5日目 そのⅡ

シュパイヤー~マンハイム




シュパイヤー Speyer

ここも2003年にストラスブールから一人で来たので懐かしい。

市門を抜けると向こうに大聖堂が見える。途中の巡礼像 教会前の大杯(青いシャツの自転車の男の横)も懐かしい。

 
 
       
 市門を振り返る

https://www.dom-zu-speyer.de/

シュパイヤー大聖堂Speyer Dom 

どいつに三つあるカイザードーム(皇帝大聖堂の一つ)
全長133m 翼廊の幅50m ヨーロッパ最大のロマネスク教会

シュパイヤーⅠ(KonradⅡ 1030起工、クリプタ献堂1041、教会献堂1061
シュパイヤーⅡ(HeinrichⅣ 1082/ 90 頃起工、教会献堂1061 続工1112/25まで)その後仏蘭西のルイ14世によって破壊されたが、一部バロックへの改変を経て
シュパイヤーⅡ(シュパイヤーⅠを内包する)に戻されている。

ハインリッヒ4(コンラート2世の孫)はあのカノッサの屈辱で有名な皇帝である。聖職叙任権がドイツでは皇帝にありとしていたが、教皇はこれが気にいらない。聖俗の欲も絡んでの事件であった。
ハインリッヒ4世は波乱に満ちた生涯をおくった。6歳で父を亡くし、周囲に翻弄され、カノッサの屈辱も当人の司教任命権乱用もあったが、トスカーナ女伯マティㇽダとのかかわりは父ハインリッヒ3世のツケを払わされた、父の因果が子に報い、というところであった。
最後は二人の息子に裏切られる。私にとってドイツ史で気になる王の一人である。

改革修道会と教皇の側の象徴がクリュニュー修道院なら、ドイツ皇帝と帝国教会の象徴がシュパイヤー大聖堂なのである。

見学は先ず外回りから 北面 

 
 

東部は立体感があって西正面より迫力がある。

 
 

アプシスなどはシュパイヤーⅡ 両脇の角塔は破風の高さ(窓が縦一列)までがシュパイヤーⅠ
三角破風と菱形屋根はラインラントロマネスクの典型だそうだ。

 
 外には防壁塔

アプシス上部のツヴェルクギャラリー(小人ギャラリー)が特徴、 

ツヴェルクギャラリー52丸窓の横の柱そばの彫刻 馬?に乗った人の腕が蛇の口に入っている。

   
   

56袖廊南側 窓の彫刻

 
 
 
 
   
   

中へ 中央のアーチを抜けると玄関ホール

教会内部へ 

内外とも六重のアーチ、つまり鼓型のエブラズマンが施され、7mの壁の暑さを感じさせないようになっている。

 
 
   
   

平面図参照  内側からみた扉口  シュパイヤーⅠのまま(これからはSⅠ、SⅡと記す) 聖堂のブロンズ扉は1971年のもの。

身廊 初めて来たときほどの感動はないが、すっとのびた柱列が美しい。 天井SⅠでは木造平底だった。

前方脇からクリプタに下りる。以前は無料だったが現在はⅠ€ 必要。

ヨーロッパで最大でまた最も美しいと言われるクリプタ。ここは 創建当時(SⅠ)からのもの。1メートル以上の幅がある太い角柱と円柱で支えられて、アプシス、袖廊の下に広がっている。

 
 
   
 
 
    手前の洗礼盤
この地下のチャペルの反対側の壁 ハプスブルグ家のルドルフ一世(12181291), 皇帝たち
   
   

壁の両脇の階段をすこし上がったところが 家の墓所になっている。

奥中央がコンラッド二世のお墓、その手前が ルドルフ・フォン・ハプスブルグ だったと思う。それぞれ誰のお棺か説明されたが、メモは取らなかった。コンラッドⅡ妃、ハインリッヒⅢ、ハインリッヒⅣと妃ベルタ、ハインリッヒⅤ、フリードリッヒⅠ妃(フリードリッヒⅠは十字軍の途中で亡くなり遺体はない)などのお棺が置かれている。階段途中の壁にも棺が納められていた。

   
   

クリプタを出る。
南袖廊手前には 二重礼拝堂 がある。
洗礼盤のある、マーティン礼拝堂、この階上にカタリーナ礼拝堂

     
 
 
   

聖遺物がいくつか置かれていた。 これは ポンポーザのグイド

      
      

横に行くとクワイヤ 身廊から見ると幅広い階段で上がっていくようになっている。
クワイヤから 西側を見下ろす。

 
 
 

 側廊の天井は SⅠの時から既に石造の交差ヴォールトであった。
柱列 横断アーチの列がリズミカルで美しい。

 
 

身廊の天井が 石造ヴォールトになったのは SⅡ、1085年頃に造られた交差穹窿は幅15mという大規模な もの。教会全体が石造の穹窿で覆われた教会建築の最初で、これ以降の教会建築に大きな影響を与えた。

 
 
   
   南側広場のオリーブ山

このシュパイヤー大聖堂について 岡野ハインリッヒ圭一氏は<(アプシスの外観について)重々しく陰影を抱え立体的なれど、同時に律動感を宿し変化と多様性に富む。この英偉凛然たるモニュメンタリティーこそ、オットー朝とは異なる、ロマネスクそのものと言われて良い。そして、そこには勿論、ドイツ帝権の雄渾にして俊英なる精神の反映が読み取られても、大過有りとは言えなかろう。> 内部に関しても<オットー朝の直線的にして単純なる威厳とは異なる重量感と量塊感、輻輳感と存在感、これが ロマネスクと形容される印象と言えよう>
フランス、スペイン、イタリアなどの人里離れた山中の小教会こそロマネスクなどという考えを見事吹き飛ばしてしまうのである。 

1640ごろ外へ出る。横にミュージアムがあるが、今日はお休み。私は前に来たが来ていなければ少し残念だったと思う。

少し回りをぶらぶらして 

17001800 バス 途中、ライン川を渡ったが 幅広く特に美しくはなかった。

   
   

マンハイム ホテル・ウインダム 

この町は 碁盤目のように道路が走り地番も E5 とか F11 とか言った調子で風情がない。

1900 集合で 外のレストランへ 

   
   
   
   

ナスのスープ、ポーク煮込み、 チョコレートムース リースリング(30€〉を5人でシェア 辛口だがさほど、、。食後少し散歩、 

 旧市庁舎   給水塔   あのそばまで行けば緑があって気持ちがいいらしいが、おそくなってきたので、このあたりできりあげて

 
 
 
 
2130頃ホテルに戻った。

この町は ベルンハルト・シュリンク<『朗読者』で有名になった>の ゼルプseriesが出てくる町なので、少し興味があったが、面白味のない街。

1120頃寝た。