4:00頃目がさめ、5:00少し前起きる
6:55〜 7:20 朝食
出発の準備をしてから 少し散歩に出る(一人で)
環状道路の内側は17〜18世紀にかけて計画的に作られた町になっている。
シュリンクが描いた町を少し眺めてみたい。ライン川(地図下方〉に向かう。この町はライン川とネッカー川の合流地点である。
ところが川手前に高速道路が走り、少し辺りを歩いてみたが川にはたどりつけなかった。
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ホテル隣のシナゴーグ
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8:45 バス(2,30分)
ヴォルムス Worms
この町は三つあるカイザードームのうちの一つがあるが、「ニーベルンゲンの歌」の舞台としても有名だ。
カール大帝もこの町を好み、二度の結婚式をここにあった王宮であげている。
ヴォルムス後には古来ケルト人が住んでいたが、ここにローマがやってきて、5世紀初めごろにはブルグンド族がやってきた。(ブルグンド族はなんと去年行ったボーンホルム島がもともとの出身地だそうだ)王グンターは実在したが、妹クリエムヒルト創作。
フン族との戦いで敗れるのは史実。
『ニーベルンゲンの歌』は ヴォルムス大聖堂ができた後 13世紀につくられたもの。
ヴォルムス大聖堂 Dom zu Worms
https://pg-dom-st-peter-worms.bistummainz.de/kirchen/dom/virtueller-rundgang/index.html
7世紀前半にはブルンヒルト女王(没613)とアウストリア王ダーゴベルトT(没639)により教会建立。
カロリング朝新築9世紀後半、これを撤去して司教ブルヒャルトが 1005/10起工、1018年献堂
このオットー朝の平面プランを踏襲、ヴォールト天井のロマネスク教会が造られた。 これが現在見られる教会。
東部は 1130年頃起工、1144年完成、長廊は1160起工、T170頃完成、 西内陣は1171頃起工、1181頃完成。
(こういう年代は本によって違う、これは 岡野氏の本による)
先ず外回りを、といっても 他の建物がせまっていて、遠望することが出来ない。かてて加えて工事中と舞台設営のため東部を見上げて南面の一部を見ただけ。
塔の高さ、65m、60m。屋根までの高さ27m、長さ111m(これはメモでダブルチェックはできていない。本によってデータは違う)
東内陣上部。動物彫刻 これはレプリカで元のは 聖堂内に置かれていた(130年頃?魔除けの意味?)
ヒールの形の様なものは市場のメジャー。 縦溝はサーベルを研いだところ(祝福を受けるため)
教会模型。 先週 1000年祭をやったそうだ。
一般的に教会の外観としては 西側が平で東側にアプシスが突出しているが、この教会は西側に多角形アプシスが突出している。この教会は東西両端に内陣がある。東より後にできた西側の方が立体的でツヴェルク・ギャラリーが取り巻き華やかだが、このあとケルンの教会などを見ると東側がドイツ的で私には好ましく思えた。
見られなかった北側は買ってきた小冊子の表紙から。(北側がニーベルンゲンでは 大事なのに!)
ゴシックの南扉口(1290/1310)から入る。
中にはこの時とりはずされたロマネスクの彫刻が展示されていた。
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獅子の谷のダニエル |
建築家の頭をなでているサル |
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ユダヤ人を食べているライオン |
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ヴォルムスは シュパイヤーーやマインツ同様多くのユダヤ人が住んでいて、12世紀ごろまではキリスト教徒とうまくやっていたがその後恐ろしいポグロムが起こった、などということが書いてある碑
両端内陣式教会
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東内陣 |
西内陣 |
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側廊 |
交差部の塔 |
堂内は(1000年祭の名残り?)教会の歴史などについての説明パネルがずらりと並べられ、見通しが悪く鑑賞の妨げとなっていた。
観光客も多い。 ヨーロッパ人ツアーも入っていた。
東内陣下のクリプタへ ここは ザーリア家累代の墓所。コンラッドUまでの一族のお墓がある。
シュパイヤーもそうだったが、この時代はまだ墓碑彫刻などはなかったようだ。
聖クリストファー(後期ロマネスク)
10:45 外へ出て 聖アンドレアス教会(博物館)に向かう
大聖堂南側は工事中 洗礼堂を再建するらしい。
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あとで バスの中からかろうじて見えた 大聖堂北面 |
大聖堂西側が見える場所、として案内されたところが
矢張り工事のため入いれなくて少しのぞけただけだった |
聖アンドレアス教会 ここへ来た目的は ロマネスクの廻廊であったが、工事中でかなり粘り強く交渉したが、入ることはできずなかった。
教会内には 大聖堂修復の際とりはずされたものが、展示されている。
また市立博物館が併設されているので、回廊のかわりにそちらが
見学できることになった。
教会内を見学。 ここも工事のためか、シートに囲われていて、折角の教会も見通しが悪かった。
教会外観写真も付近の建物が密接しているため撮れなかった。
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工事中のロマネスクの回廊 |
博物館へ
奥の人面は マルティン・ ルター。 ルターはヴォルムスで開かれた帝国議会で帝国追放刑となった。
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ルターが ドイツ語訳した聖書、 ルターの自筆サイン入り |
12:30頃バスに乗り 昼食レストランへ。 バスの高さが邪魔をしてトンネルがくぐれなかったため すぐ近くにもかかわらずレストランに行くのにライン川をわたって大回り、
そのUへ
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