3日目 そのU

ミュールバッハ




1140 バスで 出発、 ミュールーズのレストランへ

ところが分かりにくい所らしくてずいぶんグルグル回った。きれいな住宅地、でもレストランは反対方向だった。
乗っている身にとってはこれを眺めるのも楽しかったが、添乗員さんはさぞかいやきもきしたことだろう。
ナビではすぐそばに来ているらしいが入口が分からない。
とうとう 添乗員さんがおりて探しにいく場面も。ただし、朝が順調だったのでレストランに着いたのは予定時刻だったそうだ。
レストランはホテルの中にあった。

旧ブラッスリーフロ(FLO)チーズサラダ、シーフードミックス、 付け合わせがゴハン! ご飯も野菜ということらしい。 
お茶碗にもられてでてくるなんて、笑ってしまった。もちろんおいしくない。アップルタルトアイス添えワインは ゲブルツトラミネールにした。

   
   
   
   
4,50分バスに乗って、ヴォージュ山脈に分け入っていく。
 
 

(地図は位置関係を示すためミュールーズをいれたので小さくなったが)下中央のミュールーズから左斜め上に向かう。
森の中に入り1430ごろ

ミュールバッハ L'Abbaye de Murbach サン・レジエ聖堂 へ

http://www.alsace-passion.com/murbach.htm
バスは修道院敷地の少し手前で止まり、歩き始める。門、 向こうに教会の塔が少し見えている。

   
   

門を入って少し緩い坂道を歩いていくと教会。
このあたりに産出する赤い砂岩で出来た教会で がっしりして威容を誇っているように見える。

 
 


こちらから見ると分からないが、この教会はこの後陣とトランセプト部分それに塔だけで
身廊部分は失くなってしまっているのだ。

右に平面図

創建は727年、アルザス伯エバーハルトによる。
ライヒェナウからやってきたピルミニウスがベネディクト会修道会を開いた。

その後シャルマーニュ大帝などの保護も受け発展。
このあたりの知的センターの役割をはたしていたが、14世紀から徐々に衰退していった。

1374年に洪水が起こり身廊喪失、1382年火事で回廊焼失。

現在見られる部分は1134年〜1150年にかけて造られた教会。

現地ガイドは元ソニーマン(ミュール―ズにソニーの工場があるとか)の男性、

説明が丁寧。
失くなってしまった教会とほぼ同じものがこの近くにある。
とその説明をはじめたので、あきてしまって勝手にあるいて写真を撮ったりし始める人もいた
(私もその一人)これぞロマネスクという面白彫刻が多かった。

説明が終わって中に入る。
 
 

↓ 結婚式があるらしい。参列者用のお花?                      左上 小さな二連窓が好ましい。
   
   

祭壇の石↓ 926年の墓石を後に祭壇にしたてたもの。 

   
   
 
 創建者アルザス伯エバーハルト(13世紀に造られた横臥像)

外に出てじっくり彫刻を見る。アプシスを見る。

 
 
 
 最上部
   
 告解  士師ギデオンと天使

三本目のコー二スの上 左から  

     
     
     
     
     
     

どこにあったのかわからないが  彫手は同一かな?

   
   

  
 南側扉口

ロマネスク彫刻はもうたくさんみているせいか、もういいか、という感じがしてきたので、彫刻はこの辺で。

身廊が失くなっている。

   
 
 
  壁面に痕跡が見られる。

少し上がって山の中腹のチャペルから見下ろすことにする。 途中の坂道で
 
 

以前行ったコンクのサント・フォア教会を思い出した。
 
 

ここでは今日は結婚式があるせいか、素敵な車が次々に到着して着飾った人をみかけた。 
そういう華やぎがあったせいか、コンクで感じたようなしんとした雰囲気がなかった。
(なお、ここには教会横の道のがけのところにお手洗いがある。入る気になれなかったが、教会を出たところあたりにはお手洗いはなかった)


1610ごろから 15分くらいバスに乗ってローテンバッハへ

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