9日目 そのU

ザンクト・アポステルン教会  ザンクト・ゲレオン教会




ザンクト・アポステルン教会
 St.Aposteln 1130〜11:50

平面図  

   
    Googleマップからアプシス側

古代ローマ時代の市壁の外側に9世紀末にはあったとされるが,確実には965年頃ケルン大司教が自分の墓所として西内陣を持つ教会として建てたのが最初とされる。
(西袖廊の一部と、西クリプタ東壁、身廊の角柱の一部、南側廊の南壁の一部に残っている)

1180年頃に現在の西単塔と西内陣が作られた。ひし形屋根 1192年の火災を機に現今の教会が起工され三葉型内陣がつくられ、12201230年に完成。

4東部 各アプシス上部をツヴェルク(小人)ギャラリーが取り巻いている。

 
 
内陣東部、ヴォールト天井の現代画家による絵がうるさく感じられる。
 
 
 
 

西側見たところ、を身廊と側廊の仕切り壁が パンタレオンや ザンクト・マリア・イム・カピトールとは違っている。
この写真では分かりにくいが、高窓(クリアストーリー)だけでなく遮蔽トリフォリウムがつけられ 大アーケードとで三層構造になっている。 
天井も交差リブ・ヴォールトになっている。(この写真ではわからないが6分割されている)

 
 
1200年頃の洗礼盤
   
   三葉の交差部の上 八角形のランタン塔

西側クリプトは20世紀になって、当時の断片なども用いて再建された。

 
   
   
   

外へ出てぐるっとまわってアプシスを見る(写真は最初に載せた)

少し移動して 大聖堂近くの昼食レストランへ Gafel am Dom というビアレストラン

   
   
     
 こういう手つきお盆に載せてビールを運んでくる  
   
   
ケルシュビール付き スープ、 レバーケーキ(レバーとひき肉)ポテト  

ザンクト・ゲレオン教会 St.Gereon Decagon

聖ゲレオンとはローマ帝国のテーベ軍団のリーダーで、キリスト教徒への迫害を拒否した為彼のひきいる軍の全兵士が殺された、という伝説がある。
私は、聖マウリティウスがリーダーで虐殺はスイスのサン・モーリス、だという話としては知っていた(1995年スイスの旅)ので何となく腑に落ちないが、
事件はケルンで起こりリーダーはゲレオンという人であった、という伝説がケルンあるそうだ。

デカゴン(十角形の意味ここでは十角形の塔)は初期キリスト教時代(4世紀)後半の楕円形の殉教者記念堂の地上約16mまで残っていたもの(8基の壁龕)を内包するようにして10角形の塔が完成したのは1227年。
西に玄関ホール、東に長内陣 南側に洗礼堂

   
   西正面

北西入口 古そうに見えるが1920年に作られたもの 上にお告げ、 両脇は 洗礼者ヨハネと 福音書記者ヨハネ(鷲が足元にいる)

内陣ツヴェルク・ギャラリー(トリアー大聖堂西正面 初出。1045年頃)がある。

   
   北西入口

デカゴンの天井

 
 
 
 
4層になって華やか 外部には扶壁があり、ロマネスク後期、フランスゴシックの影響をうけた建築である。
   
   扶壁
長廊の奥にアプシス  アプシスの壁画は 12世紀後半
 
   
   
   
洗礼堂12421245年 壁画がうっすら見える。 ↓槍と盾があるので、 聖マウリティウスと聖ゲレオンだといわれている。
   
   
 12世紀のライオン
   
   
   
   
↓血の柱 善悪を見極め処罰する、という言い伝えがある  
   
 血の柱  聖ゲレオン

クリプトにおりる 11世紀に造られた部分と12世紀に造られた部分がある。(天井が低いほうが古いのだが、どこだかよくわからなくなってしまった)

   
 
 
 

西側で アンノ大司教の時代。コンフェッシオは1190年頃 付け加えられた。
ここには テーベ軍団の兵士たちと 聖ゲレオンの遺骨がはいっている。この形は大聖堂の聖遺物箱とおなじである。(つくられたのが同時期)うえの絵は1300年頃。 聖ゲレオン マリア、ヨハネ、聖ヘレナが磔刑のキリストをかこんでいる。

 
 

東側には床モザイクが残っている。(1156年以前)サムソン、ダヴィデ王

   
   
 
   

長内陣(long chancel)の壁に 12世紀のフレスコ画の断片が飾られていた   ゴシックのボス

   
   

82 西方向を見る。

ここを出て 大聖堂へ

そのVへ