4:15頃目が覚めて 5:00本格的に起きる
6:30 〜 朝食 ビュッフェも充実
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ライン川沿いなので終わってから川沿いの道で妹と写真を撮り合う。 |
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8:30 徒歩で大聖堂へ向かう。途中のウインドウ。
マインツは活版印刷を発明したグーテンベルクの生まれた町。
マインツという町は ローマ時代モゴンティアークム とよばれた。起源前10年前後にローマ軍団駐屯地となったが、その後盛衰があり、746年にボニファティウスが司教座を開設した時から栄え始めた。
大司教ヴィリギスが(在位975〜1011)がローマ教皇によって神聖ローマ皇帝ドイツ王戴冠の権利を与えられたことによってドイツ地域全体の信徒を統べる首位大司教座となった。(戴冠式は7回ここで行われた)
政治的にも権力を持ち、1356年の金印勅書によって、皇帝選挙主催者、7選帝侯の筆頭となった。
シュパイヤー、ヴォルムスとともに三つのカイザードームの一つとなっている。(どういう基準か知りません。皇帝が建立にかかわった、とかお墓があるなどの条件ならMagdeburgなどもそう思うのですが、ロマネスクに限るとかの条件があるのでしょうか、それとも西部地域に限る?)
マインツ大聖堂 Mainz Dom (St.martins Cathedral)
https://bistummainz.de/dom-mainz/index.html
グーグルマップより 上の広場からみた大聖堂北側
威風堂々という感じがする。(昨日撮った)
975年ヴィリギスにより起工、、1009火災、1036年献堂← オットー朝
1081年の火災遺構 ハインリッヒWによる 資金援助で1100年頃から新築起工、中断の後、全堂の最終献堂は1239年。(平面図の色分けで建築年代が分かる)
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マーケット・ポータル[
平面図だと左側真ん中あたり
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マーケット・ポータル(マルクト広場 扉口)ドアがヴィリギスの青銅扉(1000年)。青堂扉というと、ヒルデスハイムなどの聖書に基づく絵を思い出すが、ここは文章が彫られている。 読めないので上の方だけ。下にライオンの顔があった。
中に入る 両端内陣、三廊式 大聖堂の西部分はシュタウフェン朝と18世紀の増改築
主祭壇と大司教玉座は西内陣、 東内陣は教区内陣とされている。
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東内陣 |
西内陣 |
東内陣横から回廊へ(1400年頃のもの)
クリプタに下りる。クリプタは12世紀初期に建造中断され埋め立てられていたが19世紀に新たに建造された。 方円柱頭で心が落ち着く空間だった。
外に出て 西側に回る ライヒホーフ広場 死体の意味で墓地だったところ。左の白い建物のところ、(工事中)がヨハネス教会で大聖堂ができる前(900年頃)の旧大聖堂。
西側、フィールング塔(1774年完成)はシュタウフェン朝とバロック時代のもの。
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途中のお店 |
大聖堂東側広場の先に グーテンベルク博物館。
大聖堂東側 二つの塔は下から4段目までがオットー朝のもの。アプシス下部の窓はクリプタの窓。半円の張り出しは ツヴェルクギャラリー、これはシュパイヤーを摸したもので、シュパイヤー大聖堂に次ぎ、ドイツで 二番目に古いもの。
今年はグーテンベルク没後550年祭が行われ、そのための舞台らしい。
10:00 再入場 西内陣近くの北翼廊で 聖ゴットハルト礼拝堂(St. Gotthard)の開くのを待つ。
シュパイヤーの二重礼拝堂を摸して造られた。(1137年献堂)司教のための礼拝堂で 上階は この先にあった司教館から直接行けるようになっていたそうだ。お掃除をしていたとかで、25分ごろ入ることが出来た。 24外手前の白い建物だが、屋台等が邪魔で下まで撮ることができなかった。正方形にアプシスが付いた形。
入り口前におかれている洗礼盤は1328年
下は四基の角柱が支え、 階上は四基の円柱が穹窿天井を支えていた。こういう狭い空間の方が祈りの場にふさわしい。
皆立ち去りがたく、しばらく椅子に腰かけていた。初期ロマネスクの磔刑像。
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外観 |
10:35頃教会を出て、徒歩でバスの待っているホテルまで戻る。そこでバスに乗って10:55出発、
途中のブドウ畑 コブレンツの町 向こうに目的の教会が見える。
12:20 コブレンツ到着
12:20〜 13:20 昼食 Altes Brauhaus
ここは ビール!バイセンビール。 Soup 骨付きすね豚肉 ヨーグルトベリーソース
ともかくお肉が凄い。以前ベルリンでももっと大きいのがでてきたことがあった。切り開いて骨を抜いて食べるよう教えられた。
終って、徒歩で街歩きを楽しみながら教会へ
そのUへ
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