8世紀にはあったとされている。9世紀、ローマから聖ペラギウスの聖遺物がもたらされたので、クリプタは拡げられた。坑道式、という作りだと、『ロマネスクの教会堂』(ふくろうの本)にはかかれていたので、 どういうものか見たかったのだ。
↓ 坑道とはこのことか、通れないようになっていた

   
   

上右 紫色が910世紀、青が10 世紀から1250年まで、黄色が1250年から1550年までに造られたもの。 

0284 4本の柱があるが、右手2本の間に 聖ペラギウスの墓

   
   

柱頭

壁にいくつか彫刻された円盤が飾られていた。いずれも複製、 これは11世紀のものの複製

   
   

クリプトを出て図でいうと青で丸く囲われた場所へ。

ここには 聖モーリス・ロトンダ(St.Maurice Rotunda)がある。聖モーリスはオットー朝の守護聖人。

   
   

このコンスタンツ大聖堂にも975年頃、聖モーリスの聖遺物がもたらされ、13世紀にはこのようなロトンダが造られた。

他にもchapelはあるようだが、私は博物館に行きたいので時間が気になる。それを添乗員さんに言うと17時15分には塔にのぼった人達と待ち合わせですから、と教会本堂に戻る。 

 
 

妹と二人で ローズガルテン・ミュージアムRosgarten museum)に急ぐ。

http://www.rosgartenmuseum.de/museum/geschichte/#

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分もかからない。昨日見た噴水のすぐそば。 
写真は昨日撮ったもの。

この建物は元は 肉屋、薬屋などのギルドハウスだった。
(最初に言及されているのは1324年)

その後、となりの家とつなげられ、1870年薬屋でコンスタンツ市議会のメンバーだったLeinerなる人が博物館の基礎を築いた)

どうしても観たいものは一つだけ。

ウルリィッヒ・リッヘンタール (Urlich Richental)による『コンスタンツ公会議の年代記』
( Urlich Chronicle

<ウルリッヒ・リッヘンタールはConstanceの都市指導層ではないが、かなりの資産を持ち、ラテン語の知識がある。

1425年頃完成。オリジナルは存在しない。
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世紀末以降は印刷本の形で普及。

〈出来事の記述が主観的で、教会会議の議論が少ない。
しかしコンスタンツの町の人々にとって公会議が何であったのかより集まった人々に関心があったようだ。
多くの挿絵で人々が生き生きと描かれている>などということをカルチャー講座で聴いたことがある。

時間があまりないので、ゆっくり館内を歩いて探すわけにはいかない。

チケット売り場で以前(2006年)カルチャーセンターの講座でお話を聞いた時のレジュメを持参、その絵をみせて、ここに行きたい、というと、階段を指さし、上がって右、という。部屋は椅子がならべられていて、レクチャーホールのようで、間違えたかと思ったが、すぐ太った男性がやってきて(学芸員か?)箱を示す。
その中に本がおさめられていた。

 
 

一部拡大、誰が誰に挨拶しているのかわからないが。右は下に王冠があるところをみると皇帝(当時はまだドイツ王)ジギスムントか?

 
 

「ページはめくれないの?」ノーだったが、向こうを指さす。そこには印刷された本がおかれていて、手にとってページをめくってみることができた。
驚いたことには講座のレジュメは白黒なので、線描きだと思い込んでいたが着色されていた。
ただ、もらったPAMPHLETを見ると、線描きに後のイラストレータが採色した、とあった。
何部かあるそうだが(ウイーンにもあるらしい)ここにあるのは1464年のもので一番古い。
置かれていた本から

  

教皇ヨハネス23世が公会議場に行くとき、馬車がひっくりかえった。 事実かどうかわからないが、不吉なことが起こることを示す絵。(この教皇は 逃亡、逮捕され廃位となった)

  
行列の人物に紋章がついているのがある。これは当事者に売って儲けるためだったといわれている。
 
フスの焚刑 〈この絵は よくいろいろな本で使われている〉

コンスタンツに行く! ということで一番期待していたのがこの画集を見ることだったので大満足。
この後駆け足で他の部屋をみた。

 
 
 
 

ショップで、上で見た本を買おうとしたが売ってなかった。
ツアー仲間も何人か添乗員さんときていて、皆で大聖堂前の集合場所へ。 

1800 集合で近くのレストランへ ビアハウスなので地ビールを頼んだ。

   
   
   
   
   
   

コンスタンツという町、ジプシーを数人、物乞いを一人みかけた。矢張り都会のせいか、人出が多く少し雑然とした感じの町だった。

7時半過ぎに歩いてホテルに戻った。