9日目 そのⅢ

ケルン大聖堂、 グロース・ザンクト・マエルティン教会



ケルン大聖堂
 Cologne Cathedral https://www.koelner-dom.de/home/

151016:50

現在の建物は三代目、前の建物が火事で焼け落ちて1248年着工、完成は1880年。
1248年 石工ゲアハルトの指揮のもとに着工されたが、彼は1260年謎の死を遂げる。

当時ドイツのほかの都市でもあったことだが、市の支配者である大司教と台頭してきた商人、さらには職人たちとの権力争いがあった。そのことと、ゲアハルトの謎の死をめぐるミステリーに『黒のトイフェル』フランク・シェッツング著 ハヤカワ文庫というのがある。ミステリーとしての面白さとともに当時のケルンの様子がわかって私はケルンの町に来るのが楽しみであった。 

西正面 平面図

   
   
北側、
   
   

ケルン大聖堂はゴシック建築なので、ロマネスクツアーとしては教会そのものを見るよりは宝物館をみることがメイン。
そのチケットを買うとか何かの交渉で添乗員さんと現地ガイドさんは行ってしまい、「その間 教会内を見ていてください」だったのだが、待つのが長くなりそうだし、宝物館に入ってしまうと、、、。というわけで外のトイレにいったりして(教会内にトイレはないといわれたのだが、宝物館にはあった!)教会内を見ることがあまりできなかった。
時間を上手に使ってしっかり一回りなさった方もいらしたようだが。

ケルンの塔の高いことは知っていたが、身廊の高さもロマネスク教会をみてきたせいか、非常に高く感じた(43.5m)。奥行は144mあるそうで祭壇ははるかかなた。呆然とするほど大きな教会だ。

   
   

そうして宝物館、ここは写真禁止、今となっては記憶もおぼろ。ペテロの杖とか杖についていた紐、とかが貴重なものらしかった。内緒で上記ホームページから写真をお借りした。

   
   
宝物館からでてきたところで、添乗員さんに「教会内をまだ見ていない人はいそいでみてきて」というわけで、いそいで見るべきものを見に走る。 

残念なことに「ゲーロの磔刑像」(970年頃)は修復中。 ドイツ現存最古の「死せるキリスト」

   
   
東方三博士の聖遺物箱Dreikönigenschrein 11811230 

収められている聖遺物について 皇帝フリードリッヒ一世のミラノ攻略の際、功あったとして宰相来ナルド・フォン・ダッセルは 当時ミラノのにあった三博士の聖遺物(頭蓋骨)を下賜された。ダッセルはケルン大司教となった(1159年)ので、この聖遺物をケルンに持ち帰った。これによりケルンはローマ、サンチャゴ・コンポステーラに次ぐ大巡礼地となった。

   
   
 
   

いくつか祭壇画の写真を撮ったが、有名なロホナーの「三王礼拝」の絵はみつけられなかった。 
あと 高窓にゲアハルトの顔のreliefがあるのも確認し忘れた。 残念。

グロース・ザンクト・マルティン教会 Gros St. Martin       1500~ 1530

メロビング朝中ピピン(635714)と妃プレクトルーディスが基礎を築いた。 
大司教ブルーノによる開基は960年頃。1150年火災により新たに建てられた。1172三葉型内陣などの献堂。
巨大なフィーリング塔
1220年頃完成  Googleマップから          あとでフィッシュマルクトから眺めた

   
   

三葉型内陣を持つ教会はケルンで三つ見た。初出はザンクト・マリア・イム・カピトール(1065年)、グロース・ザンクト・マルティン(1150年)ザンクト・アポステルン(1192年以降)内陣や 身廊の壁の様子を見ると、ザンクト・マリア・イム・カピトールとあとの二つの時代の違いがはっきりする。 

 
 
   
 角度を補正したが周りをカットしていない
   
  洗礼盤 13世紀前半  

16世紀の ↓悲しみの人 

   
   ブリギッタ・カペレ 床モザイクは19世紀

教会を出てライン河畔へ  この家の人が商売でズルをしたとき 司教につけさせられる鬼のマスク

   
   フィッシュマルクト

 
 
 
 
ライン河畔で少しのんびりして今日の観光はおしまい。
帰りにスーパーでサンドイッチ、ワイン、ジュースなどを買ってホテルのお部屋で夕食。 このワインはとてもおいしかった。
 
 

今日は11度くらいで とても寒かった。長袖Tシャツ、薄手カーデガン、コート(裏なし)もう少し厚手のコートを持ってくればよかったと思った。