5:40 起床
6:45〜 朝食
8:00 出発 130Kドライブして ベルギーのリエージュへ
ホテルのすぐそばにローマ時代の塔がある
途中ドイツとベルギーの国境あたり リヒテンブッシュ というところでトイレストップ(9:00〜9:10)入るとき 50セント入れるが券が出てきて 店で50セント分の買い物ができる。 つまり お買い物をすれば無料ということ。
10:00過ぎ リエージュの 聖バルトロマイ着。
リエージュ(Lige)は8世紀初め 聖ランベールが建設したとつたえられるが、正式に町となったのは721年、同年司教区となる。11世紀には司教公領。名目上は神聖ローマ帝国に属するが、1794年までリエージュ司教領の首都であった。司教たちが絶大な力を持ち、民にとっては地獄だったそうだ。
聖バウトロマイ教会 (10:00〜10:50)http://www.st-barthelemy.be/
1015年ケルン大司教ヘリベルトによって聖別された。 その後何度も改変されている。
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白塗りに赤で枠取り ドイツ系ってこういう風に色を塗るのが好きなようだ。 |
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壁に貼られていた写真、この色付けは最近のようだ。 |
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入ってみると 平面図にあるように五廊式の幅広、そうして内部も見事に白塗り。
東側を見る、 五廊式であることが 分かりやすいように 少し斜めの写真を載せた。 |
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西側を見る。 あの 衝立のようなものの奥に有名な洗礼盤がおかれている。 |
レニエ・ド・ユイによる洗礼盤。ベルギーの七大秘宝の一つ、といわれている。しばらく説明を聞いた後、急ぎ駆け寄り、写真をパチパチ。
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洗礼盤の足元には牛、もともと12頭だったのが現在は10頭になっている。12は12使徒を、あるいはイスラエルの12部族を表すともいわれている。 |
この洗礼盤は 1107〜1118年にかけて、発注されたもので、もともと大聖堂横で洗礼堂の役割もしていた小教会にあったが、フランス革命とそれに続くリエージュの独立運動の時 教会が破壊され、洗礼盤はこの聖バルトロマイ教会にもってこられた。打ち出しなどではなく、蝋型法。蝋に彫刻してそれを粘土で被い、温めて蝋を溶かして型を作りそこに真鍮を流し込んで作ったのだそうだ。そのせいか、表面がつるっとなめらか。
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洗礼者ヨハネの宣教 |
新信者の洗礼 |
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キリストの洗礼 |
左ペテロによるローマの100人隊長コルネリウス
右ヨハネによる哲学者クラトンへの洗礼 |
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あらためて教会内を見る。明るく綺麗すぎてロマネスクファンは違和感を持たざるうぇない。
西構え側面上方にロマネスク時代のトリビューン。本には 修復前の写真も出ていた。元のままのほうがよかったのに。
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修復前 |
古い柱を一部見せている。 床下に遺構、何年の頃かは分からない。(勝手にロマネスク時代と決め込んで確認しなかったのが悔やまれる)
中庭を見る。アジサイがきれい。ヨーロッパでは赤系が好まれるようだ。
受付(硝子の向こう)で冊子を買う(トイレあり)
リエージュの景色を楽しみながらバス移動。
ムーズ川 バスの中からなのでよく撮れていない。ここの川Jで日曜日には朝市がひらかれるそうで、明日も来るようにと勧められたが、明日はもう帰国日だ。
ビューラン山への長い階段 373段 頂上からの眺めがいいらしい。
聖ポール大聖堂 11:25〜11:50
http://www.cathedraledeliege.be/visite/#cloitre
966年に建てられたが その後1240〜1430年にかけてゴシックスタイルに建て直された。
周りの建物のため 全体像をつかめるような写真が撮れなかったので Googleマップから
27 横たわるキリスト 17世紀後半
28 聖ランベール の聖遺物箱 16世紀 (ステンドグラスが映り込んでしまった)
聖ランベール(705年没)は アルデンヌ地方の異教徒を回収させた人物だが 殉教。彼の墓の上に聖堂を建てたのが もともとのリエージュ大聖堂。しかし 18世紀末のリエージュ革命でこの大聖堂は破壊されたため、聖ポール教会が大聖堂となった。
stained glassから マリア戴冠のようだ
ロマネスクのマリア様。
教会を出て昼食レストランへ。途中、 5月末に起こったテロ事件の現場を通った。単なる発砲事件だったらしいが。
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子供がお手伝いしている風 |
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ベルギービールのお店 La Vaudree
4種のビール飲み比べセットがあったので、4人でとって少しづつ飲んでみた。お味はもう覚えていない。
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ベーコン入りサラダ、 リエージュ風ミートボール、リエージュ風ワッフル
食後バス移動して アーヘンへ
そのUへ
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